続・林芙美子の「お化け屋敷」を拝見する。

 少し前に、林芙美子の五ノ坂にあった西洋館の邸内Click!をご紹介したが、さらに室内の写真を数葉いただいた。ちなみに、目白文化村Click!でご紹介した林芙美子の記事中で、イーゼルの画布に向かう彼女の写真は、『林芙美子随筆集』(岩波書店/2003年)などの記述から第二文化村に住む知り合い宅か?・・・と想定Click!したけれど、この五ノ坂にあった邸内の2階、手塚緑敏のアトリエである可能性が、周囲や窓外の情景からきわめて高いように思われる。
 前回の記事でご紹介した邸内写真は、連れ合いである手塚の洋風な書斎や、アトリエからつづくバルコニーを眺めた写真だった。今回の写真は、1階の応接室や食堂とともに、2階の林自身の書斎や化粧室がとらえられているのが貴重だ。前回の記事でも引用したように、邸内で唯一の日本間だった林の書斎と、それにつづく3畳大ほどの広さの化粧室も写っている。
 まず、1階の応接室と食堂には、おそらく林お気に入りの家具類がところ狭しと並べられている。この部屋のどこかに、著作が出版されるごとに目を入れていた達磨が置かれているのだろう。同時に、応接間のソファに座る、彼女のポートレートも残されていた。女中の少女には洋装をさせていたが、彼女自身はいつも和装だったらしい。ソファでポーズをとる林は、どこかぎこちなくて肩肘張った座りかたをしている。書斎のデスク前に座る林は、どことなくリラックスしているようにも見える。やはり、彼女は和室の生活が好きなようで、あこがれていた西洋館に住んではみたものの、みずから「お化け屋敷」と呼んで落ち着かなかったのではないか。
 
 四ノ坂の新邸を建てるとき、ことさら日本家屋にこだわったのは、この五ノ坂の洋館住まいが大きく影響しているように思える。それは、目白文化村やアビラ村(芸術村)Click!の生活にあこがれ、丘上に建つポーチ付きのシャレた吉屋信子邸Click!を意識しつつ、ハイカラな洋館生活を送ってはみたものの、イスとベッドの生活にどうしても馴染めず、林の性に合わなかったのだろう。
 書斎には、彼女の詩が書かれた枕屏風が見えている。この枕屏風は現存しており、いまでは新宿歴史博物館に保存されている
  野の花ともなりて はるかなる大空
 吾こころ ともせん
 鶯の声など聴きて 吾河上にのぼりて
 笛など ふかむ
 机上には、執筆の資料類のほか、万年筆や硯箱、辞書、灰皿などが見える。書斎につづく化粧室は、屋根裏部屋を改造したとのことだが意外に明るい。光線の加減から、どうやら化粧室は東側を向いていたようで、窓外には邸に隣接する木立が見えている。
 
 これらの部屋部屋には、よく見るとあちこちの壁に絵が架けられている。林は西洋画が好きだったようで、1935年(昭和10)ごろには14~15点の絵画を所有していたと随筆に見える。作品には萬鉄五郎Click!をはじめ、林武Click!、横堀角次郎、小林徳三郎、曾宮一念Click!、中川一政などの名前が見え、下落合の近所に住んでいた画家たちもいる。また、買いたいけれどとても高くて買えない画家として、安井曾太郎Click!と梅原龍三郎の名前を、随筆「絵とあそぶ」の中で挙げている。夫も絵描きだったが、彼女自身も筆をとって油絵を描いていた。また、近所に住んでいた二科の甲斐仁代Click!とも親しかったのが知られている。
 
 五ノ坂の下に建っていた、とても目立つ西洋館の手塚・林邸は、下落合に住む画家たちの格好のモチーフになっていた・・・と林自身が証言しているけれど、わたしは残念ながらそのような作品を一度も見たことがない。誰が描いていたのかわからないが、ぜひ見てみたいものだ。

■写真上:1938年(昭和13)の『スタイル』10月号の取材で訪れたカメラマンに、応接室のソファでポーズをとる林芙美子。なんとなく居心地が悪そうで、ぎこちない座りかたをしている。
■写真中上は、手前が応接室で、カーテンで仕切られた奥が食堂。は、邸内で唯一の日本間だったと思われる林の書斎。畳敷きにしてあるが、西洋館なので窓辺は洋風だ。
■写真中下は、フロアスタンドが置かれた応接室の一画。は、屋根裏を改造した化粧室。
■写真下は、連れ合いの手塚緑敏の2階にあったアトリエで画布に向かう林。は、同邸の庭先で母・キクとともに。2枚とも、岩波版の『林芙美子随筆集』に掲載されたもの。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    金持ち母さん、ご評価いただきありがとうございました。
    2007年12月29日 17:52
  • ChinchikoPapa

    「藁」でたどる日本人の文化、面白いですね。
    Krauseさん、nice!をありがとうございました。
    2007年12月29日 17:55
  • ChinchikoPapa

    takagakiさん、いつもお読みいただきありがとうございます。
    2007年12月29日 17:56
  • ChinchikoPapa

    暮れなのに、紅葉がきれいですよね。ケヤキの枯葉もまだ落ちきれてません。
    xml_xslさん、nice!をありがとうございました。
    2007年12月30日 15:17
  • ChinchikoPapa

    大森の文士村は連れ合いの子供時代のテリトリーでもあり、先年ゆるゆると歩いてきました。また訪れてみたい街ですね。nice!をありがとうございました。>kimukanaさん
    2009年06月17日 17:11
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2009年08月10日 12:03

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