松下春雄の「下落合風景」は悩ましい。(5)

 この作品も、松下春雄Click!が1926年(大正15)ごろに描いた『下落合文化村』()だけれど、はっきりとした場所がわからない。目白崖線ほどもありそうな高度のバッケに、敷き石が並ぶ階段状の急坂が丘上までえんえんとつづいている。まるで、薬王院横の急階段を想起させるような傾斜だ。
 これほど高い急斜面は、目白文化村Click!の第一および第三文化村には存在しない。第四文化村には、前谷戸Click!からつづく深い谷間が存在するのだが、どちらの方角から想定しても周辺の風情や地形が、どうもしっくりと合致しない。また、1936年(昭和11)現在の空中写真でさえ、谷底に家々が建ち並んでいる様子なども見えないので、第四文化村ではないような気がする。
 では、第二文化村のシッポのように張り出した南側の斜面だろうか。それにしては、坂道が急すぎるし、なによりも石段状の坂道の様子が、文化村内に敷かれた三間道路の体をなしていない。ひょっとすると、目白文化村の西、アビラ村Click!のどこかのバッケを、中ノ道が通っている南側から眺めたものか。それとも、薬王院の中腹から、先の階段を描いたものだろうか。右手に、寺院建築の大屋根のような描写が見える。でも、それにしては池田邸の大きな屋敷が存在しないのが不自然だ。『下落合文化村』と銘打ってはいるものの、場所がきわめて曖昧な松下作品のひとつ。

 1925年(大正14)に描かれた『風景』()。この作品には、塀がつづいているような坂道をのぼっていった右手に、水道タンクの貯水槽らしいかたちが見えている。しかも、この作品の描画視点も高く、手前のかなり高所にイーゼルをすえ、坂道を見下ろしながら描いているようだ。第三文化村にあった幻の水道タンクかとも思ったけれど、このような丘陵地形と水道タンクの位置関係は、第三文化村では想定しにくい。タンクの高さからいうと、2階屋ほどだった第二文化村Click!よりは、第一文化村の水道タンクClick!がのぞいていると考えたほうが自然だろう。
 第一文化村界隈でこのような地形や坂道、家々が見える位置関係となると、市郎兵衛坂のピーク手前から南へ少し入った斜面から眺めると、このような風景に見えただろうか。立脚点の前が道路に向かって下がり、水道タンクの方向へ少し上がって、その向こう側で再びやや下がる・・・という地形は、現在でもかろうじて確認することができる。いまは十三間通り(新目白通り)に切断され、描画ポイントの斜面はまったく存在しないClick!けれど、画面右手の向こう側には「スキー場」Click!の急斜面が、画面の左側はのぼり傾斜の斜面となり、六天坂が通う翠ヶ丘が存在しているように思う。ちょうど、塀の途切れた右側あたりが、第四文化村へとくだる階段のある入口あたりだろう。

 同じく『風景』()と題された、1926年(大正15)ごろの作品。中央に見える街灯は、どうやら昭和30年前後ぐらいまで見られた、目白文化村内の街路灯のひとつのようだ。だが、4つの文化村のどこを描いたものか、これだけの曖昧な情報だけではわからない。なんとなく、第一文化村と第二文化村の境界あたり、“センター”通り沿いに並んでいた街路灯のようにも思えるのだが、はっきりとした裏づけはない。作品のカラー画像が現存していれば、また気づくこともあるのかもしれないが。
 東日本橋の元祖「すずらん通り」Click!の“すずらん街灯”と同様に、このような街灯デザインが当時の文化村内にとどまらず、目白・下落合界隈で広く流行ったとすれば、そもそも本作の風景が文化村ではない可能性もある。また、正面に描かれている家屋も、とりたてて特徴のある風情を持っていない。この作品も下落合のどこか、松下流の目白文化村ではなく「下落合文化村」のどこか・・・ということになるのだろうか? 

■写真上は、1926年(大正15)ごろの『下落合文化村』(水彩)。は、第四文化村の谷間から第一文化村の方角を見あげたところ。正面の構造物2本が、山手通りの地下高速道路排気塔。
■写真中は、1925年(大正14)に描かれた『風景』(水彩)。は、市郎兵衛坂から第一文化村の水道タンク方向を眺めた現状。かなり高い水道タンクが、正面のマンションの裏側あたりに市郎兵衛坂から見えたであろう想像位置。翠ヶ丘の斜面が存在しないので、描画ポイントには立てない。
■写真下は、1926年(大正15)ごろに制作された『風景』(水彩)。は、第一文化村から第二文化村へと抜ける“センター通り”沿いに設置されていた文化村街灯。まったくの同一デザインだ。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    しばらく歌舞伎座にはご無沙汰ですので、言ってみたくなりました。
    Krauseさん、nice!をありがとうございます。
    2007年12月21日 19:57
  • ChinchikoPapa

    komekitiさん、いや~どこのイルミネーションもきれいですね。
    nice!をありがとうございました。
    2007年12月21日 19:59
  • ChinchikoPapa

    親たちは、かまどのことを「へっつい」と呼んでましたね。
    一真さん、nice!をありがとうございました。
    2007年12月21日 20:01
  • ChinchikoPapa

    ご評価いただき、ありがとうございます。>takagakiさん
    2007年12月22日 17:59

この記事へのトラックバック

未知の「下落合風景」をまた発見?
Excerpt: 新宿の紀伊国屋ギャラリーで、1927年(昭和2)4月に開かれた佐伯祐三Click!の個展について、少し前にプロフィール写真を掲載して記事Click!に書いた。下落合のアトリエで制作されたと思われる、静..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2008-03-28 00:00

松下春雄の住まいと佐伯祐三が見た光景。
Excerpt: 松下春雄Click!は、1925年(大正14)に池袋の上屋敷Click!(西巣鴨町池袋大原1382番地の横井方)から、下落合1445番地の鎌田方Click!へと転居している。これが、松下が落合地域へ足..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-03-29 00:01