林芙美子の「お化け屋敷」を拝見する。

 

 林芙美子は、自宅のことを「お化け屋敷」と呼んでいた。四ノ坂にある、現在の林芙美子記念館Click!のことではない。同じく下落合4丁目(現・中井2丁目)の五ノ坂Click!脇、中ノ道に面して建っていた大きな西洋館の自宅のほうだ。この洋館は、先住者が地主から土地を借りて、シカゴ風のアメリカ住宅カタログを見ながら、大工に頼んで建ててもらったものだ。下落合に建つ大正期の西洋館群を見ると、当時の日本の大工が、ほんとうに器用だったかがわかる。
 林芙美子は、1932年(昭和7)からこの西洋館を借りて、夫の洋画家・手塚緑敏とともに住みはじめている。その貴重な内部写真を、ある方が探し出してわざわざお送りくださった。1938年(昭和13)に発行された婦人雑誌『スタイル』10月号から、林邸訪問の記事を引用してみよう。
  
 この家は、前の持主がアメリカのカタログの絵をみて、市俄古あたりの郊外の住宅を真似て建てた家なさうで、林さんのお話では、界隈の画家が始終画題にしてゐる建物だといふことです。さういへば、このあたり、下落合一帯は、昔から画家とソシアリストの棲んでゐた町、セザンヌの印象派の流行つた古い昔から、東中野駅附近の盛り場を中心に、キユウビスト達やダダイスト達、当時アバンギヤルトなモダニストが次々と集つてゐた東京の片隅。
 林さんがこの家にお住みになつたのはもう八年(ママ)ほども前のことださうですが、この家はもつともつと昔から十幾年も前から建つてゐたさうで「お化け屋敷 お化け屋敷」と林さんは笑ひながら仰つしやいます。  (同誌「お住居拝見/林芙美子さんのお家」より)
  
 1932年(昭和7)に引っ越したはずなのに、林はこのときの取材に対して8年前から住んでいると答えているのが、ちょっと不可解でわからない。
 
 この洋館2階の奧には、書斎として造られた畳敷きの部屋があり、林はこの屋根裏部屋を10畳大の部屋を改造して書斎にしていた。その隣りが3畳大の化粧室、つづいて手塚緑敏の洋間書斎とアトリエが隣接していたようだ。広いアトリエは寝室としても使われていて、片隅にはベッドがふたつ並んで置かれていた。このアトリエから、2階のバルコニーへと出ることができ、夫妻は窓際に鳥籠を置いて、2羽のヤマバトを飼っていた。
 南側に向いたアトリエのバルコニーから外を眺めると、下落合から上落合のバッケが原Click!までがよく見わたせただろう。手前を西武電気鉄道が通り、その向こう側には、林が「落合川」と読んでいた妙正寺川が流れている。林が“ムウドンの丘”と呼んだ段丘、古屋邸Click!のある五ノ坂の斜面に、借家にしてもようやく住むことができた感慨はひとしおだったろう。
 
  
 部屋数は応接間、食堂、隠居間、二階に洋間書斎、アトリエ兼寝室、化粧室等。応接間には旅のお好きな林さんが、あちこちで集められた地方の農民人形が列べてあつて、その中に大師さまのだるまが幾つもあるのですが、著作が一冊出るたびに、あのだるまに眼玉を一つづゝ入れるのですと仰つしやいます。お茶をもつて出ていらしつた黒い瞳のお嬢さんは、とてもくすんだインキ色の細かい柄の何か日本のキモノの布地の少女服で、この家のアトモスフエアのやうなお好みで、モデイリアニの少女みたい。 (同上)
  
 1階には、かなり広めの応接室に食堂、隠居部屋、そしておそらくバス・トイレしかなかったようだ。夫妻は、おもに2階ですごしていたものだろう。女中と思われる少女に、おそらく江戸小紋かなにかの和服地で仕立てた洋服を着せ、記者へお茶を運ばせている。乃手のハイカラな生活を満喫している、林の満足げな表情が目に浮かぶようだ。
 
 でも、ほどなく夫妻は、同じ中ノ道に面した斜面の土地を手に入れ、四ノ坂の下へと転居Click!している。そこに建てられた家は、五ノ坂での生活とはまったく正反対の日本家屋だった。みずから「お化け屋敷」と呼んだ広い西洋館での生活は、彼女の性には合わなかったらしい。

■写真上は、下落合2133番地にあった林芙美子邸。は、その庭で撮られたらしいショット。
■写真中上は、赤レンガ造りの門。油絵の具で、「手塚/林」と描いてあるようだが、モノクロ写真でよくわからない。は、1938年(昭和13)ごろに作成された「火保図」。この地図の取材者は、門柱の「手塚」を誤って「牛塚」と記録してしまった。「火保図」にみえる家々の苗字は、この「牛塚」家の例に限らず、かなりいい加減に採集されているのが散見される。
■写真中下は、庭から見た応接室と、林芙美子が立つ奧が玄関。応接室の下には、地下室もありそうだ。は、玄関を入ったところで、階段の踊り場には「ラフアエルの石版画」が架かる。
■写真下は、洋風なデザインの手塚緑敏の書斎。は、バルコニーから上落合方面の眺め。窓辺に鳥籠が置かれ、正面の煙突は三ノ輪湯だろうか。その手前を、西武電鉄が通っている。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    夕べのネットダウンは、ちょっと時間がかかりじれったかったですね。
    nice!をありがとうございました。>takagakiさん
    2007年12月11日 18:14
  • ChinchikoPapa

    チャッピィーさん、人形がかわいいです。nice!をありがとうございました。
    2007年12月11日 18:15
  • ChinchikoPapa

    xml_xslさん、音楽への情熱とご造詣の深さにただただ驚嘆するばかりです。
    JAZZページを中心に、楽しませていただいています。nice!をありがとうございました。
    2007年12月11日 18:19
  • ChinchikoPapa

    職人の技シリーズ、いつも興味深く拝見しています。実はいま、古墳刀の大鍛治(タタラ)と小鍛治(刀工)の勉強をしてまして、1500年以上も前から折り返し鍛錬技術が一定水準にまで「完成」していたのに驚いています。
    nice!をありがとうございました。>一真さん
    2007年12月11日 18:24
  • ChinchikoPapa

    デザイン屋さん、ご評価いただきありがとうございます。
    2007年12月12日 23:52
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2009年09月27日 23:19

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