松下春雄の「下落合風景」は悩ましい。(1)

 

 戦時中、松本竣介Click!が近所を描いたとみられる「下落合風景」の悩ましさについて、以前に書いたことがある。建物のかたちを変えたり、本来はなにもないところに大きな建物を描いてみたり・・・と、下落合の実景から大きくデフォルメし、彼なりの感覚で消化し再構成して描いてしまっている。だから、なかなか描画ポイントを特定するのがむずかしい。松下春雄Click!も、たくさんの「下落合風景」を残しているけれど、やはりどこまでが実景でどこからが創作なのか、曖昧で不明な点が多い。松下の場合は水彩で描かれた絵も多く、佐伯の油絵のようにクッキリとしたかたちを結ばず、よけいに曖昧な表現になりがちなのかもしれない。
 松下春雄は、目白文化村Click!のことを一貫して「下落合文化村」と呼んでいたようだ。下落合の丘上にあるので、地名をそのままかぶせてそう呼んだのかもしれない。でも、彼の「文化村」の概念は、箱根土地が造成した「目白文化村」エリアの外側まで、どこかはみ出して指しているようなニュアンスが感じとれる。つまり、のちに下落合の住宅地全域を指して「文化村」と呼んでしまう曖昧さ(中村彝Click!を定期的に訪問していた中村秋一Click!のようなおおざっぱさ)が、すでに当時の人たちの間で形成されていたのかどうか?
 地図を眺めながら地域名や町名に、ことさら几帳面にこだわった形跡のある佐伯祐三Click!とは、そこが松下の大きく異なる点であるように思う。だから、その曖昧さがよけいに描画場所の特定をむずかしくしていると言えそうだ。また、佐伯のように「制作メモ」Click!のようなヒントを残してくれているわけでもない。さらに、デフォルメや創作・再構成が加わると、どこまで描かれた風景を信用していいのか不安になるのだ。
 ここに、1925年(大正14)に描かれた水彩画『五月野茨を摘む』という作品がある。地形を見ると、画面の右手がやや上がって、左へ行くにしたがって下がり、樹木の向こう側では急激な落ちこみ方をしている。正面には、かなり高めの水道タンクが見える。当時の下落合で、この風景に合致する場所はたった1ヶ所しかない。目白文化村の第一文化村に造られた水道タンクを、落合小学校側の尾根道から描いていると思われる。おそらく初めて目にする、第一文化村の水道タンクだ。このぐらいの描き方なら、下落合のどこの情景かは即座にわかるのだが・・・。
 
 この水道タンクの姿を見て、なぜ地形がゆるやかな下り斜面にもかかわらず、第一文化村の水道タンクを設置できたのかが、ようやくわかったような気がする。この水道タンクは、第一文化村よりも地面が一段下がっている位置に設置されており、それが長い間のナゾだった。通常、水道タンクは配水する地面よりも、できるだけ高い位置を選んで設置するのが普通だ。地下水をポンプで汲み上げてタンクに蓄え、その落差圧を主体に配水する当時のしくみとしては、そのほうが自然だったろう。でも、この水道タンクを見て納得した。第二文化村の水道タンクClick!とはまったく異なり、タンクの高さが並みではない。おそらく4~5階建てのビルぐらいの高さはありそうだ。これなら、地面が少しぐらい低くても、それほど負荷を気にせずに水道水を供給できただろう。
 手前で野バラ(当時のギル邸をはじめ下落合で流行したモッコウバラClick!だろうか)を摘んでいる、犬を連れた少女たちは、刑部人(おさかべじん)Click!の『初秋の庭』(1929年・昭4)に描かれた、あるいは当時の岸田麗子Click!の写真と同様に、麦藁帽子とワンピースとタイツがみんなそろって白づくめという“お約束”のコスチュームとなっている。右手は箱根土地本社の庭園(不動園)の一画と思われ、左の画面外には谷底へとくだる小路があり、そのさらに左側には落合尋常小学校の明治期に建てられた古めかしい校舎が、新築に備えて壊されかけているはずだ。
 とてものどかな下落合の風景なのだけれど、すぐに不自然な点に気がつく。水道タンクの下にあった、地下水を汲み上げるポンプ建屋はどこだろう? 左手の崖は、文化村の住民たちがスキーやソリ遊びを楽しんだ「スキー場」Click!なのだが、その尾根上に建っていた文化村の作業員宿舎、あるいは資材置き場と思われる建築群はどこへいってしまったのか? さらに、手前の道を落合小学校前の道だとすると、前方に見えている住宅や水道タンクが少し近すぎるのだ。
 
 この『五月野茨を摘む』には、本作を描く前のスケッチと習作と思われる2点の絵が残っている。それを観ると、本作とはパースペクティブが一致しないばかりか、スケッチには正面の水道タンクが描かれてなかったりする。また、住宅の位置も微妙に変化しているのが見てとれる。もし、当時のスケッチと思われる絵が実景に近いとすれば、そもそも第一文化村の箱根土地本社付近ではない可能性も残るのだが・・・。
 松下春雄は、1925年(大正14)ごろから1927年(昭和2)ぐらいまで、一時は自身のアトリエClick!があった付近を含め、たくさんの「下落合風景」を描いている。しかし、佐伯作品のように、はっきりと場所が特定できるような描きかたをしている絵は、それほど多くはない。松下が描く昔日の下落合の風景を、これから少しずつご紹介しようと思っている。

■写真上は、1925年(大正14)に松下春雄が描いた水彩画『五月野茨を摘む』。は、第一文化村の水道タンクがあったあたりの現状と、松下作品から想定した水道タンク想像図。山手通りと十三間通り(新目白通り)の交叉点、北側の排気塔手前にある横断歩道あたりの斜面にあった。地面に着けてイラストを入れたが、実際の斜面はもう少し上で水道タンクは空中の位置になるだろう。
■写真中は、1926年(大正15)に作成された「下落合事情明細図」にみる描画ポイント。は、1936年(昭和11)の空中写真にみる同界隈。
■写真下:同年に描かれた、本作の別バージョン2点。はスケッチで、は習作と思われる。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    いつもnice!をありがとうございます。>Krauseさん
    2007年11月18日 00:03
  • ChinchikoPapa

    お読みいただき、ありがとうございました。>一真さん
    2007年11月18日 00:04
  • ChinchikoPapa

    はっこうさん、ご評価をいただきありがとうございます。
    2007年11月19日 00:21

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