蛍狩りの茶番はキツネに化けて。

 「茶番」という言葉がある。「茶番劇」なんて言葉もあるけれど、江戸の街中で行われていたそれが、どのようなものだったのかは、案外知られていない。大震災にも大空襲にも遭わなかった、江戸期からのお宅には、ときどき茶番道具が伝わっていることがある。茶番で用いる品々を売る、コスプレ屋さんまでがあった江戸の街角、はたして茶番とはどのようなものだったのだろうか? 
 茶番には、おおまかに分けて「野茶番」(外茶番)と、「仕方茶番」(口上茶番)とがあった。野茶番とは、文字どおり野外で行われる茶番劇であり、仕方茶番とは室内で行われるものだった。たとえば、野茶番はどこかの混雑する街角で、いきなり敵討ちの場面が幕開けとなる。水茶屋に腰かけた武家に対して、娘と少年がいきなり「とうとう見つけたり、おまえこそ亡き父上の敵(かたき)!」などと言って、刀の柄に手をかけて双方がにらみ合う。街を歩いている人々は、ほんとうの敵討ちが始まったのだと思い、当然のことながら黒山の人だかりとなってしまう。
 ところが、さんざん敵同士が名乗り合って口上を述べたあげく、いざ斬り合いへと鯉口をきりそうな刹那、見物人たちに混じった“さくら”のメンバーが三味線の音とともに踊り出し、ついでに敵同士がいきなり踊り出し・・・と、ここでようやく野次馬たちは、これが茶番劇だったことに気づき呆れてさっさと立ち去るか、あるいは一緒にうかれて街角で踊りまくるという寸法だ。
 野茶番に対して仕方茶番は、料理屋や茶屋、寮(別荘)などの室内で行われるもので、街角でどっきりハプニング的な、一般の人たちを巻きこんだ出たとこ勝負のような要素はまったくない。あらかじめ茶番の寄り合いという“お約束”ができていて、いろいろな道具を使ってシャレ飛ばしたり、物まねや落語のような口上自慢・洒落自慢を繰り広げるものだった。たとえば、「きょうは河岸で活きのいい鱸(すずき)を仕入れたはずなんだが、生簀へ入れといたら澄んだ水でこうなりやした」・・・と、皿に載せた薄(すすき)を出したりする。だから、野茶番のような緊張感もゲリラ演劇的な攻撃性もなく、いたって穏健な遊びだった。
 
 岩波文庫に、このような茶番をなによりも楽しみにしている人々を描いた、瀧亭鯉丈の『花暦八笑人』がある。江戸中後期に書かれたもので、1942年(昭和17)に岩波文庫へ収められたが、現在は絶版となっている。「八笑人」とは、もちろん陰陽道の「八将神」をもじったシャレだが、遊び好きでオバカな茶番好きが8人集まって、江戸の随所で茶番劇を繰りひろげる。わたしが子供のころ、この本の面白さをまったく理解できなかったが、いまではニヤニヤしながら読めるようになった。ときどき寝転んでクスクスする、わたしの好きな1冊となっている。
 面白いのは、フィクションとしての茶番劇が、現実に追いこされ、ついには呑みこまれてしまうということ。敵討ちの茶番を演じていたら、助太刀を申し出る武家が現れて追いかけまわされたり、両国橋から大川への身投げ茶番では、止めに入った人との間で悶着が起きたりする。つまり、虚構としての茶番がリアル=現実に、一貫して“復讐”されてしまうというストーリーなのだ。最後にはドタバタ劇となってしまい、くだらないお決まりのオチなのだけれど、フィクションを超えて現実が介入してしまう予定不調和な筋立てを描く、これまたフィクションとしての『花暦八笑人』が、なんともいえずおかしいのだ。この感覚、たとえば斬り合いのまっ最中に、「ええい控え控え、控えおろ~! この紋所が目に入らぬか!? このお方をどなたと心得る!」と、葵紋入りの印籠をかざすちょっとイカレた3人組に、「しゃらくせえ、とっととやっちまいな!」と、水戸黄門に助さん格さんが斬られて死んでしまうおかしさ・・・とでも表現すればいいのだろうか?
 
 その1篇に、神田上水の高田を舞台にしようとする、蛍狩りの茶番が登場する。この本は文化文政時代に書かれているから、江戸市街の蛍狩りといえば、姿見橋Click!や幕府の馬場Click!があった高田界隈であり、天保以降とみられるさらに上流の下落合や上落合の名物「落合蛍狩り」は、いまだブームになってはいない。蛍狩りついでに野茶番を企画するのだが、そんな田舎で茶番劇をやって、いったいどこの誰が見物するの?・・・と、ハタと気がつくオバカな8人組なのだ。
 茶番の舞台は、「野(外)」ではなく近くの料理屋へと移され、羽織のお尻にキツネの尻尾を下げて出かけ、店じゅうを化かしてやろうとくわだてるが、計画倒れになって実現しない。かわりに舞台となったのは、雑司ヶ谷(目白駅の内外)にある大名下屋敷での忠臣蔵茶番だった。ちなみに本書の記述では、高田あたりにはキツネや大神(ニホンオオカミ)が出没していたことになっている。下落合界隈でキツネが目撃されたのは戦前で、下落合駅付近から上落合にかけてが最後のようだ。わたしの知る限り、「大神」様の伝承とともにニホンオオカミについての記録は見あたらない。
 『花暦八笑人』の著者・瀧亭鯉丈は、幕末から明治にかけて活躍した台本作家の河竹新七(のちの黙阿弥)が、ひそかに私淑していたことでも知られている。『花暦八笑人』は、若いころに放蕩をつづけた黙阿弥の愛読書だった。黙阿弥の複雑重層的で皮肉で、それでいて洒脱でユーモアあふれる筋立てや筆運びは、鯉丈のオバカ茶番が出発点だったようだ。

■写真上:絶版になって久しい、岩波文庫の瀧亭鯉丈『花暦八笑人』(白213/1942年)。
■写真中は、当時は蛍狩りの名所だった高田にある「高田富士」の山頂。は、大橋(両国橋)から大川へ身投げ茶番をし、間が悪くスイカ売りの舟へ落ちて大怪我をしてしまうマヌケぶり。
■写真下は、落合の蛍狩りを描いた三代豊国/二代広重合作による『江戸自慢三十六景(興)・落合ほたる』(新宿歴史博物館蔵)。二代広重が描く背景の丘が、下落合の目白崖線だ。は、瀧亭鯉丈に大きな影響を受けたとみられる、1878年(明治11)に撮られた河竹黙阿弥のポートレート。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    takagakiさん、またまたありがとうございました。
    2007年10月02日 23:07
  • Nylaicanai

    茶番、ちゃんとした意味のある言葉だったのですね。
    まったく知りませんでした。
    おまけに、落合が蛍の名所だったとは……。
    乙女山公園のそれは、歴史を踏まえていたんですね。
    2007年10月03日 12:24
  • ChinchikoPapa

    Nylaicanaiさん、コメントをありがとうございます。
    「落合ほたる」の三代豊国・二代広重も、そういえば“下落合を描いた画家たち”に含めなくてはいけませんでした。幕末から明治にかけては、下落合の氷川明神あたりからさらに上流の、見晴坂や六天坂の下あたりも、蛍狩りに訪れた人たちがたくさんいたようです。
    わたしの家は空襲で焼けてしまったので残りませんけれど、焼けなかった旧家にはおかしな茶番道具がときどき伝わってたりします。妙な衣装や、なんの用途に用いられたのか不明な、妙な道具や玩具類は、たいがい茶番劇で使われた道具類みたいですね。江戸の街中には、茶番衣装や茶番道具の専門店まで営業していたといいますから、茶番仲間や茶番連の数は相当多かったんじゃないかと思います。
    2007年10月03日 13:53
  • ChinchikoPapa

    ごていねいに昔の記事へも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2010年08月04日 14:37
  • ChinchikoPapa

    暑さが並みでない日々がつづきますが、くれぐれもご自愛ください。>一真さん
    2010年08月04日 14:45
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
    2014年05月31日 20:47

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