佐伯祐三の「テニス」を細見する。(上)

 新宿歴史博物館に収蔵されている、佐伯祐三Click!が1926年(大正15)10月11日に描いた『下落合風景』の「テニス」を、新宿区のご好意でじっくりと観察させていただいた。展覧会などでは何度も観ているのだけれど、これだけ間近でしみじみと観賞したのは1980年代以来のことだ。以前、落合第一小学校の校長室に架けられていたとき、すなわち1987年(昭和62)9月の創形美術による修復が行われる前、じっくり観賞したことがあるが、修復後の詳細な観察はこれが初めてのことだ。
 学芸員の方々が、収蔵庫から「テニス」を会議室へ慎重に運んで来られたとき、本作はこれほど大きかったのかと改めて感じる。展覧会の広い空間で眺めていると、それほど大くは感じないのだけれど、小さな部屋で観るとその大きさに圧倒される。『下落合風景』シリーズClick!の中でも、50号キャンバスと最大サイズの作品だ。佐伯の『下落合風景』は、そのほとんどが15号か20号のキャンバスに描かれており、この「テニス」のみが例外となっている。ひょっとすると、佐伯祐三の作品頒布会向けではなく、最初から寄贈用として特別キャンバスに制作したのかもしれない。
 80年代に観察した「テニス」は、四隅のクラックと厚塗りされた部分の絵具の剥離/剥脱が痛々しかった。当時、描かれてからすでに60年の時間が経過し、50年もの間、落一小学校の校長室に架けられていたのだ。木枠にキャンバスを張るときの張力や、木枠自体の乾湿によるゆがみもあって、絵の四隅には佐伯作品ならずとも少なからずクラックが生じる。また、ニス塗りのテクニックとの関わりもあるのかもしれない。朝日新聞社と講談社の『佐伯祐三全画集』では、わたしが80年代に目にしたボロボロに傷んだ、懐かしい「テニス」を見ることができる。佐伯の作品に、クラックや絵具の剥離/剥脱が多いのは、彼が独自にこしらえ上げたキャンバス(画布)の影響が大きいといわれている。
 
 わたしだけでは、もちろん油絵の知識には限界があるので、佐伯の東京美術学校(現・東京芸大美術学部)のずーーっと後輩にあたる、美術がご専門の知人をスーパーバイザーに誘って、「テニス」を拝観することにした。わたしの目的は、3つほどあった。その1つめは、佐伯が作っていた、オリジナル画布の観察だ。彼が手作りをしていた独自キャンバスを、ぜひこの眼で見たかったのだ。その手作りの様子は、佐伯アトリエの近所に住んでいた洋画家・鈴木誠が、1967年(昭和42)の『みづゑ』1月号で詳細に記録している。少し長いが引用してみよう。
  
 どうやら夏のような気持がする時だった。落合の画室に彼が懸命にカンバス作りに忙しい所へ私は訪ねたらしい。画室の庭は一面に白く塗った手製のカンバスが乾してある。(中略)
 勝手口の井戸の横手で、七輪を持出し、三千本(?)とかいう粗末な「にかわ」をアルミの鍋の沸騰した湯の中に入れる。攪拌してよく解(ママ)けた頃、油(恐らくボイル油でなかったか)をビール瓶から入れる。続いて当時高級洗濯石鹸のマルセル石鹸を「ワサビオロシ」でおろして入れる。しばらく攪拌して水と油のエマルジョンが出来た頃、胡粉を入れて出来上り。先に用意した麻布を張ったモノに大きなハケで次々と塗って天日に干す。たるんでいた麻布もピンとして早速使えるようになるという寸法であった。
 実はこのカンバスに私は私なりに大変不安を感じた。特に洗濯石鹸のアルカリが顔料の種類によっては相当悪い影響を及ぼすのではないか、ということを素人ながら心配なので論じ合ったようにも記憶している。(中略) このようにして出来た彼のカンバスは、表面に充分解け切らないにかわのツブツブがあったり、糸クズが浮いていたり、甚だしいのはすでに油やけのしみが浮かんでいるという、ずい分お粗末というか乱暴なモノだった。私も一、二枚もらって描いて見たことがあったが、ちょうどドミアブソルバンドの布のようで、絵具の吸着具合は大変描きよいモノだった。この特別の筆触は彼の作品には非常に好都合で、相当厚塗りをしてもすぐその上に絵具を重ねることが出来、一気にあのような作品を造り出すことは市販の布では求めることが出来なかったのであろう。
                           (鈴木誠「手製のカンバス-佐伯祐三のこと-」より)
  

 
 
 目的の2つめは、佐伯が第二文化村にあった益満邸のテニスコートClick!前で、いったいどのような仕事をしていたのか?・・・ということ。この特大の50号もある作品は、ほんとうに1日で一気に描きあげられたのか、それとも何日かに分けて描きつづけられたのか・・・という、他の作品にもつながる重要なテーマだ。佐伯の制作メモClick!に記載された仕事ぶりが、事実かどうかをぜひ確認したかったのだ。そして3つめは、作家の芹沢光治良が報告しているように、あとからアトリエなどで加筆された箇所が、どれぐらいの割合で想定できるのか?・・・という課題。アトリエで加筆して仕上げなければ、「タブローにならない」と発言する佐伯の仕事ぶりはほんとうだろうか?
 まず、生キャンバスの表面の様子を観察したいため、特別に額からキャンバスを外していただく。ところが、木枠の縁に露見すると思われた生のキャンバス地は、創形美術の修復のため丹念に薄黄色の保護材で覆われていてまったく見えなかった。いや、キャンバスの縁ばかりでなく、裏面全体にわたって黒い防湿板が張りめぐらされ、木枠が変形してキャンバスの張力が変化しないよう補強材と、独特な形状のコッパが随所に設置されている。1987年以前とは異なり、「テニス」のキャンバスは完璧に補修されていたのだ。
 せっかく絵を額から外していただいたのに、生のキャンバス表面の様子を観察することはできなかった。しかし、画布の生に近い表面は、画面の中の思わぬところに露出していた。絵をなめるように観察していたら、画面のいちばん右端、益満邸の一部を描いたと思われるような白っぽいフォルムが見えるあたり。この部分には絵具がほとんど乗っておらず、限りなく生に近いキャンバス地が露出している。これは、いったいどういうことなのだろうか?
 佐伯独自の手作りキャンバスの表面は、塗布した素材から色合いを想像すると、おそらくベージュがかった白っぽい色をしていたろうと思われる。この画布は鈴木誠も指摘しているように、ことさら油絵具の乗りがよく筆運びもスピーディに行えるため、佐伯が生涯愛用していたものだ。そのせいか、佐伯の画面は経年変化が激しく、同時代の画家たちの作品よりも絵具のひび割れや剥脱が特に多い・・・という弱点が生じることになった。でも、視点を変えるなら、絵具を厚塗りする必要がない部分、ホワイト系の色彩を必要とする部分には、手作りキャンバス地の色合いをベースに透明性の高い絵具による薄塗りで済ませられる・・・という、別のメリットもあったはずなのだ。

 「テニス」の右端には、おそらく益満邸の建物の一部、あるいは邸の南側の庭になんらかの建屋が存在していた。そして、その壁面は手作りキャンバスの地色に近いカラーが塗られていた。いや、佐伯のことだから、仕上げのニスを塗布したあとの色合いまで計算していたかもしれない。彼は、そこへ絵具を厚く乗せる必要を感じなかったのだ。ほとんど生の画布が露出していると思われる箇所は、ブツブツと異物の混じった絵具とは思えない塗料で覆われている。ベージュがかった表面には、大小さまざまのクラックが見え、いちばん大きなヒビを観察すると、なにかかなり分厚く白っぽい塗料が塗られているような質感がある。これが、おそらくニカワ・ボイル油・石鹸・胡粉(パリ時代の成分は違うと思われる)を混ぜ合わせた、佐伯祐三ならではの手作りキャンバスの表面なのだろう。
 ベージュがかっているのは経年によるものか、あるいは修復時に古いニスをすっかり落としきれなかったものだろうか。下層の布地の目がかろうじて見える程度で、表面はまるで高野豆腐かチーズケーキの肌のような質感をしている。でも、大正期に作られた、麻布の織り糸の本数が数えられるほどクッキリとは、キャンバス地を仔細に観察することができなかった。麻布の織り目に、何度か複数回にわたり刷毛で塗り重ねられたニカワや胡粉が、たっぷりと塗りこめられているからだろう。
                                                    (つづく)

■写真上:1926年(大正15)10月11日に描かれた、佐伯祐三『下落合風景』(テニス)とカラーチャート。80年代のくすんだ色合いとは異なり、本来の色彩が鮮やかによみがえっている。
■写真中上:画面の右上と左下に残るクラック跡。補修前は、絵具がキャンバスから剥けて大きく浮き上がりボロボロだったが、創形美術により1本1本がていねいに補修されている。
■写真中下は、「テニス」を額から外したところ。キャンバスの縁は、すべて薄黄色の保護材に覆われて生の画布表面が見えない。は、一面の防湿保護材と思われる板が張られたキャンバスの裏面。また、キャンバスの木枠変形を抑えるため、独特なかたちのコッパが随所に当てられている。支板の1枚には、1987年9月修復の創形美術による補修シールが貼られている。
■写真下:画面右隅の、絵具がほとんど塗られていないと思われる部分と、はその拡大。明らかに、溶けきれていないニカワか石鹸らしい異物の粒々がみえている。ややツルツルした質感は、補修による新しいニスのせいもあるだろうが、佐伯の独自画布に近い状態だと思われる。

この記事へのコメント

  • かもめ

    おっそろしいキャンバスですね。油のためとはいえ石鹸まで入っているとは。これでよく剥落しないものだと、感心してしまいました。この先、保存が大変だろうと想像してます。
     私は日本画系なので、にかわと胡粉の下地を作ります。にじみ防止にドーサ(明礬液)をひくこともありますが、油絵は逆なんですね。三千本にかわは下地に、きれいに彩色したい部分にはパールにかわ(高いんで)を使います。にかわの濃度が極端にちがうと乾燥とともにハゲてしまいます。大家の作品でもヒビや剥げ落ちがひどいものがあって、長く展示されたものはカタログとは大違いに見えたりします。
     画材の貧しかった時代の作品は、これからの保存が難しくなるんでしょうね。
    2007年08月17日 14:57
  • ChinchikoPapa

    かもめさん、コメントをありがとうございます。
    鈴木誠ならずとも、佐伯ならではの独特なキャンバス作りを見た画家仲間には、「ゲゲッ!?」と思った人たちがまだいたように思います。下落合のアトリエで画布作りを実際に手伝った里見勝蔵は、このキャンバスのことをどのように考えていたのでしょう? それに、こうなると里見作品のキャンバス地も、なんとなく気になります。
    「三千本」は、牛からとるニカワで、1頭から約3,000本もとれるからそう名づけられたそうですね。これを、庭先に持ち出した七輪(佐伯はきっとカンテキと呼んでいたでしょうが)で沸かしたアルミ鍋の湯へ入れ、油と洗濯石鹸を加えたら、とんでもない臭気が近所じゅうへ拡がったのではないかと想像します。佐伯独自の調合がされていたでしょうけれど、このようなキャンバス作りの製法を、もともと誰から習ったのかも気になります。
    かもめさんがおっしゃるとおり、佐伯作品の画面の劣化を今後はどうやって食い止めていくかが、大きなテーマとなりつつありますね。美術館などに収蔵されている作品はともかく、個人蔵の作品には潤沢な補修コストがかけられないケースも多いでしょうから、文化財保存や美術の関係者にとっては頭の痛い課題ではないかと思います。
    2007年08月17日 16:11
  • ChinchikoPapa

    takagakiさん、ありがとうございました。
    2007年08月17日 16:12
  • ChinchikoPapa

    nice!をありがとうございました。
     >kurakichiさん
     >さらまわしさん
    2014年10月09日 18:46

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