江戸の「すき焼き」と明治の「牛鍋」。

 いまの東京では、「すき焼き」と「牛鍋」の概念がごっちゃになっている。おそらく大正末ぐらいだろうか、誰かが東京の「牛鍋」を見て「すき焼き」と勘違いし、東京の「すき焼き」は割下を先に入れて肉を焼かない・・・なんて、トンチンカンなことを言い出したようだ。この早合点、またしても三田村鳶魚Click!風に言わせてもらえば、「知れなかったから穿鑿して了解したのであらう。明白に請取れる解説でない」ということになる。江戸/東京の一部をピンポイントで見ても、それが「東京では・・・」とすぐに一般化することはできないのだ。
 東京の「すき焼き」は割下を先に入れる・・・という“神話”は、おそらく関東大震災で復興が遅れた地域(主に濹東地区)の料理屋が関西へといっせいに移転し、それが東京へと一部もどってきた大正末あるいは昭和初期ごろから、広く言われだしたのではないかとニラんでいる。困ったことに、戦前から東京に住む方々の間でも、東京の「すき焼き」は割下を先に入れる・・・なんてことが言われ出し、戦後は多くの料理屋でさえ、そんな説明を平然とするようになってしまった。いまや、一部の百科事典にもそう書かれていたりする。実は、わたしの家では代々、先に割下を入れたりなんかしない。牛肉と長ネギを焼いて、濃口醤油または濃い「すき焼き」だれに酒やみりん、砂糖を少し加えて食い、最後に割下を注ぐのが習慣なので、ずっと不可解に思っていた。
 「すき焼き」は江戸時代からの料理、「牛鍋」は明治以降の料理で、両者はまったく別ものだ。江戸期の「すき焼き」、寛永年間(1600年代前半)の『料理物語』あるいは文化年間(1800年代初期)の『料理談合集』などで、「鋤焼き」とも「すき焼き」とも書かれている料理には、もちろん牛肉は用いられておらず、代わりにガン、カモ、ニホンカモシカなどの肉が用いられた。戦前の東北マタギ(狩人)たちの話では、牛肉よりも美味だといわれるウシ科のニホンカモシカだけれど、天然記念物を食べると逮捕されるので、わたしはいまだこの「すき焼き」を食したことがない。そして、江戸のそこここに見世をかまえていた「ももんじ」屋では、だし汁をはって肉を煮る鍋物とともに、これらの「すき焼き」料理も食されていた。そういえば、江戸期には四つ足の獣肉は食べなかったなんて“神話”もあったりする。江戸の街には、早くから肉料理屋=「ももんじ」屋が点在していた。
 
 明治になると、従来の肉類へ牛肉が加わり、「牛すき焼き」が誕生する。また、江戸の街で特に好まれた鴨肉の「すき焼き」は、ちぢめて「鴨すき」と呼ばれていたけれど、それと区別するために牛肉の「すき焼き」は「牛すき」と呼ばれ、鶏肉を用いる場合は「鶏(とり)すき」と表現されるようになる。江戸期の「すき焼き」の調理法は、今日でいうところの焼肉料理に近い。そして、明治以降の「○○すき」料理も、まさに関西で今日「すき焼き」と呼ばれている料理法にきわめて近いものだ。
 これらの江戸すき焼き料理が発達したのは、濃口醤油や砂糖など調味料の開発と、長ネギや春菊、三つ葉など江戸野菜の豊富な供給とが深く関わっていたと思われる。事実、江戸期の「すき焼き」に加える野菜は今日のものとさほど変わってはいない。また、野田や銚子などにおける辛味の強い江戸紫Click!(濃口醤油)の生産、そして平賀源内が宝暦年間に成功した白糖の精製法とその普及などにより、すき焼き料理を形成する甘辛い風味の“したじ”ベースが完成することになる。
 わたしがよく通っている東日本橋の店は、江戸期からの「すき焼き」料理法をガンコに守りつづけている。もっとも、「牛すき」ではなく、その原型となった「鴨すき」のほうだ。いわゆる牛肉の「すき焼き」用鍋とは異なり、炭火の上に載せる“浅鍋”は、まるで丸みのある「鋤」のようなかたちをしているのが面白い。「すき焼き」が、江戸近郊の農民たちによる「鋤焼き」から発達した・・・という『料理談合集』の記述は、この昔ながらの鍋を見る限り納得できる。
 これが、江戸/東京における本来のすき焼きの姿であって、「割下を先に入れる」と報告されたのはすき焼きではなく、おそらく明治期から急速に普及しだした牛鍋のほうだったのだ。学生時代にときどき通った神楽坂の古い牛鍋屋は、確かに割下を先に入れて肉を煮込むので、おそらくこの様子を見た誰かがその昔、勘違いをして「東京のすき焼きは・・・」と伝えたのだろう。大正の初期、今村繁三Click!が催した牛肉を鍋で“焼”くのではなく、“煮”て食べる会Click!のことを「牛すき焼き会」でなく「牛鍋会」と、日本橋出の曾宮一念Click!ともども誤りなく表現している点にご注目いただきたい。
牛すき.JPG 牛鍋.jpg
 興味深いのは、江戸期の「鴨すき」に加える野菜類が長ネギ、春菊、三つ葉、あるいはキノコ類、焼き豆腐・・・と今日の「牛すき焼き」とほとんど同じだということ。いや、この言い方はまるっきり逆さまで、江戸で人気の肉類と、採れたての近郊野菜を活かした食いもんである「鴨すき」や「アオジシ(ニホンカモシカ)すき」へ、明治になってからそのまま牛肉をぶち込んでしまったのが、今日の「すき焼き」だというのがストンと納得できる仕様なのだ。もちろん、鍋にはあえて割下さえ加えない。江戸の「すき焼き」概念からみれば、割下を加えてしまったら、その時点で「○○すき」ではなく「○○鍋」となってしまうからだ。佐伯祐三が、アトリエで1ヶ月ぶっつづけに食べていた「すき焼き」は、おそらく江戸の「すき焼き」(いま風に言えば関西風「すき焼き」となってしまう)であって、先に割下など加えやしなかっただろう。
 創業140年近いこの「鴨すき焼き」は、わたしの曽祖父の時代から贔屓にしている店で、うちのオスガキどもを含めると、親子5代にわたって通いつづけていることになる。いまの季節、炭火による「すき焼き」はちょっとというか、かなり暑いかもしれないけれど、団扇片手に汗をかきながら江戸の妙味を楽しむのも、また格別なのだ。

■写真上:江戸期からつづく、本来の「すき焼き」の姿を継承した「鴨すき」。
■写真中:この料理屋は、ご主人が江戸切絵図の蒐集家としても知られている。それらの切絵図は、座敷床の軸などにさりげなく架けられているので、「鴨すき」を食いつつそれも楽しみのひとつ。
■写真下は、肉を焼く江戸期の料理法踏襲の「牛すき」。は、割下で煮る明治後の「牛鍋」。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    「Always Say Goodbye」いいですね。Goodbyeとタイトルに入った曲には、好きなものが多いような気がします。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2008年08月04日 11:27
  • ChinchikoPapa

    スギの香りのするウィスキーというの、一度飲んでみたいですね。
    nice!をありがとうございました。>一真さん
    2008年08月04日 11:32
  • ChinchikoPapa

    いまの季節、東京タワーまで歩くのが暑そうですね。
    nice!をありがとうございました。>komekitiさん
    2008年08月04日 11:36
  • sig

    こんばんは。
    江戸/東京における「すき焼き」と「牛鍋」論など、食に対する造詣の深さに驚嘆しながら興味深く読ませて頂きました。
    私の場合は生まれは戦時中。育ちは農家でしたから、ベジタリアンの傾向が強くて、どちらかというと肉よりも魚。たまに少しは豪勢に、などと意気込んでみても、「牛」などは高級すぎて選択肢の中にも入っておりませんでした。今でも高級糧食は身に付かないみたいです。
    Chinchikoさんとはやはり大きな時代の隔たりと育ちの隔たりを感じざるを得ませんね。(笑)
    2008年08月05日 19:24
  • ChinchikoPapa

    sigさん、コメントとnice!をありがとうございました。
    わたしの子供のころは、もちろん「すき焼き」はご馳走で、たまに家で食べるときはワクワクしたものです。あるいは、ちんやとか今半などの専門店へ、ときどき食べに出かけることが多かったですね。
    敗戦から20年以上がすぎた時代を迎え、給食に脱脂粉乳を飲んでいたわたしの世代に比べたら、親の世代が子供のころ、あるいは祖父母の時代のほうが、東京ではよほど贅沢な料理をふんだんに食べ、曾宮一念や木村荘八ではないですけれど、相当に口がおごっていたような気がします。その頃の下町世代が、普段から日本橋や銀座などで食べつけていたものが、わたしの世代では相当なご馳走、あるいは贅沢品のような感触をおぼえるのです。
    それだけ、当時は「うまいもん」があちこちにあったということで恵まれていたのでしょうが、敗戦を境に親の後半生やわたしの世代は、逆に質素になっているのではないかとさえ思います。^^;
    2008年08月05日 23:42
  • sig

    全く同感です。
    先の世代がしきりに「昔は良かった」という言葉を発したのは、多分その通りだったのでしょうね。
    ただ、同じようなことが私たち世代にも言えるかも知れませんね。
    昔、私たちが普段食べていたものが今では高級品ということ。
    例えばクジラ、カズノコ、スルメ…(なんか、せこいなあ)
    でもこれは、それらの資源が少なくなって発生したことで、やはりちょっと意味がちがいますね。(苦笑)
    2008年08月06日 10:17
  • ChinchikoPapa

    そのとおりですね。
    特に魚介類が、子供のころに比べて非常に貧弱になっています。太平洋の黒潮の周囲で獲れる青い魚たち、マアジやムロアジ、シマアジ、サバ、マグロ等々のサイズからして、いまのほうが小さくて味もよくありません。魚屋の店先をのぞいても、昔とはまったく異なり加工品が目立ちますね。三浦や伊豆に揚がるキンメだけは、昔と変わらずに大きくて美味しいのが救いですが・・・。
    目の前に太平洋が拡がる東京や神奈川は、なによりも魚介類がとびきり豊富で美味しいのが、この地域の味覚を形成する大きな基盤のひとつだったはずなのですが、いまの子供たちになかなか味合わせてあげられないのが残念です。
    2008年08月06日 15:22
  • ChinchikoPapa

    こちらにもnice!を、ありがとうございました。>takagakiさん
    2008年08月06日 23:32
  • みみっぱ

    初めまして。
    すき焼きと牛鍋に関する記述、非常に興味深く読ませて頂き、又良い勉強をさせて頂きました。
    今年の4月から、それこそすき焼きをメインに出す所で働く事が決まっているので、余計に興味深かったです。
    これから、更新頑張って下さい。
    2010年01月13日 20:35
  • ChinchikoPapa

    遅くなってしまいましたが、nice!をありがとうございました。>bintenさん
    2010年01月13日 22:18
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2010年01月13日 22:19
  • ChinchikoPapa

    みみっぱさん、コメントをありがとうございます。
    すき焼きは大好きですので、どこかでお会いするかもしれないです。^^ 初乗り、寒そうですけど楽しそうですね。わたしも学生時代、馬に乗っていました。お仕事、お身体に気をつけて。また、お気軽にコメントをお寄せください。
    2010年01月13日 22:31
  • ChinchikoPapa

    大昔の記事にまで、nice!をありがとうございました。>じみぃさん
    2013年01月04日 13:32

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