広々とした間取りの文化村秋艸堂。

 

 のちに会津八一が引っ越してきて、やがて文化村秋艸堂Click!(滋樹園)と呼ばれる第一文化村の邸だ。建築当初は、電気会社に勤務するA氏のお宅だった。総建坪47坪で、A氏自身による設計だった。右手の張り出したウィングの1階には、応接室と食堂が配置されている。また、左側の棟には台所や風呂場があった。玄関の右手には、和室10畳大の居間兼寝室が造られている。
 A邸の各部屋は、建坪が広めのせいかゆったりとした間取りの、余裕のある室内スペースとなっている。2階の部屋も10畳サイズが主体で、10畳の和室と同じ広さの洋間である子供室が造られている。特に、子供室の設計には気が配られたのか、部屋の三方には大きな窓があって、じゅうぶんな採光と通風が得られるようになっていた。外装は洋風だけれど、内部は和室洋室が半々で、現在の住宅建築を思わせる間取りだ。
 書斎はあえて造らなかったようで、広い食堂の一部にコンパクトな机と椅子が置かれて、簡単な事務処理ができるようになっている。食堂の壁には、古代エジプトの絵画が描かれたタペストリーのようなものが架けられ、大テーブルの上には銀製のフルーツ皿をはじめ、同じデザインとみられるキャンドルランプやシュガーケースなどが並んでいるのが見える。まるでレストランのような、当時としてはたいへんおしゃれな雰囲気をかもし出している。
 

 食堂からつづく台所は、案外古風な造りをしているようだ。鍋釜などの器具類は、ハイカラで最新の製品のように見えるが、調理用の電気製品がほとんど見あたらない昔ながらの台所のようだ。めずらしいのは、大邸宅ではなく一般の住宅で配膳室がある点だ。台所で調理済みの料理を、直接食堂へと持ちこまず、配膳室で一度整えてからいっせいに運んでいたらしい。どうやら、家族全員が集う食堂を、A家ではもっとも重要視していたようだ。また、2階の子供部屋はたっぷりとして明るい。写真に写るベビーサークルは、上に蚊帳かグルグル回転する玩具でも吊るすのか、独特な形状をしている。丸テーブルの上には、テニスのラケットがひと組置かれていて、いかにも文化村の家らしい。A氏夫妻は休日になると、文化村のいずれかのテニスコートへ出かけていたのかもしれない。
 A邸の例ではないけれど、目白文化村に建てられた家々では、風呂場のスペースが従来の住宅建築に比べて広いケースがまま見られる。今日の住宅では、まったく不自然さを感じない広さなのだが、当時としてはかなり広めの風呂場と認識されたのではないだろうか? 当時の住宅では、入浴は銭湯へ出かけるのが常識であり、自宅内に内風呂を造ったとしても、大邸宅でもない限りきわめて小さなスペースなのがあたりまえだった。五右衛門風呂のような小さな浴槽とともに、半畳ほどの汗を流せるスペースさえあればいいという、きわめて実用一点張りの考えにもとづいているものと思われる。ところが、目白文化村に建てられた家々を見ていると、単に汗を流して浴槽につかるというだけの用途ではなく、明らかにリラックスできる空間としての浴室・・・という考え方が、すでに生まれているように思えるのだ。今日の住宅では当たり前のコンセプトだけれど、当時としては浴室のスペースが3~4.5畳もあるのは、信じられないほどムダなスペースと映っていたかもしれない。
 
 同様のことが、台所についてもいえる。キッチンが6~8畳サイズもあるのは、間取り設計上もったいないと見られてはいなかっただろうか? ただ当初、目白文化村にはガスがきておらず、すべて電気で調理されていたため、台所には電気製品が多かったという事情もあるのかもしれない。電気レンジや電気オーブン、電気冷蔵庫、電気竈など、日本ではまだめずらしかった家電製品が続々と導入された住宅街でもあった。それらの多くは海外製品だったけれど、昭和に入ると国産品が少しずつ増えてくることになる。

■写真上は、のちに文化村秋艸堂となる第一文化村のA邸。は、A邸跡の現状。
■写真中はA邸の1階にあった食堂で、は台所。は、2階の広い子供部屋。
■写真下:目白文化村ではないが、ほぼ同時期に開発された麹町三番町の文化住宅の内部写真。は、最新式の電気風呂による浴室。浴槽に入れられている棒状の器具が、湯をわかすためのめずらしい電気湯沸器。は、最新設備の広い台所で、左手に電気竈が見える。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    いつもお励ましいただき、ありがとうございます。>takagakiさん。
    2007年07月24日 17:29
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。
    >一真さん
    >kurakichiさん
    2010年07月24日 17:16

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