再現・目白文化村を散歩する吉屋信子。

 アビラ村(芸術村)の丘上、下落合2108番地に住んでいた吉屋信子Click!は、執筆の合い間に、ときどき犬を連れては第一文化村の界隈を散歩Click!していた。彼女の散歩には決まったコースがあったらしく、目白崖線の尾根沿いに走るアビラ村の道Click!を第二文化村まで来ると、おそらく益満邸のテニスコートClick!あたりから目白文化村内へ入り、三間道路のひとつ“センター通り”Click!を歩いて、第一文化村へと抜けていたようだ。特に頻繁に目撃されたのは、ライト風建築で有名なK邸のあるカギ状に曲がった通りだった。
 目白文化村に建っていた家々やその内部の写真を、ある方が大量に探し出してくださった。では、それらの写真を織りまぜながら、1927年(昭和2)4月8日(金)のよく晴れた(東京気象台による大正期の記録より)、暖かくてのどかな春の日の午後、彼女と犬の“シロ”の散歩にちょっと付き合って、第一文化村の散歩コースを歩いてみよう。
  
①S邸(前)とW邸(後)
 -まあ、Sさまのお宅もついにできたのね。屋根がうんと前に張り出して、どこかいま流行りのライト風だこと。その北側のWさまのバンガロー風のお菓子のようなお宅とは、とっても対照的。その向うには、K様のお宅が見えてよ。もう少し樹木が育つと、この通りはすごくステキになるわ。ここまでくると、なんとなく目白文化村の中心に来たって、実感がわくのだわ。ねえ、シロやいくよ、おいで。
 -ワンワン!
 -まあ、シロったら、だめじゃないの! せっかく美しいライト風のご門に、オシッコをひっかけてどうするの! 早くいらっしゃい。ほら、シロや、Kさまのお宅の方に見つかったらたいへんよ。シロったら、こらっ、こっちいらっしゃいってば、早く!
 -ワォンワォン!
②K邸
 -あら、今度は電柱にオシッコ? いい加減になさい! もう信じられないわ、このオシッコ犬。陸軍に寄付しちゃった、村山籌子さんのセパードClick!のほうが、よっぽどお利口さんだったかしら・・・。でも、不思議ね。なんでKさまのお宅の前には電柱があるのかしら? 文化村の電源ケーブルは、みんな共同溝へ埋められてるはずなのに、おかしいわねえ。それとも、これは電話線? あらまあ、シロったら、・・・Kさまのご門も電柱も、オシッコだらけじゃないの!
③A邸
 -そうよ、ここが有名なAさまのお宅ね。あと10年もすると、霞坂から会津八一先生Click!が移ってみえて、文化村秋艸堂になるお宅なのだわ。・・・って、わたしはどうして、そんな先のことまで知ってるのかしら? へんねえ・・・。まだ、お庭の樹木が育ってないから、お家の様子がとてもよくわかるわ。会津先生が住むころには、少し建て増しをされているようね。・・・シロや、ほら行くよ。
④W邸
 -あそこが、ほらシロ、ご覧なさい。お菓子のお家みたいなW邸なのよ。なんとなく、デコレーションケーキの上に載ってる、ウエハースでできたお家みたいでしょ。こちらから見ても、すごくステキね。
・・・あっ、シロや、こっちいらっしゃい! 変な人が来るわ! ダメッ、道の端に寄るのよ。なにかされたらたいへん、怖いわ。見るからに怪しくてよ。きっと、危ない人にちがいない。・・・目つきがおかしいし、変質者してるわ。シロ、じっとしてなさい。
 「あのな~、このへんはな~、小ぎれいな家がぎょうさんありすぎて、あかんねん。わしのモチーフには、ようならん家ばっかやで。・・・ちいとも便所へは、行きとうならんわ」
 -ほら、変なこと言ってる。こらっ、シロ、しっぽ振っちゃだめ! シーッ、目を合わせたらだめよ。
 -ワンワンワンワンワンワン! ワォン!!
 
 -シシ、シロったら、やめて! お願いだから、吠えないでちょうだい! シーッ、変な人だから相手にしちゃダメ! シロ、このまま知らん顔なさい!
 -ワンワンワン! ワォーン!
 「あのな~、おかっぱのお姉ちゃん、犬といっしょにな~、わしの絵のモデルやらへん?」
 -いやっ! あっち行ってください! さ、さもないと、文化村入口の交番に言いつけますわよ!
 「・・・ほな、歌うとうたげるわ。大阪でいま流行っとんのやで。 ♪梅ヶ枝の~手水鉢~叩いてお金が出るならば~、♪もしもお金が出たときにゃ~、・・・そやな、ここいらの風景Click!はたんと描いたさかい、もうええわ。そやそや、今年じゅうにはもいっぺん、巴里へでも行ったろかいな」
 -シロってば、吠えちゃだめ! ・・・いや~ね~、最近はこのあたりも、ときどき変な人が歩いてるのよ。のどかな下落合も、だんだん物騒になってきたわね。・・・シロ、振り返らないの、おいで。
⑤N邸
 -そう、ここが河野伝先生が設計された、おしゃれなNさまのお宅Click!よ。お隣りは、いつまでも空地のままね。わたしのサンポーチ付きのバンガローClick!は、このお家を千代さんと大工さんに見てもらって建てたのだわ。どう、シロ、とってもステキでしょ? 目白文化村の中でも、わたしがいちばんお気に入りのお家なのよ。シロや、もうオシッコはしないわね。そう、いい子、シロはえらいわ。
 -ワンワン!
 -・・・まあ、なにかキネマの撮影をしてるみたいだわ。キャメラがあって、人がいっぱいお庭にいてよ。ねえ、シロ、あれひょっとすると夏川静枝じゃない? まあ、こんなところでロケしてるのね。わたしの本も、そのうち活動になるといいわね。そうだわ、いま構想中の作品、「シロの貞操」って題名はどうかしら? ・・・どうして夫が犬なのかわからないけど、すべてのものには理由があるのだわ、きっと。・・・ほら、シロ行くよ、おいで。
⑥S邸
 -ここが早稲田の先生のSさまのお宅。こじんまりとしているけれど、とっても文化村らしいハイセンスなお宅だわ。なんでも、先生のお妹さまがほとんど設計されたんですってよ、すごいわね~。お庭にシロがいても、似合いそうなお家だわ。・・・シロっ、端へよけるのよ! また、変な人が向こうから来るわ。シーッ、絶対に目を合わせたらダメよ! シロっ、吠えたらだめ!
 -ワンワンワン! ワォン!
 「小学校の悪ガキが、まったく、どいつもこいつもうるさくしおって仕事にならんわ! なにがカステラClick!いちばん電話は二番じゃ。・・・うるさいっ、そこの犬! 文明堂じゃない、秋艸堂じゃ!」
 -シロ、こっちへおいで。早く、知らんぷりするのよ! ま、またブツブツ、なにか独り言いいながら歩いてる、危ない人だわ。
 -ワンワンワン! ワォーン!
 「なにが救世ちゃん焼きClick!じゃ! 実にけしからん! 静かなこのへんに、いっそ家でも買うか」
 -シーッ、シロや、うしろ振り向かないの! ・・・目白文化村も有名になって、近ごろはときどき危ない人たちが入りこんでくるから、いや~ね~・・・。
⑦H邸
 -まあ、シロや、ご覧。おもしろいお家ができたこと! Hさまの親戚の方が、“犬小屋”って言ったらしいんだけれど、ホントね。・・・でも、なんで、わたしがそんなこと知ってるのかしら? ・・・ここは少し前、名古屋高工のAさまの宅地だったのだけれど、その上にHさまが今年、お宅を建てたばかりなのよ。まあ、泥棒よけのとってもノッポな西洋館で、ご門にも「H」って入ってるのがしゃれてること。なんとなく、シロが住んでるお城のようよ、うっふふふ。ねえ、シロや、お前こんなお家に一度住んでみたいでしょ? ・・・ねえ、シロ、なにしてるの?
 -ウウウウ、ワン! ウウウウ・・・
 -ね、ねえ、なに穴掘ってるのよ? ねえ、シロや、・・・ま、まさか、こんなところでウ○コをしないでちょうだい! Hさまのお宅は、あなたの犬小屋じゃないのよ! ねえ、あなたはどこでも野○ソしてしまう佐伯祐三Click!じゃないのよ! シロっ、がまんなさいってば、こらっ!!
 -ワンワン! ウウウ・・・・・・ワォ~~ン!
 
 -もう、ほんっっっとにしょうがない子ねえ! このオバカ犬、きょうはご飯抜きだ! ・・・あら、また変な人がいる。今度は道のまん中で、かっぽれを踊ってるわ! もう、近ごろの下落合はこんな人たちばっかりで、ほんとうに嫌になっちゃう。まあっ、わたしたちの歩く道を“通せんぼ”Click!してるわ。・・・さっ、シロ、早くおいで! いつもの道と違うけれど、この角をさっさと曲がっちゃいましょ。
  
 こうして、吉屋信子は目白文化村を日々散策することで、執筆の気分転換と、創作意欲を取りもどしながら、しつけがまったくなってないシロとともに、第一文化村をあとにするのだった。(爆!)
 第一文化村に建っていた家々については、その内装やインテリアなどの写真も含め、個別に改めて順次ご紹介していきたいと思っている。

■写真上:1938年(昭和13)の「火保図」をベースに、吉屋信子の散歩道を加工。1927年(昭和2)当時とは住民が入れ替わっており、建物もかなり建て替えられたり増築されているのがわかる。
■写真下からへ順番に、は、K邸から南へ50mほどの同じ道沿いに建っていたS邸。は、ライト風建築のK邸。は、のちに会津八一が移り、文化村秋艸堂(別名・慈樹園)となるA邸。は、ウエハースの家のようなデザインの大きなW邸。その下が、昭和10年代に撮影されたとみられる、文化村秋艸堂前の道と現在の姿で、モノクロ写真の佐伯祐三は合成。山手通りの排気塔が目ざわりだ。は、サンポーチが目立つ河野伝設計のN邸。は、女性が設計した瀟洒な洋館のS邸。は、背の高い独特な西洋館H邸。その下が、当時の面影がそのまま残る門柱と通りの現状。

この記事へのコメント

  • ponpocopon

    >とてもおもしろかったです。
    個性的で素敵な家ばかりですねぇ。最近は耐震性を考えてか、真四角の家ばかりが目立ちます。地震が来ると見るからに立派な瓦葺の家が被害にあってしまうので仕方ないのかな。実用性と美しさと経済性は一致しないのかしら・・・。まあ、なんといっても命が一番大切なのだけれども・・・。
    2007年07月12日 21:54
  • ChinchikoPapa

    takagakiさん、nice!をありがとうございます。
    2007年07月13日 11:52
  • ChinchikoPapa

    ponpocoponさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    文化村の家々は、建て主がデザインや間取りを企画して、設計に大きく関与している家がほとんどです。建築家や大工さんへイメージを伝えて、そのままおまかせで建てた家というのは、非常に少ないようです。細部にいたるまで、建て主が指示だししているケースが多いですね。
    だから、きっと今日の建築力学的にみれば、素人が設計した地震に脆弱な家も数多くあったと思うのですけれど、関東大震災では揺れが小さかったのか、被害を受けているお宅は皆無のようです。
    あと、家具調度など当時はいまほど多くはなく、重たい家電製品も少なかったので、揺れに対する負荷が比較的少なかったのかもしれませんね。
    2007年07月13日 12:06
  • ChinchikoPapa

    なおきさん、nice!をありがとうございました。
    2007年07月16日 12:12
  • ChinchikoPapa

    遅ればせながら、こちらにもnice!をありがとうございました。>一真さん
    2010年04月13日 17:35
  • 長内敏之

    できれば教えてください。
     目白文化村のN氏邸に「河野つとう」の設計と出てきますが、その名前はどのように出てきているのでしょうか。河野つとうは、ライトの下で働いたことがあり、箱根土地に入社後、軽井沢グリーンホテル(初代)を設計したようです。しかしその後は、一般の住宅、ドイツ式なども手がけたのではないかと思っています。
     国立駅舎は、ドイツ民家風という説もありますが、「ライト式のベテラン、河野某」の設計という話が伝わっています。
    2010年05月19日 14:09
  • ChinchikoPapa

    長内敏之様、コメントをありがとうございます。
    さっそくお訊ねの件ですが、N邸=中村邸が河野伝による設計というのは、住宅総合研究財団が1989年に第一文化村へ取材を行った際、同邸の中村様より直接聞き取り採取された情報かと思われます。同財団の報告書としましては、1989年末に発行されました『「目白文化村」に関する総合的研究(2)』の81ページに、その経緯が紹介されています。また、1991年に日本経済評論社から出版されました、野田正穂・中島明子編『目白文化村』の113ページにも同様の記述が見えます。
    あるいは、中村邸が建設されてから間もない1924年(大正13)に、『主婦之友』の記者が同邸を取材しているのですが、同年2月号の記事中にも施工主である中村政俊氏からのコメントとして、河野伝の設計に触れられていたかと思います。同記事は、こちらでもかなり前にご紹介していました。
    http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2007-07-08
    お役に立ちましたでしょうか?
    2010年05月19日 16:16

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