1925年(大正14)に出版された『中央美術』6月号に、面白い企画がある。美術分野の画家や評論家へアンケートを発送し、その回答をまとめて掲載しているのだ。中にはつまらない質問もあるけれど、几帳面でマジメに答える人、面倒だったのかほとんど答えない人、読者を笑わせようと腐心している人などさまざまだ。アンケートの質問は、次の10項目。
一、貴方は毎朝何時にお起きになりますか。
二、床屋へは何日隔き若しくは何ケ月隔き位ゐに行かれますか、失礼ですが。
三、御酒と煙草はどれくらゐ召し上りますか、序でに御愛用の品種を。
四、御健康を保つ上に何か特別の養生法をおやりになつて居られますか。
五、奥様をお呼びにになるのに常々どういふお言葉をお用ゐになりますか。
六、此の世で一番憎らしいとお思ひになるものは何んですか。
七、貴方がお得意とする隠し芸を。
八、貴方の娯楽と道楽をお聞かせ下さい。
九、一ケ年を通じての御制作は平均どれ位ゐになられますか。
十、和歌、俳句、短詩、都々逸、端唄――何んでも一ツ二ツ御近作を。
洋画家たちへ和歌や俳句、都々逸に端唄なんていわれても困ってしまううよに思うけれど、岸田劉生Click!なら気のきいた都々逸か端唄をすぐに書きこんだかもしれない。でも、岸田は回答していないようなので、アンケートを無視したのだろう。東京の特に下町では戦前まで(親父の世代まで)、都々逸や端唄のひとつも唄えないようでは、一人前Click!として扱われなかったのだ。
小出楢重は、四の質問に「常々胃液が足りないので蜜柑をたべいゐます」と答えている。胃液が足りない人は、蜜柑をたくさん食べるとよいということだが、この俗諺はわたしが子供のころまで言われていた。また、六のこの世でいちばん「憎らしい」ものは、「くも(虫)が嫌ひで憎らしい」と書いている。未婚の浅野薫は、五の質問に「独身です」とも「妻はいません」とも答えず、「無妻です」と書いた。「ムサイ」という言葉は最近ほとんど聞かれず、おそらく死語になったのだろう。
中原実は「憎らしい」ものがとても多く、「英国人の凡て、殊に殖民地の奴、及び英国製日本人、売女通の医学者、芸術にサランパンの金持ちの巴里通、ヤソの押売、徳川家康、まづい貴族、政治を弄ぶ人間(つまり無能な奴)・・・まだ沢山あり」なんて、回答欄に書ききれないほどの返事を寄せている。さぞ、生きにくい世の中だっただろう。そのほか、特徴のある回答は五の質問、妻を呼ぶときに「オイ」とか「コレ」が圧倒的に多いことだ。ほとんど全員が「オイ」「コレ」で、小林萬吾と村山知義だけが異なる呼び方をしている。
以前、洋画家・金山平三の記事Click!にも登場した池部鈞は、六の質問に“模範的”な回答をしている。他の画家や美術家たちは、「憎らしいもの」をたいてい挙げているのに、池部だけが「生れつき、憎らしいと思ふ事のあまりない人間です」と、きわめて“優等生”的な答え方をしているのが「憎らしい」。また、七の「隠し芸」の質問でも、池部は「ソンナ、気のキイタものは有りません、強いて云へば物を喰つて、味の分る事です」と、ちょっと斜にかまえたイヤミな回答を寄せている。ひとクセもふたクセもありそうな画家仲間では、いかにも浮いてしまいそうな物言いのように感じる。
さて、村山知義Click!の回答を全文紹介してみよう。
一、六時。
二、決して行きません。自分で切ります。
三、エアーシツプ一日一箱、酒飲んでもよし、飲まなくてもよし、飲めば一升位。
四、活力素をのみます。
五、かずちやんとか「オカズコネエチヤン」とかいふだけで、お前とか君といふ言葉は使ひません。
六、立派にウラウチのしてある奴。
七、隠し芸は絶対にありません。
八、なし。みんな本業なり。
九、形成芸術品大小とりまぜ五百点。
十、――詩を書きつゝ眠るなまけ詩人あり、感情は甘く彼の脳を揺すぶりしなり――
当時、「活力素」というビタミン剤でもあったのだろうか。年間の制作点数が、五百点というのはすごい。でも、村山知義ならありそうなことだ。
村山籌子Click!を「かずちゃん」はともかく、「オカズコねえちゃん」と呼んでいたのがおかしい。でも、「はんかちーふとちり紙を出してくれ」なんて、いつもつまらないことを言っているClick!から、「オイ」とか「コレ」とか呼ばれなくてもストレスがたまる一方で、「オカズコねえちゃん」は相当オカンムリねえちゃんだったように思うのだけれど。
■写真上:旧・月見岡八幡社(現・八幡公園)から、村山知義の三角アトリエあたりを望む。
■写真下:左は、村山知義(右)とオカズコねえちゃん(左)。右は、明治末の地籍図にみる三角アトリエあたり。周囲に宅地が建ち始めているが、三角アトリエの敷地はいまだ畑だったのがわかる。
この記事へのコメント
ナカムラ
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
dendenmushi
ChinchikoPapa
村山知義は、いろいろな方面へ手を出していて多才な人ですね。吉行あぐりの店舗設計デザインまでこなしてるところをみますと、知られていない村山デザインの建物などが、ほかにもあるのかもしれません。
演劇は上演されたあと、舞台装置は後世までなかなか残りませんので、撮影されずに忘れられた舞台デザインも、けっこうあるような気がします。あと、映画館の緞帳デザインとかも手がけてますね。