東京には大昔から、小さくて汚い蕎麦屋にうまい店がある・・・という“お約束”がある。別になんらかの根拠や法則性が存在するわけではなく、生簀のある活魚料理屋はマズイ・・・というのと、どこか通じるところがあるかもしれない。生簀のある活魚料理屋だって、今朝とれたばかりの魚を放っていれば、別に身がふやけることもなくうまいのだろうし、大きくて清潔な蕎麦屋が、そろいもそろってみんなマズイとは限らない。
そういえば、子供のころに親父に連れられて入った蕎麦屋は、おしなべてみんな小さくて汚かった。だが、美味しかった。子供のくせに蕎麦の味がわかるのか・・・といわれそうだけれど、これがなぜかわかるのだ。蕎麦や鰻、寿司、天ぷら、各種すき焼き(明治以前はおもに鴨肉の)、丼物、鍋物などなど、地元のざっかけない食いもんの数々は、なにしろ何世代にもわたって形成された舌を受け継いでいるわけだから、あまり自慢できた代物ではないけれど、これ(御城)下町Click!で培われた、ちょっとばかり貧相な「グルメ」というわけだ。
別に、とりたてて好きでもないバカっ囃子を聞けば、あら不思議、身体がひとりでにスウィングしはじめるのと、どこか似ているような気がする。岡本綺堂の随筆集『江戸の思い出』(河出書房新社)を読んでいたら、こんな箇所を見つけた。
●
そば屋は昔よりも著るしく綺麗になった。どういうわけか知らないが、湯屋と蕎麦屋とその歩調をおなじくするもので、湯銭があがれば蕎麦の代もあがり、蕎麦の代が下がれば湯屋も下がるということになっていたが、近年は湯銭の五銭に対して蕎麦の盛り掛は十銭という倍額になった。尤も、湯屋のほうは公衆の衛生問題という見地から、警視庁でその値あげを許可しないのである。
わたし達の書生時代には、東京中で有名の幾軒を除いては、どこの蕎麦屋もみな汚いものであった。綺麗な蕎麦屋に蕎麦の旨いのは少ない、旨い蕎麦を食いたければ汚い家へゆけと昔から云い伝えたものであるが、その蕎麦屋がみな綺麗になった。そうして、大体においてまずくなった。まことに古人われを欺かずである。 (「そば屋」より)
●
銭湯はきれいにこしたことはないけれど、蕎麦屋がやたら店構えが立派だったり、まるで料理屋のようにシャレていたりすると、まゆにツバをつけたくなるのは親父ゆずりなのだろう。「慳貧(けんどん)蕎麦」にこそ、うまい店が多いという伝統。確かに、店は小さくて汚いのだけれど、ハッとするようなうまい蕎麦屋に、いまでもときどき行き当たることがある。
これは、鰻屋についてもいえることで、小さくてボロボロの名もない「う」に、感心してしまうほどのうまい店が確かにいまでもある。確率としては、山手よりも下町のほうが多いようだ。もちろん、店構えも汚ければ味もうまくない蕎麦屋だってたくさんあるのだけれど、岡本綺堂や親父がそうだったように、構えに凝る店ほど味がおろそかになっている・・・という昔からの“思い込み”は、早々この街では消えそうもない。
わたしには、うどんを食べる習慣がない。関西方面の方にこの話をすると、信じられないような顔をされるのだけれど・・・。先週、うちへ泊まりに来た、大学出たての神戸のお嬢様にそういう顔をされ、悔しいさかい住吉はんの「ケツネうどん」を作って食わしたったら、また信じられんような顔されたで。(爆!) 事実、わが家にはうどんを食べるという習慣はついぞなかった。それは、たとえばマグロの刺身といえば赤身の刺身であって、脂身を食べる習慣がないのと同じだ。これは江戸東京に限らず、関東地方に広く見られる食習慣だと思う。湘南でも、わたしが子供のころはマグロの刺身といえば赤身であり、脂身は魚屋の隙をねらう野良ネコのエサだった。
江戸期から、マグロの位置づけ自体が下魚であり、おカネがないときに食べるのが赤身(でも、江戸湾を回遊したマグロは安くてうまいので人気はあったようだ)、脂身を食べるのはよほどの貧乏か、物好きで野暮の骨頂といわれてきたからだ。「さつまいも、かぼちや、まぐろははなはだ下品にて、町人も表店住の者は、食することを恥づる体なり」(『江府風俗志』)・・・なんて記録さえ残っている。昔ながらの頑固そうな寿司屋に出かけて、しょっぱなからトロなど注文すると、「どっから来たんだい?」なんて顔をされるのもそのせいだ。食べて「うまい」ものと食べて「美しい」(格好のいい)ものが、必ずしも一致するとは限らない。全国どこにでもある慣習だけれど、この食の“美意識”は、どこかでこの地域ならではの「食文化」として頑固に受け継がれ、わたしの中にもわずかながら残っている。だから、うどんをあえて食おうとは思わないのだ。
少し前、うちの近所にあった小さくてあまりきれいではない蕎麦屋(もちろん「けんどん蕎麦」だ)が、早稲田に移転してしまった。わたしが味わった目白・下落合界隈の数ある蕎麦屋の中では、もっともうまいと感じた店だった。暮れの年越しも、必ずこの蕎麦屋と決めていた。ところが、下落合の地元では、この“突っけんどん”な蕎麦屋はあまり注目・評価されていなかったようなのだ。おそらく、新乃手と(御城)下町ではうまいと感じる舌の基準も、微妙に異なっているのかもしれない。
この記事へのトラックバック
栗より絶対うまかぁない十三里。
Excerpt: わたしが大の苦手なのが、これだ。食べものの好き嫌いがきわめて少ないわたしだけれど、めずらしく大(でえ)っキライな食いもんというヤツだ。先祖代々、これがわが家の食卓にのぼることはほとんどなかったはず..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-09-19 13:12
蕎麦いらぬ「うなぎ」入谷の鬼子母神。
Excerpt: さて、お盆も終わり墓参りも済んで、精進落としの大川花火大会が開かれる同日、朝顔市が終わったばかりの入谷鬼子母神Click!へ出かけてきた。猛暑日で、境内に並べられた鉢のアサガオは、花はおろか葉までがし..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-08-03 00:02
江戸川乱歩の転居先を追いかける。
Excerpt: 新宿区エリアに残る、江戸川乱歩Click!の足跡を調べていると目がまわってくる。大正期から1933年(昭和8)までの代表作は、ほとんどがこのエリアで書かれているせいか、居住地の周辺が作品の舞台に登場す..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2015-11-20 00:01
この記事へのコメント
豊田
risu
だんだんと、
知らない人相手に商売するようになっているのかな。
まちの食はまちの人とともにあったところが、
都市化や観光化で、
店の小奇麗さを気にするようになっちゃってるのかな。
どちらかと言えば、
小さくて小汚い(言い方悪いですね)ところの方が、
いろんな出会いや話題がありそうで、
断然好みです。
う~ん。
なぜか私はうどん派です。
かもめ
水のよい岐阜や長野山間部、山形あたりに行くと、ソバはだいたいウマイ。ただしツユがダメですねぇ。ダシってぇもんをしらねぇのかいってくらい。
マグロやカツオだって、生のをヅケにしたのが一番うまい。先日、すし屋で出たアナゴなんかまるで煮魚。シャリも湯気の出るようなオニギリで、相手がいなかったら、席をけっているところでした。真っ当な食いモン屋、少なくなりましたよ。ガイドブックなんてつぶれてしまえ。
ChinchikoPapa
そのままの店名で営業しているかどうかはわかりませんが、確か「浅野屋」さんといったかと思います。まだ、おじいちゃんがご存命だった時分からの贔屓なのですが、息子さんの代になり、しばらくしてから移転してしまいました。移転してからは出かけていませんので、同じ味なのかは不明です。
その他、貴重な蕎麦屋情報をありがとうございます。付近を通りましたら、ぜひ立ち寄ってみたいですね。
ChinchikoPapa
いま風の街のたたずまいを考えますと、蕎麦屋もあるていどシャレた店構えじゃないと、集客できないのかもしれませんね。特に、地元に根づくというよりは、駐車場も設けたりして外来者、あるいは行きずりのお客を相手にすることが多くなっているのでしょうか? 華やかな目白通りにも、立派な店構えのお店があるのですが、いろいろ味わってはみても、わたしはつい首を傾げてしまうのです。
お店が「どこを向いているか?」も、重要なポイントかもしれません。地元のリピータを優先するのと、不特定多数の客を相手にするのとでは、おそらく味も変わってくるのではないかと想像してしまうのです。
ChinchikoPapa
東京以外で、わたしが「うまい!」と思った蕎麦屋が2箇所ありまして、ひとつが岩手県の一関で入ったお店です。蕎麦の太さがうどんほどもあり、それがザルで山盛りになって出てきたときには、いったいどうしたもんだろう・・・と思ったのですが(笑)、これがなかなか香ばしくてうまかったのです。
もうひとつが、出雲の山ん中で食べた本場の出雲蕎麦でした。こちらは、蕎麦の上につゆをかけるなんて、いったいどういうことになるんだよ(笑)・・・と思ったのですけれど、つゆ自体がこちらのものとはまったく違うもので、それはそれで関心してしまうほどうまかったのですねえ。
ふたつの店とも、もちろんガイドブックなどにも掲載されておらず、ウンチクもなければ店構えも立派ではないし、ぶっきらぼうに「はいどうぞ!」と置いていっただけですけれど、おかわりをするほど、その地域ならではの“完結した”うまさがありました。お店の人たちは、おそらくそれほど意識的にやっているわけじゃないと思いますけれど、「まっとうな食いもん屋」だと思いましたね。
豊田
ChinchikoPapa
おじいちゃんが亡くなってから、味が変わってしまうかな?・・・と思っていたのに、ほとんど変わりませんでした。おそらく、お話から察しますと、早稲田へ移ってからも、おじいちゃんの代からの味をしっかり守っているんじゃないかと思います。
妙なクセもなく、くどくもなく、ほんとうに自然な昔ながらの、美味しい蕎麦屋さんだと思います。
おのふみと
http://soba.asawakai.com/03-3205-3557.html
ChinchikoPapa
前のお店で流れていたら、ちょっと引いてしまったかもしれませんが。(爆!)
わたしも、「古田監督」に会いたいですので、今度ぜひ行きたいんです。
サイトのご案内、ありがとうございました。<(_ _)>
豊田
のは聞いたことがありません.建築のことは全然わかんないのですが
壁もドアもカウンターも同じような材質で(たぶんクヌギ,クリの木?全然不
確か)すごーく暖かい落ち着く雰囲気です.とにかく旨いですね,ここは.
私は,蕎麦湯が大好きです.今日はほぼ開店と同時に
行ったので,「すいません,まだうすいんです」といわれることを覚悟
していた(たいがいの店は蕎麦湯は夜がうまい)のですが,
なんと見事な飴色の絶品の蕎麦湯でした.あれは昨晩のものを
ちゃんととっておいたのでしょう.白濁していないのも,いいんですよ.
嫌いではないけれど,あとから粉入れているみたいで
なんだかインチキっぽいんですよ,白濁蕎麦湯は..只なのに文句いう
筋合いじゃないですね(失礼しました)
ChinchikoPapa
もう、三度も行かれたのですね。わたしも、早く寄ってみたいです。丼物もそこそこうまくて、子供たちがファンでしたのでよく出前を取りました。丼物なら、明治通り→新目白通り→下落合と、出前ができない距離ではなさそうですが、やっぱり蕎麦を食べに行かないと。(^^
蕎麦湯の情報も、ありがとうございました。
サンフランシスコ人
堀 康治
重湯・おじや・おかゆ等と同列で病気になった時の食べ物でした。
記事を読んで嬉しくなったので書かせていただきました。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
おっしゃるとおりですね。東京では江戸の昔から、うどんや粥、おじや(雑炊)は病人が食べるもので、健康な人間は口にしませんでした。特にお粥は、よほど病気が重篤な場合にしか作らず、病人にしてみれば粥が出てきたらよほど病気が悪いんだ……と認識させられるほどの、逆に気落ちさせられる病人食ですね。
ほかにも、岸田劉生の玉子かけご飯に絡めて粥について、あるいは柳家小さんの病人食「うどん」についても書いた記事がありました。よろしければ、ご笑覧ください。
●お粥
https://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2008-04-20
●小さん「うどん」
https://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2018-04-20