大正から昭和初期の下落合邸宅あれこれ。

 

 大正後半から昭和初期にかけて建てられた、下落合の住宅に関する情報が、意外なところに数多く眠っていた。当時、盛んに発行されていた婦人向け雑誌、『婦人公論』や『主婦之友』の取材記事だ。これら雑誌のターゲットである、昔の表現をそのまま借りれば「中流の上」クラスの「家庭婦人」たち、師範学校や女学校を卒業し高等教育を身につけていた女性向けの雑誌だ。この時期、できたばかりのシャレたモダンな新築住宅を訪問するのが、編集方針としてことさら流行っていたようだ。どの婦人雑誌にも、似たような「お宅訪問」企画が見られる。
 まず、わたしがずいぶん前から探していた、小道さんにご教示いただいた遠藤新の作品リストにも載る「小林邸」から。当初、わたしは学習院昭和寮横にあった、のちに目白ヶ丘教会(遠藤新設計)が建設される敷地近くの「小林邸」Click!を想定したのだけれど、上空から撮影された西洋館はどう見ても“ライト風”には見えず、途方に暮れていた。ところが先日、コメント欄に当の小林さんがおみえになり、遠藤新リストの「小林邸」がまったく別のところにあることをお教えいただいたのだ。
 大正期の住宅デザインとはまた異なり、見るからに昭和初期を感じさせるモダニズム住宅の姿をしていて美しい。1934年(昭和9)の『婦人公論』5月号の記事によれば、遠藤新設計創作所の建築家・山村伍一郎による設計となっている。記事の中に、「下落合の澤を距てゝ遠く斜陽にかすむ富士山を眺めることが出来ます」と書かれている。この「澤」とは、バッケ(目白崖線)下を流れていた妙正寺川のことだろう。いかにも、十三間通り(新目白通り)が存在しない下落合らしい風情だ。
 わたしはもうひとつ、大きな勘違いをしていた。遠藤新作品リストに掲載された「小林邸」は、もうとうに壊されてしまったと、うかつにも思いこんで昔の写真ばかりを探していた。ところが、目の前に現存していたのだ。わたしは邸の前を30年近く前から、それこそ数え切れないほど往復している。あまりにもきれいにメンテナンスされているので、昭和初期の邸宅とは気づかず、うっかり戦後の建築だろうと勝手に思いこんで“裏取り”を怠っていたのだ。
 
 諏訪谷から南は空襲でも延焼しておらず、わたしの学生時代には古い邸宅がたくさん残っていた・・・なんてことを何度か書いておきながら、とびきり記念的な遠藤新がらみの「小林邸」を見すごすウカツさなのだ。だから、「目白・下落合/歴史的建物のある散歩道」の散策マップClick!に、この超重要な邸宅を記載し忘れてしまった。(爆!) 散策マップをお持ちのみなさん、ソッとお手元の紙面に「▲個」マークをひとつ、ぜひ加えていただきたい。メーヤー館Click!といい、「八島さんの前通り」のO邸Click!といい、このところ貴重な建物の削除ばかりがつづいていたけれど、きょうはとっても嬉しい“追加”のお知らせとなった。ちなみに、散策マップは目白駅近くでは三春堂、下落合側ではカフェ杏奴Click!でいまでも入手可能だ。
 
 もうひとつ、少し古い1928年(昭和3)に発行された『主婦之友』2月号でも、下落合に建っていたかわいらしい別荘風の西洋館が紹介されていた。中井駅の北側、アビラ村の斜面中腹に建つ美しいデザインのお宅で、こちらは建築家が関わっておらず、「西武線中井駅前の大工さん、高橋清次郎氏が安くやつてくれた」と書かれている。日本の大工は、ほんとうに器用だ。佐伯アトリエを建てた大磯の大工もそうだけれど、いともたやすく西洋館を建ててしまう。以下、記事から引用してみよう。
  
 宅地は高台に上る傾斜地を占め、東は坂道、西は雑木と畑、北に切り拓いた土堤を負ひ、南はずつと開けて上落合を見下し、遥かに東中野辺の森に対してゐます。庭の一隅は、霜除けをした苺畑、実の熟する初夏の頃を想はせます。
  
 
 
 
 そのほか、目白文化村に建っていた家々の写真も、いくつか新たにピックアップしてみよう。ものすごく綿密な調査資料として、わたしもよく参照している『「目白文化村」に関する総合的研究』(住宅総合研究財団/1989年)に掲載された写真の数々だ。これらは、少なくとも撮影時期の1980年代まで、文化村にそのまま建っていた建築作品ばかりだ。
 下落合を隅ずみまで歩いてまわった、1970年代後半から80年代にかけ、カメラを持ち歩かなかったのが返すがえすも残念でならない。昔日の下落合の姿を、だんだん昔の雑誌や資料などでしか目にできなくなっていくのが、やはりとってもさびしい。

■写真上は、1934年(昭和9)の『婦人公論』5月号に掲載された、遠藤新設計創作所による「小林邸」。は、現在の同邸。手入れがゆきとどき、とても昭和初期の建物だとは思えない。
■写真中上は、大谷石の暖炉がある居間。は、散策マップの「▲個」の追加ポイント。
■写真中下は、「アビラ村」の斜面に建っていた別荘風のコンパクトな西洋館。は、バッケ(目白崖線)上から眺めた富士山。最近は、東京から富士山がよく見えるようになった。
■写真下:1980年代まで建っていて、わたしも目にしている目白文化村の美しい建築群。

この記事へのコメント

  • 小道

    昨日、現場へ行ってきました。(笑)
    いゃー、完全に見逃してました。美しい建物ですね。
    作品集の年表では昭和6年の築になっています。
    しかし、パパさんのblogのお陰です。感謝
    2007年04月22日 07:23
  • ChinchikoPapa

    小道さんが見逃すぐらいだから、わたしのボンヤリも少しは免罪され・・・ないですね。(^^ゞ 1947年(昭和22)にB29から撮られた焼け跡の空中写真と、あれだけにらめっこして1棟1棟調べたはずなのに、気がつきませんでした。
    まだ、わたしが気づかずにいる近代建築の美しい邸宅が、下落合にはあるかもしれません。(汗) お差し支えなければ、コメントでソッとお教えいただければ幸いです。(^^;
    2007年04月22日 11:03
  • ChinchikoPapa

    takagakiさん、いつもいつもnice!恐縮です。<(_ _)>
    2007年04月22日 18:00
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。
     >kurakichiさん
     >NO14Ruggermanさん
    2017年03月17日 19:05
  • 高松

    はじめて連絡いたします。小林邸を設計した山村さんは、工手学校の第63回卒業生です。
    2020年09月11日 19:33
  • ChinchikoPapa

    高松さん、コメントをありがとうございます。
    山村伍一郎の経歴については知りませんでしたので、ご親切に情報をありがとうございました。
    2020年09月11日 21:34

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