空白時代の落合町「商工地図」。

 1925年(大正14)2月に作成された、高田町/落合町/長崎町の「大日本職業別明細図」を入手した。発行月からみて、前年の1924年(大正13)現在の下落合の様子と考えて間違いないだろう。関東大震災Click!直後のこの一時期、下落合の地図は空白時期にあたり、初めて目にする情景ということになる。翌年の「下落合事情明細図」Click!に近い記載だけれど、企業や商店が主体の地図なので、特別に大きな華族屋敷や広い敷地のおカネ持ちでないかぎり、個人邸は掲載されていない。近隣の建物も写真入りで掲載されており、個人商店でさえモダニズム建築が多かった様子に、改めて大正当時の目白・下落合界隈におけるハイカラな街並みが想像できる。
 中でもきわめて貴重なのが、建物の一部しか写真や絵画に残されていなかった、箱根土地の本社社屋Click!が全景で紹介されていることだ。赤レンガ造りの本社ビルは、第一文化村の入口Click!に建っていたのだが、1926年(大正15)現在、中央生命保険倶楽部の所有になると同時に、建物が白っぽい色Click!に変わっている。おそらく、レンガの壁面を明るい色で塗りなおしたからだと思われるが、掲載された箱根土地本社の写真は、いまだ赤レンガのままの風情をとどめている。
 
 箱根土地本社の前、道を隔てた下落合1499番地の敷地に、建築資材の置き場のような空地が見えている。1926年(大正15)現在では、宇田川邸の敷地の一部になるところだが、当時は目白文化村Click!の建築資材置き場になっていたものか、あるいは当の宇田川邸を建築している最中だったものか、大正13~14年における周囲の風景を髣髴とさせるスナップだ。また、地図中に土木建築業が写真入りで目立つのは、造成中の目白文化村とその周辺の住宅建築を請け負う仕事が多く、会社が寄り集まっていたためと思われる。第一文化村の北西、小野田製油所を少し入ったところにあった「土木建築請負/宮川操」会社は、当時なら西洋館のカテゴリーClick!に入ったと思われる、ハイカラな社屋をしている。ちょうど、現在の「う」の大和田から少し南あたりに建っていた建築だ。
 この地図は、翌年の「下落合事情明細図」とは異なり、描かれた道筋はきわめて不正確で、実際の道路や建物位置とは大きく異なる点が多々みられる。たとえば、七曲坂からいまのピーコック横の交番へと抜ける道筋が、折れ曲がってあたかも階段状に描かれているのも、明らかに描画ミスだ。現地を歩いたうえで、実際に描かれた地図では元来ないのかもしれない。林泉園の池が、目白福音教会や交番のある位置から大きく西へとはみ出して描かれているのも不可解だ。相馬子爵邸の位置も、林泉園とともに西へかなり寄りすぎている。

 
 
 でも、興味深い記載もある。現在のピーコック横の交番と、子安地蔵通りとの間に落合尋常小学校Click!(落一小)ではない、もうひとつ別の「尋常小学校」の存在が採集されている。これはおそらく、1933年(昭和8)に出版された『落合町誌』Click!の「教育」の項目でも触れられていた、落合第二尋常小学校の仮校舎(落一小の分校舎)ではないかと思われる。関東大震災の直後から、目白・落合地区には下町Click!から郊外へ転入してくる家々が激増し、それにともない地域の子供数もうなぎのぼりに急増していった時期にあたる。落合尋常小学校のみでは、すべての子供たちを就学させることができなくなりつつあった。
  
 同年(大正13年)夏起工、翌十四年一月竣工、同年一月八日より同三月末に到る間、落合尋常高等小学校の分教室として校舎使用、同年三月二十八日学校長任命、同四月一日初めて尋常科第一学年の入学式を挙げた、当時尋常科各学年共に二箇学級計十二学級、在籍児童数七百六名、職員十四名、使丁二名・・・ (『落合町誌』より)
  
 この地図が出版されてからほどなく完成する、落合第二尋常小学校の新築校舎は、現在の中井駅近くにある落合第五小学校の位置、上落合745番地に建てられていた。

 いわゆる大正の「商工地図」Click!なので、文化村をはじめ個人邸がほとんど描かれていないのが残念だし、地図としては道路がとても不正確なのだけれど、関東大震災からすぐあとの下落合の様子を探るには、またとない格好の資料といえるだろう。
 この地図や掲載写真を眺めていて、やはり繰り返し湧きあがる疑問は、個人商店レベルにいたるまで、多くの近代建築や西洋館が見られた目白・下落合界隈を、佐伯祐三は『下落合風景』Click!のモチーフとしては選んでいない・・・ということだ。あえて農家や昔ながらの鄙びた日本家屋、工事中・造成中の場所ばかりを、意図的に選んで描いている。これについては、『下落合風景』シリーズの描画ポイントがあと少しでひと区切りするので、改めて検討Click!してみたい大きなテーマだ。
 1924年(大正13)から翌々年にかけ、下落合界隈は一気に住宅街化のスピードを速めている。まるで、住宅の建設ラッシュとでもいうべき時期に突入していく。わずか2年足らずの間に、曾宮一念Click!が描く“洗い場”のあった諏訪谷は、“洗い場”自体が埋め立てられて南へ移動し、またたく間に「曾宮さんの前」Click!に描かれたような住宅で埋めつくされることになった。

■写真上:本校舎が落成する前、落合第二尋常小学校の仮(分)校舎があったと思われるあたり。
■写真中上は、第一文化村に接して建っていた箱根土地本社の当初の姿。のちの建物の一部写真や空中写真から、増築されて横長になっていたのかもしれない。は、文化村の北西外れ、目白通りから小野田製油所脇の道筋に建っていた「土木建築請負/宮川操」会社。
■写真中下は、高田町/落合町/長崎町の「大日本職業別明細図」に見る、現在のピーコックストアから南あたり。は、目白通り界隈に建っていた商店や銀行、会社などのモダンな建築群。
■写真下:上落合745番地、現・落合第五小学校の敷地に完成した落合第二尋常小学校。現在の落合第二小学校は、上落合の月見岡八幡近くに移転している。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2010年04月13日 17:37
  • ChinchikoPapa

    パステルナークの「ドクトル・ジバゴ」、懐かしいですね。学生のころ名画座で映画を観てから、分厚い原作を読んだ憶えがあります。小説なのに、なんだか長編の詩を読んでいるような、独特な文体が印象に残りました。昔の記事へ、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>bunchan0さん
    2018年05月06日 23:47

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