神田精養軒の本社工場が、下落合から消えた。いや、会社そのものは存続しているのだけれど、下落合からいなくなってしまったのだ。社名をできるだけ踏まえたものか、戦後は神田川のほとり、下落合の御留山のバッケ下に本社屋(下落合2丁目)が、そして少し離れた妙正寺川に面して工場(中落合1丁目)が建っていたのだが、いまは本社が高田馬場へ、工場は埼玉県へと移転してしまった。どうやら昨年(2006年)、埼玉県の企業のグループ会社として吸収されてしまったらしい。かろうじて、神田川の神高橋の南詰め(高田馬場2丁目)に本社機能だけが残っているようだ。
下落合に住むと、神田精養軒のパンがいつでも食べられる・・・というのも、大きな魅力のひとつだった。幕府が開国した江戸末期、築地に外国人居留地が造られ、明治になるとほどなく西洋館ホテルがオープンするのだが、それがやがて精養軒ホテルと名前を変え、外国人居留地が廃止されるころ、レストラン部が独立して上野精養軒に、ホテルベーカリー部が独立して神田精養軒へと発展した。だから、神田精養軒の職人たちは、試行錯誤を繰り返しつつ日本でもっとも早くからパンを焼きつづけてきたわけで、目白坂にある元祖フランスパンの関口パンとともに、下落合に住むとふたつの老舗パンを味わうことができた・・・というわけなのだ。
特に、神田精養軒の先代社長が発売した、シュタインメッツ製法による多彩なパン類の数々は、いわゆる“漂白”されてしまった多くの食パンとは異なり栄養バランスの優れたパンとして、わが家のテーブルにもたびたび登場した。1970~80年代には、十三間通り(新目白通り)に面した本社の店舗でも、聖母坂上にあったパン屋さんでも、すぐに手に入れられた。だが、パンが最大の魅力だったにもかかわらず、神田精養軒はしばらく前からパンの販売をやめてしまっていた。きっと、社長が代替わりしたのと、素材と製法にこだわりすぎて採算が取れなくなっていたのだろう。
妙正寺川沿いにあった本社工場がなくなってしまったので、いまや下落合で神田精養軒の商品を買うことさえできなくなってしまった。新しいWebサイトClick!を見ると、会社の基盤であり、アイデンティティであったはずのパンの製造からはすっかり撤退し、マドレーヌをはじめとする菓子類の販売しかしていない。わたしは長年、神田精養軒が造るパンのファンだったのでとても残念だ。
学生時代、たまに講義やバイトが早めに終わると、十三間通りを歩きながら神田精養軒でパンを買ってからアパートへ帰った。酸味の強いママレードを塗って食べると、とても美味しかった。わたしの下落合のパンの味、それが日本でもっとも由来の古いパン屋さん、神田精養軒だったのだ。
さて、マドレーヌなど食べないわたしは、神田精養軒のパンの味をどこに求めればいいのだろう? かろうじて神田精養軒のレストラン「ザ・キッチン」では、いまだにパンを焼きつづけているようなのだけれど、本来の「神田精養軒のパン」なのだろうか・・・。
■写真上:妙正寺川の昭和橋近く、跡形もなく消えてしまった神田精養軒の本社工場。神田精養軒の敷地スレスレに、妙正寺川が蛇行を繰り返しながら流れていた大正末、佐伯祐三はのちに工場が建つ敷地内から、「下落合風景」の1作として旧「昭和橋」Click!方向を描いている。
■写真下:神田精養軒「ザ・キッチン」のパン類。シュタインメッツ製法が踏襲されているのだろうか?
この記事へのコメント
yuyu-museum
ChinchikoPapa
そのころにはきっと、「また、ウロウロしてわよ。きっと徘徊がはじまってしまったのね、かわいそうに」・・・と言われてます。(^^;
かもめ
Nylaicanai
知らなかった……
Webを見ると、鷺ノ宮の駅中に売店があるようですね。
でも、Chinchiko Papaさんがおっしゃるようにパンがあるかは不明。
まだ15年ほどしか住んでおりませんが、最近はいろいろと変化が激しいですね。
ChinchikoPapa
美味しいパンは、やっぱり自分で焼かないとダメな時代なのでしょうか。「ホシノ天然酵母」は発酵が弱くてイマイチですが、先年、白神山地の原生林で発見され、地元の女性によって培養された「白神天然酵母」は、イースト菌よりも発酵力がかなり強く、無添加のパン作りにはピッタリですね。ようやく、イースト菌を大きく超えるパン酵母の出現です。しかも、日本で見つかったのがすごい。いつか、ブログに書きたいと思っています。
ChinchikoPapa
80年代も変化が激しかったのですが、またここにきて下落合の風情が大きく変わろうとしているようです。いい方向へ変化すればいいのですが、ほとんどのケースがそうじゃない方向のようで、「さようら○○○」ばかり書いているように思います。たまには、「今日は○○○」というタイトルの記事が書きたいですね。
Nylaicanai
ホントですね。
刑部さんのお家跡も、そろそろ工事が始まるようで、大きな木々がなぎ倒され始めました。とほほ……
ChinchikoPapa
マンションを建てるにあたり、大谷石の築塀は壊され、敷地全体が大きく掘られてしまいそうですね。裏のバッケの、貴重な自然が気がかりです。
ChinchikoPapa
映
Nylaicanai
とほほ……
ChinchikoPapa
石挽きパンというのもありましたね。やっぱり、採算が合わなかったのでしょうね。
ChinchikoPapa
うーーん、残念ですね。伐採してしまったということは、あとは擁壁を築く・・・としか解釈できないですね。あの樹木たちが、バッケの急斜面の崩落を防いでいたわけですから。(残念!)
no愚痴.jun
パースを見ると絵に描いたような雰囲気の1戸建て。区に問い合わせをしました。坂上のM氏も問い合わせをしていたらしい。
それから、建売は2棟になって・・・ 工務店から、一方通行解除承認のお願いが有り、検討中を理由に燐家と未提出。
工事はまだ始まってません。
どうなることでしょう。
ChinchikoPapa
バッケに家を建てるには、垂直に切り崩してコンクリの擁壁を設置し、ひな壇状にして少しでも広めの敷地を確保する以外に方法はなさそうですね。“L”字状の敷地が造られることになりますが、広めの道路に面していると地下を深く掘削して、ひな壇さえ残らないケースも多々見られます。
牛込柳町あたりを歩いてますと、バッケに大谷石の古い石積みが残っているのは幅が狭いところばかりで、少し道が拡幅されると石積みがアッという間に崩され、深く掘削されてたちどころに道路と同じ高さのエントランスができてしまうのを見かけます。大江戸線の駅ができたから、よけいに「再開発」が目立つのでしょうが・・・。
神田精養軒社員
本社が移転してから、旧工場周辺に行く事もなくなり、
こうやって、改めて写真を見ると、寂しく思います。
そして、パンを愛してくださった方が多い中で、
パンの製造販売を中止したという事は、本当に残念に思います。
パンの製造を止めてから1年が経とうとしています。
未だに、「パンはどこで売っているの?」という質問の
お電話を頂くと、本当に申し訳なく思います。
ChinchikoPapa
事業はどのような分野でも紆余曲折、山あり谷ありですので、ぜひまたチャンスがありましたら、「神田精養軒のパン」作りにチャレンジされてください! 下落合の神田精養軒ファン一同、いつまでもお待ちしています。
残念ながら、わたしはマドレーヌは苦手なのですが、家族はさっそくアップルパイとパンプキンパイを買ってきてくれました。美味しいですね。引きつづき、楽しませていただきます。
ナカムラ
ChinchikoPapa
わたしも、学生時代から下落合近辺に住むようになり、そのころから面白くていろいろな資料を漁ったり、そこかしこを歩いたりしてきました。まるで、いろいろな分野の日本近代史を総ざらえしているような感覚になり、つくづく落合地区に住んでると面白い!・・・と感じています。(^^
サイトを本格的に始めたのが、ブログが普及し始めたわずか3年前ですので、まだまだほんの一部しかご紹介できていないのですが、特に芸術分野には惹かれます。「落合史」をまとめるだけで、文学史や美術史のかなりの部分をカバーできてしまうところが、なんともすごくて面白いところです。
中村彝アトリエの保存へ向けた動きは、いまのところ順調です。佐伯アトリエと彝アトリエが揃えば、今までになく新しい地域見直しや活用法が見つかりそうですね。中山区長の「文士村」構想も、どうやら“本気”のようですし。
ナカムラ
杏奴さんで昨日『落合昭和地図』を見せていただきました。非売となっていましたが、もしやChinchikoPapaさんならば購入させていただく方法をご存知なのではないかと思い失礼ながら質問させていただきました。どこに連絡すればいいのかわからなくて。もしご存知でしたらご教示いただけませんでしょうか。お願いします。
ChinchikoPapa
http://blog.so-net.ne.jp/tsune-atelier/2007-03-31
でも、市場価格よりもかなり安い提示価格ですと、所有者の方が納得されないケースもこれまでの保存案件ではあったように聞きますので、最終的には所有者の熱意とご判断が大きいようにも思います。確かに、「保存してください!」といっても、市価の半額では「う~~ん・・・」となってしまいますね。(^^;
上落合では、そこで暮らした作家たちを記念して、旧居跡にプレートを設置する計画が進行中のようです。「落合文士村地図」なんてできれば、ステキですね。村山知義の三角アトリエやナップ本部にも、プレートが出現するでしょうか? 「落合ソビエト」記念館なんていうのができると、情報収集の拠点になって面白いです。上落合は1930年協会以降、独立美術展に参集した画家たちのメッカでもありますね。
杏奴でご覧になった「落合昭和地図」は、すごいですよね! 下落合に昔からお住まいのK様がまとめられた、見事なお仕事です。聖母坂にある落合第一地域センターでも見かけましたので、売っているかもしれませんが、出版元の「落合の緑と自然を守る会」(3954-1397)へご連絡を取られれば、確実に入手できると思います。
ナカムラ
落合ソビエト記念館、できたらすごいですね。落合に住まなければ、たぶん山田清三郎の『プロレタリア文学史』は読まなかったと思います。おかげで、先日の古本市で佐々木孝丸訳の『クラリテ』を購入してしまいました。装丁は柳瀬正夢です。柳瀬の仕事も好きです。
ChinchikoPapa
村山知義と柳原(宮崎)白蓮さえ、出版を通じてつながっていますね。
ナカムラ
中国とのつながりで落合で気になっているのは、挿絵画家であった竹中英太郎です。熊本で特高警察の助手をしていて、押収された思想書を読んでいるうちに思想家になったという方。九州時代は細胞となって炭鉱にもぐりこんだりもしたようです。その後、勉強するために東京に出てきます。落合は当時(昭和2年かな?)熊本村と呼ばれる熊本出身者が集まって居住している地域があって、竹中も落合に住んだようです。近くにプラトン社の雑誌『苦楽』の編集長である西口紫冥が住んでいて、竹中の描いたイラストをみて挿絵を依頼したとのこと。ところが、プラトン社は昭和3年5月に倒産。竹中は仕方なく博文館の雑誌『新青年』の編集長・横溝正史のもとを訪ね挿絵の仕事をもらいます。江戸川乱歩の怪奇小説と竹中のコラボはここで作り上げられました。しかし、売れっ子のまま引退。なぞといわれているようですが、満州に行きます。理由も目的もよくわからないようです。戦前は右翼の大物との交友もあったようですが、若き日の無産者運動、そして戦後は山梨で新聞社に勤務しながら地区の労働運動に大きな貢献を果たしていますので、本質的には共産思想の方なのでしょうが、よくわからないところのある人です。私は平凡社の「大衆文学全集」(昭和3年ごろ)の中の挿絵で竹中英太郎の当時の挿絵を知りました。もちろんご子息の竹中労さんの紹介で英太郎の仕事の一旦は知っていましたが。落合の住人であったことは生誕100年の弥生美術館での展覧会ではじめて知った次第です。面白い場所ですね、落合は。本当に底知れないですね。
ChinchikoPapa
村山知義は上落合の三角アトリエがあまりにも有名ですが、一時期は下落合の諏訪谷近く(曾宮一念邸近く)に下宿していたこともあったようで、柳瀬正夢とほぼ同じ歳のこのふたり、下宿もひょっとして近かったりするのでしょうか? アトリエを建てる前の、画家たちの軌跡を追ってますと、思わぬつながりを発見したりしますね。
それから、竹中英太郎のお話、初耳です。乱歩全集などで見かける挿絵の作者は、わたしもずっと気になってました。また、学生時代に読んだ(「ルポライター事始」だったか?)竹中労の、親父さんという側面からもですが・・・。
乱歩といいますと、エッセイを残している村山槐多がすぐに思い浮かびますけれど、竹中英太郎も落合に住んでいたとなると、なんだかいろいろな物語が眠っていそうですね。ほんとうにキリがありません。
ごていねいにご教示くださり、ありがとうございました。
にしかつ
昭和40年代の最後近くから神田精養軒のファンです。
特に、パン、パイ類を頂いておりました。
兄弟分の、上の精養軒に比べ、神田精養軒の今の姿は残念です。
悪貨良貨を駆逐する。の類でしょうか?
真に残念。
ChinchikoPapa
まったく、残念です。でも、パイ類はまだ製造をつづけていますので、アップルパイとかぼちゃパイはいつでも食べられそうですね。商売には必ず波がつきものですので、また神田精養軒の美味しいパンが復活する日を、クビを長くして待つことにしました。(^^
あやか
あの頃はとても楽しかったです。
最初クレームパフェにいてその後包装科に移りましたが
人間関係がとてもよかったのを思い出します。
今となればいい思い出です。
今は事務関係の仕事をしてなんやかんやいろいろありますが
楽しく毎日過ごしています。
神田精養軒の皆様いろいろ大変だと思いますが気楽に構えて頑張って
下さい。
ChinchikoPapa
学生時代から20年ほどの期間、ずっと神田精養軒の近くに住み、シュタインメッツ製法の焼きたてパンを食べつづけられたわたしも、とても幸運でした。ちょうど、食べ盛りの子供たちが口にしたのも、ベーカリーの老舗中の老舗・神田精養軒の素材にこだわりつづけた、安全で美味しいパン類でした。
いま、下落合にはたくさんのパン屋がありますけれど、原料の小麦の素性や製法(添加物の有無など)がハッキリしているパン屋が、いったいどれだけあるのでしょう。そういう意味からも、いちばん残っていてほしかったベーカリーが消えてしまった・・・という感覚です。
napo
たまたまヒットしました♪
四角くて小型なのにみっしり重くて、こげちゃでしっとりで酸っぱい、精養軒のあのパンが好きでした!
関東から関西に越してきて、ネットで探してもないから困ってたら、撤退したんですね・・・・。残念です。
定番お菓子のピットも昔からよくおばあちゃんが買ってきてくれて、しょっちゅう食べてました。あーーー残念です。精養軒の、原料や製法に対する姿勢も好きでした。
ChinchikoPapa
どこで収穫された小麦を、どのような挽き方をして小麦粉(全粒粉)にし、どのような製法で焼き上げたのがこのパン・・・という、今日的にいいますとトレーサビリティな生産を早くも70年代からやっていたのが、むしろ驚きです。そういう意味からも、神田精養軒のパンは安心して子供にも食べさせられました。
そろそろ、街の声を聞いて復活してくれないでしょうかね。(^^
こじこじ
ChinchikoPapa
わたしも、きのうのニュースはとてもショックでした。下落合といえば江戸東京で謂れがもっとも古い神田精養軒のパン・・・と、学生時代から慣れ親しんできましたので、残念でなりません。パンを焼かなくなってしまってから、パンプキンパイとアップルパイは、相変わらずわが家の食卓へときどき登場してました。いつになったら、再びパンを焼いてくれるのかと期待していましたので残念です。
これだけ東京で知られ、世代を超えて馴染み深いパン屋さんですので、ミツワ石鹸(以下の記事にも書きましたが)のひそみにならい、いつの日か復活してくれることを願うばかりです。そのときは、ぜひ全粒粉を用いた「漂白されていないパン」から、リスタートしてほしいものです。
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2009-01-17
ChinchikoPapa
真鍋清
神田精養軒の倒産から早一年近く経ちますが、小生こそ精養軒のパンで育った人間です。幼児期に池袋東武の地下街で存在を知って以来、毎回例外なく同店のミートパイ、アップルパイを常食にしておりました。ここのパンは胚芽入りのほっくりした生地で、中のフィリングはコクのある良心的な造りなだけに口の中で上質な交響楽を奏で、何度食べても飽きませんでした。
生まれつきピリ辛系のパイにそそられている小生なだけに、精養軒のミートパイが入手できなくなって久しい現在は渋谷東急1階のDeux Magot(ベーカリー)の合い挽き肉を使ったミートパイを日常的に買い、軽食に食べています。何よりここのミートパイはフィリングに卵やにんじんなど余計な物を使っていないだけに肉のうまみを最大限味わえる点において精養軒のミートパイの後釜と言えるのではないでしょうか。
先日も小生、1960年代末のホンダ1300セダンのプラモデル(ゼンマイ付きの東京シャープ社製)を組立てながらDeux Magotのミートパイを食べておりました、幼児期に神田精養軒のミートパイを片手にレゴのブロックを組み立てたことを脳裏に思い浮かべつつ。
byアラフォー・山羊座・B型・レクサスIS350(3500cc)とトヨタヴィッツU-L(1300cc)を所有・一匹のネコ(アメリカンショートヘア雑種)のパパ・独身
ChinchikoPapa
やはり、真鍋さんも神田精養軒には楽しい、そして印象深い想い出をお持ちなのですね。わたしは、どちらかといいますとパンのほうの印象が強く、聖母坂のパン屋さんで売られていたころは、ほぼ隔日で買って食べていました。少し高価だったのですが、学生時代にも美味しいパンを食べたくなると、学校からの帰り道に寄っては買ってました。「漂白」されてない全粒粉のパンは、味わい深くて香ばしくて、とても美味しかったのです。
パイのほうは子どもたちが大好きで、よーく食べてましたね。妙な添加物を使用しておらず、安心して食べさせられるところも神田精養軒の信頼性であり、いいところでした。倒産する少し前、パン作りを止めてからは、いまだ生産をつづけていたパイ(特にパンプキンとアップル)を、毎週買っては食べて応援していたのですが、残念な結果になってしまいました。
学生時代から子育てまで、さんざんお世話になった神田精養軒ですので、ぜひ下落合で復活してほしいと思っています。
美月
昨年2月に上野の美術館の帰りに、母の好きな神田精養軒のお菓子を買いに駅内の売店に行くと、閉店していました。
自宅に帰り、PCを見ると倒産と言う文字に驚きました。
神田精養軒のパンについての情報を記入させていただきます。
埼玉県川口市の「ルーブル」というパン屋に「神田精養軒」で腕を磨いた方がパンを作っています。
この前、私はこちらのお店に行き、食パン、バターロール、マドレール等を買いました。
最寄り駅は「川口元郷駅」で川口工業総合病院のそばです。
日曜・祝日はお休みです。
昨年、神田精養軒が倒産して、検索するとこちらに出会いました。
私もそうですが皆さんが「神田精養軒」を心待ちにしているのが、良くわかります・・・
ChinchikoPapa
東京の、といいますか日本の元祖パンの老舗だった神田精養軒の製品が食べられないのは、やっぱり寂しいですね。パン屋さん「ルーブル」の情報、ありがとうございました。下記のお店ですね。w
http://www.lococom.jp/article/A11/04/00/27263/544337/L/
川口ですので、下落合からはちょっと遠くて気軽に買いに行けませんけれど、お近くの方は楽しみですね。うらやましいです。
早く復活して、生産を再開してくれるといいのですが、まだそのようなウワサは聞きません。「こんにちは、神田精養軒」という記事を、早く書きたいものです。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
アングル・ママです
情報ありがとうございました。
ちなみにバタートーストは一本で買ってました。好きなんで
ChinchikoPapa
わたしは、ドイツ風のやや酸味のある甘くないパンが、バターによく合って好きでした。1980年代は、下落合の本社でも聖母坂のパン屋さんでもどこでも買えたのに、ほんとに惜しいですね。
日曜の朝など、焼き立てのパンが店頭に並んでころを見はからって、買いにいきました。下落合を好きになったのは、江戸期の築地に由来する日本のパン屋でも老舗中の老舗だった、神田精養軒があったから……という要因も、少なからずあったように思います。
どこかで、その伝統を継承してくれる事業ができないものでしょうかね。
ご挨拶もそこそこに書いてしまった
ChinchikoPapa
そういえば、神田精養軒がなくなってから10年にもなるのですね。以前は、日常的に食べていたパンですが、それが手に入らなくなってからは家で白神酵母を使って焼いたり、市販の天然酵母パンを購入したりしています。
下落合から、目白通りを東へ2kmほど歩くと、日本初のフランスパンの元祖ベーカリーである関口パンがあるのですが、そこのパンを食べるたびに、神田精養軒を思い出してしまいます。ここに住んでいますと、日本初の美味しいパンを2店そろって食べられていたわけですから、片方がなくなってしまったのはとても寂しいですね。