佐伯「制作メモ」を写真から画像解析してみる。

 より元資料に近い、佐伯祐三が残した「制作メモ」の写真を入手した。資料からの複写ではなく、1957年(昭和32)の『みづゑ』2月号に掲載された写真から、直接スキャニングすることができた。コピーからスキャニングするよりも、はるかに精細でより多くの情報が得られる。
 これまでにも不鮮明ながら、コピーからスキャニングした画像を解析して、『下落合風景』シリーズClick!のサブタイトルが、従来いわれている通りなのかどうかを検証してきた。すると、画像解析からあるいは新資料の発見から、新たに読み取れたタイトルや、明らかに従来の“読み”が間違っているケースを発見してきた。特に、いままでは判読不能だった9月20日のタイトルは「曾宮さんの前」Click!、従来は「森尾さんのトナリ」とされていた10月10日のタイトルが「森た(田)さんのトナリ」Click!、すなわち佐伯の美校時代の師である森田亀之助邸Click!の隣りの里見勝蔵宅、「フビラ村の道」と読まれていた10月15日のタイトルが「アビラ村の首(道)」Click!、9月22日の「レンガの門のある風景」とされていたものも「レンガの間の風景」・・・などなど、かなりのタイトルに誤読があることがわかった。今回、元資料により近く、さらに精細でクリアな素材をスキャナで読みこんで、なにか新たに判明することがあるだろうか?
 まず、9月24日の「かしの木のある風景」に注目してみる。わたしには、どうしてもそうは読めなかったのだ。タイトルの下半分が、どうしても「風景」とは読めない。佐伯が書いた他の「風景」という筆跡と比べても、「景」の字がまったく合致しない。画像を拡大してよく観察すると、確かに上の「風」という字はそう読めなくもない形だけれど、下は「景」とは書かれていない。これは、わたしの想像だが、「風景」と書こうとして途中で佐伯の気が変わった。前日も前々日も、彼は「○○○風景」というタイトルを3回も付けつづけてきた。
   
 すなわち、「洗濯物のある風景」「墓のある風景」「レンガの間の風景」の3作品だ。佐伯はタイトル付けのマンネリ化を感じ、上の「風」を書いたあと、一度筆を止めたのだ。そして、下の文字を違う漢字に書き変えてしまった。つまり、かなり簡略化して書いた「風」という字を、新たに「ウ」かんむりとして解釈しなおし、その下に「豕」という字をつなげてみた。「かしの木のある家」・・・これが、佐伯が最終的に書こうとしたタイトルではなかったか。「黒い家」に書かれた、「家」の文字とも比較してみる。ただ、書きかけだった「風」という字をそのまま放置したため、「家」とはなかなか解釈できず「風豕」というような、まったく意味をなさない文字に見えてしまっている。
   
 次は、10月15日の「アビラ村の首(道)」。これは、さらに精細な画像処理によって「道」のしんにょうの陰影が、すぐにクッキリと浮かび上がった。このタイトルは、「アビラ村の道」として間違いない。また、制作メモのいちばん最後、10月23日の「セメントの塀」とされていたものは、「セメントの坪」と書いてあることがわかる。そして、「坪」という漢字の横に小さく、「ヘイ」というルビがふられている。「セメントの坪(ヘイ)」とするのが正確な解読だ。
 最後に、もっとも難解な10月7日の「松の木のある風景」。このタイトルの読みは、従来の解釈の通りだと思うのだが、その右横に小さな文字でさらになにか書かれている。さっそく、さまざまな画像加工をほどこして、なんと解読できるのかいろいろと試してみた。結果、いくつか“読み”の可能性があることがわかった。ひとつは「○○が畑」、もうひとつが「○○が細道」という筆跡だ。後者の「細道」は、画像全体を少し暗めにして筆跡と思われる陰影の情報量を増やしてみると、「細」とも読める字の下に消えかかった「道」という字がつづいているように見える。また、画像を明るめにしてコントラストを強めに処理したり、陰画状に加工したりすると、「道」のように見える陰影が消えてしまい、「○○が畑」とも読めてしまう。この「○○」の部分が、「前」という漢字のくずしのようにも思えるけれど、どうしても確かなかたちにはならなかった。
   
 以上、最新の判読結果をもとに、「制作メモ」のリストを9月18日の『下落合風景』と思われる作品から改めて列記すると、以下のようになる。日付の次の()内は、1926年(大正15)当時の東京地方で観測された空模様だ。
 9月18日(曇天) 「原」(20号)、「黒い家」(20号)*制作
 9月19日(晴天) 「原」(15号)*、「道」(15号)*制作
 9月20日(晴天) 「曾宮さんの前」(20号)*、「散歩道」(15号)制作
 9月21日(曇天) 「洗濯物のある風景」(15号)*制作
 9月22日(小雨) 「墓のある風景」(20号)*、「レンガの間の風景」(15号)制作
 9月24日(小雨) 「かしの木のある家」(15号)*制作
 9月25日(小雨) 「曇日」(15号)制作
 9月26日(曇天) 「上落合の橋の附近」(20号)*制作
 9月27日(晴天) 「夕方の通り」(20号)*、「遠望の岡」(20号)*制作
 9月28日(晴天) 「八島さんの前通り」(20号)*、「門」(20号)*制作
 9月29日(晴天) 「文化村前通り」(20号)*、「切割」(20号)制作
 9月30日(雨天) 「坂道」(20号)、「玄関」(15号)制作
 10月1日(小雨) 「見下シ」(20号)制作
 10月2日(快晴) 「晴天」(20号)、「遠望」(20号)制作
 10月7日(曇天) 「松の木のある風景(○○が畑/細道)」(15号)制作
 10月10日(小雨) 「森たさんのトナリ」(20号)*制作
 10月11日(曇天) 「テニス」(50号)*制作
 10月12日(晴天) 「小学生」(15号)制作
 10月13日(快晴) 「風のある日」(15号)*制作
 10月14日(快晴) 「タンク」(15号)*制作
 10月15日(曇天) 「アビラ村の道」(15号)*制作
 10月21日(快晴) 「八島さんの前」(10号)*、「タテの画」(20号)*制作
 10月23日(晴天) 「浅川ヘイ」(15号)、「セメントの坪(ヘイ)」(15号)*制作
*・・・制作メモの中で、サブタイトルと作品の情景が一致し、描画ポイントが判明している作品。あるいは、比定できる作品が存在するもの。
「セメントの坪(ヘイ)」には、制作メモに残る15号のほかに曾宮一念が証言する40号サイズと、1926年(大正15)8月以前に10号前後の作品Click!が描かれた可能性が高い。
 
 さらに正確な判読をするためには、「制作メモ」の写真ではなく、佐伯の筆圧の痕跡が残る元資料そのものを、2400dpi以上の高精細でスキャニングしないとわからないだろう。写真では、筆圧の凸凹が不鮮明なために限界があるのだ。

■写真上:写真を改めて高精彩スキャニングした、佐伯祐三の1926年(大正15)「制作メモ」。
■写真中:それぞれ、さまざまな処理をほどこした「制作メモ」(部分)記載のタイトル拡大画像。
■写真下は、制作メモが書かれた下落合の佐伯アトリエ内部の様子。作品にも描かれた人形が、ソファの上に並べられている。は、佐伯アトリエにおける一家の記念写真。娘の弥智子の様子から、ちょうど『下落合風景』を描いていた1926年(大正15)ごろの撮影と思われる。

この記事へのコメント

  • sig

    こういうの、大好きです。面白いです。
    そして、ChinchikoPapaさんのように知識や造詣の深い人が見ると大発見につながるのですね。
    2009年03月24日 16:23
  • ChinchikoPapa

    sigさん、コメントとnice!をありがとうございました。
    いえ、落合にお住まいの方々がいろいろ教えてくださったり、美術に詳しい方からお話をうかがいながら書いていますので、落合(上落合/下落合)・目白・長崎界隈のみなさんとのアライアンス作業だと思っています。^^
    2009年03月24日 19:14

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