久しぶりの「Milestone(マイルストーン)」だ。学生時代から、行きつけのJAZZ喫茶。いや、JAZZ喫茶というよりは、昔から酒やカクテルも出すので、JAZZバーと呼んだほうがいいのかもしれない。いまは休日というと、地元下落合のカフェ「杏奴」Click!ですごすことが多いけれど、実は高田馬場の「Milestone」Click!へ通った時間のほうがはるかに長い。ほとんど1976年の開店当初から、わたしは頻繁に出かけていた。なにかの節目にもちょくちょく出かけていた、文字どおり一里塚(Milestone)のようなお店だ。
ここへ来るとホッとするのだけれど、当時に比べて店の様子は一変している。大理石で覆われた、オリジナルの巨大エンクロージャにぶちこまれたJBL3ウェイは姿を消し、いまでは逆に懐かしいオリンパスの音色が鳴り響いている。以前の、JAZZ喫茶にしてはまばゆく明るかった昼間の店内は、窓も小さくほんの少し薄暗くなり、タバコの煙が紫色に見えるスポットライト照明へと変わった。
巨大な大理石JBL時代はフュージョン全盛で、わたしは店名どおり1969年以降のマイルスばかりをリクエストしていたようだ。店によって、リクエストするミュージシャンやイディオムを決めていたような気がする。当時、オーディオにもかなりうるさくて、このアルバムを鳴らすのはあの店のシステム・・・なんてことにこだわっていたのだろう。同じ高田馬場の「intro(イントロ)」はコルトレーン、早稲田の「もず」はハードバップ全般、吉田おじいちゃんのいた横浜の日本JAZZ喫茶1号店で、12月いっぱいで閉店してしまう「ちぐさ」ではピアノJAZZとビッグバンド、同「ダウンビート」や鎌倉「IZA」ではウェストコースト、そして「Milestone」ではコンテンポラリーというように・・・。学生時代の「Milestone」は、窓も大きくて明るく、フュージョンの音色が似合っていたのだろう。もっとも、昼間のJAZZ喫茶タイムとは異なり、夜のJAZZバータイムになるととたんに、人の顔も判別しづらいほど薄暗くなって、女の子を連れてくると怪しげな雰囲気になったものだけれど・・・。
もうひとつ、「Milestone」にはお気軽な点があった。最初から会話が自由だったのだ。これはいまも変わらない。連れ立ったお客が増えて会話が始まると、マスターはさりげなく音量を落としてくれる。でも、いかにもJAZZを聴きにきたお客ばかりになると、ボリュームをめいっぱい上げてくれる。こういう、お客をよく見て細かく配慮してくれるところ、わたしが「Milestone」を好きになったゆえんだ。おそらく、マスターの趣味とは異なる、わたしのつまらないリクエストにもいちいちていねいに応じてくれていた。「Milestone」は、お客をうっちゃっといてくれないでゴチャゴチャ能書きばかりたれる、どこかのうるさいマスターのいる店とは異なり、気軽に入れて自由にJAZZを楽しむことができる、学生のわたしにはありがたいJAZZ喫茶だった。あれから30年、JBLオリンパスの音もいい。わたしは、このスピーカーにちょっとばかり偏見を持っていたようだ。
早稲田から高田馬場にかけてあった、JAZZを聴かせてくれる店も、クラシックの名曲喫茶も、そのほとんどが姿を消してしまった中で、「Milestone」だけがいまだ健在だ。「intro」も存在するけれど、いわゆるJAZZ喫茶ではもはやない。「Duo」にいたってはカレーショップだ。新宿東口に新しい店ができると出かけるが(いまだこの街には、たまにJAZZ喫茶がオープンしたりする!)、あまり気に入った店はできない。米兵らしい外国人だらけだった怪しげな「ポニー」や、新派の水谷八重子(良重)がやっていた同じ歌舞伎町の「木馬」が、その後どうなったかは知らない。
あっ、いま「I’ll be seeing you」がかかっている。日本との戦争へ出征してしまった彼を、そのガールフレンドが「またお逢いしましょ」と思い出に囁きかけている悲しい歌だ。残念ながら、ビリー・ホリデイ(コモドア盤)ではないけれど。・・・そう、いまこの文章を「Milestone」で書いている。読書と原稿書きとJAZZ談義にはもってこいの店、それが昔からの「Milestone」だ。これからも、やさしいマスターのいるこの店に、ときどき寄ってみよう。
■写真上:高田馬場の「Milestone」。わたしが30年来、変わらないお気に入りのJAZZ喫茶。
■写真中:左は、現在のJBLオリンパス・システム。パワーは、わたしの大好きなMcIntosh管球式(真空管パソコンではない)のNo.2XXシリーズ(1950年代)だ。わが家も管球がメインなので、どこかサウンドが近いような気がする。でも、さすがにいまはレコードではなくCD演奏となっている。右は、学生時代におなじみの「Milestone」店内。巨大な大理石JBLが、ことさら目を惹く。
■写真下:学生時代のある日、早稲田~高田馬場に点在したJAZZ喫茶のはしご散歩コース。これだけはしごすれば、お腹はコーヒーでチャプチャプだったはずだけれど、まったく憶えがない。JAZZ喫茶はこれだけでなく、もっとたくさんの店が存在していた。高田馬場駅周辺に比べ、昔から目白駅の周りがJAZZ喫茶の不毛地帯だったのは、ここの学生たちがJAZZをあまり聴かないせいだからか?
この記事へのコメント
かもめ
ジャズ喫茶ってなんか敷居が高いんですよ。薄暗い中、座禅か哲学でもしてるみたいな客がいて、話なんかしようもんなら「静かにしろ」といわんばかりに睨まれました。(@_@); クラシック喫茶も同じかな。よく行った音楽喫茶は御茶ノ水駅前にあったけど、もう閉店。注文票とリクエスト用紙がセットでテーブルにあって、フロア4階まである比較的うるさくない店だったんです。さして知らないので適当に書いてましたけど、ピアノ曲が好きです。御茶ノ水は音楽関係の店が今でも多いですね。♪
ジャズ系の音って最近のミニコンポには向かないみたいです。
JBLの置ける部屋が欲しい!
ChinchikoPapa
座禅か哲学をしてそうなお店は、わたしもごめんこうむります。(笑) クラシックも好きですので、名曲喫茶もよく出かけましたけれど、こちらのほうが会話禁止が徹底していたような記憶がありますね。考えてみますと、わたしが行きつけのJAZZ喫茶は、みんな優くて気さくなマスターやママさんがいるお店ばかりのような気がします。話していて、睨まれるようなお店はありませんでした。(^^;
悠々美術館
わたしも退職したら、安アパートをかりて、東京生活を堪能したいです。
いましばらく、資金をためるためがんばって働きます。
ChinchikoPapa
悠々美術館さんが、とてもうらやましいです。
black_tie_1
あの時代、「さよなら・今日は」のころ僕は吉祥寺の"Funky"でよくさぼりましたよ。 二階がマッキンルームっていって、軽いアルコールを出したからナンパの穴場で。。。あ~なつかしい。 ^^ 73~74年ごろはウェザー・リポートがガンガンかかっていたこと思い出します。 ジャズいいすね。
ChinchikoPapa
70年代半ば、ナンパのできるJAZZ喫茶というのは、あまり知りませんでした。横浜のダウンビートと、鎌倉のIZAが、それなりにラフな雰囲気が少しあったでしょうか・・・。78年の「8:30」(Weatherreport)のジャケット、どこのJAZZ喫茶でもひっきりなしに掲げられてましたね。
black_tie_1
"Funky"の一階はコンクリートフォン。 地下がパラゴンで、音楽重視はそちらへいきました。 A-7のマッキンルームは比較的空いていましたよ。 だから満席だと仕方なくマッキンへの構図でした。 横浜の中華街ちかくにミントンハウスとかいうジャズバーがあって物色目当ての女の子が声をかけてきたことありました。
シーメンスで思い出しましたが、顧客に「ジャズ歯医者」ならぬ「ジャズ目医者」がいてこの人がまたスゴイ! 完全なリスニングルームをオーダーして死に物狂いのジャズ生活。 そのひとがシーメンスのワンウェイ・バッフルをもって行けという。 続きが知れていたので断りましたけど。 ^^
美容に悪いのでもう寝ます。
ChinchikoPapa
ミントンハウスは、けっこう有名な店でしたね。わたしは、ここのマスターとなんとなく反りが合わずに、遠い昔、一度しか行ったことがありません。それよりも、馬車道のエアジンはクリスマスセッションや大晦日セッションによく出かけました。深夜、0時少し前までライブを聴いて、そのまま新年のボーーーッを聞くためにメリケン波止場へ。むちゃくちゃ寒かったけれど、横浜のJAZZは熱かったです。
ジャズ目医者・・・治療中に手元がスウィングして、つい目をつっつかなければいいのですが。(笑)
black_tie_1
「写真中:左」をご自宅のセットと勘違いしてました。 ごめんなさいネ ^^
ある地方都市で営業するそのジャズ眼科なのですが、医師一人に対して看護婦だけでも7~8人はやとっておりまして、眼科としてはかなりの規模です。 眼の手術においては高度な技術が売りで、近県からの患者も多くいると聞きました。 顕微鏡を眼にはめて、スコープで確認しながら、ホンのわずかな手の動きにすべてをかけるわけですから大変な仕事のようです。 その厳格な眼科医もいちど仕事を離れると 「ラリパッパのたそがれオヤジ」 に豹変! 医者はスケベが多いと聞きますので、『ラリパッパのたそがれスケベオヤジ』 ってなところでしょうか。 「ラリパッパ」って聞いたことありますか? 私より5~6年は上の世代なのですが、むかーしむかし、ときたまジャズ喫茶にいたようです。
ChinchikoPapa
でも、看護婦が7~8人もいる眼科って、なんとなく趣味で雇っていそうな気もしますけれど、一度かかってみたい眼科ですね。でも、わたしの好みとしては、身体に触れられても気持ち悪さを感じない、女医さんが理想ですが。(笑)
black_tie_1
その眼科は一日150人以上の患者を相手にするので大学病院なみの忙しさなんです。 待ち時間1~2時間、診察1~5分。 週のうち二日は手術の日なので看護婦はカルテの用意から予備的な検査の分担があって医師の診察前にすべて終えていなければ怒られてしまう。 看護婦も忙しそうなので7~8人は限界の人数のようです。 10年ほど前から設備の発達で経験の少ない医師でも資格さえあれば高度な手術が行えるようになったようです。(白内障の人口レンズなど) ただし、その医師が言うには突発的なアクシデントに対処できるのは経験に基づいた適切な判断なんだそうで、ひとつ間違えると一瞬にして眼の中のパーツが全部吐き出されてしまう。 やはり眼の手術は怖いようです。
ChinchikoPapa
http://blog.so-net.ne.jp/chinchiko/2005-01-26
わたしも案外、DIGやDUGにはそれほど出かけていませんね。でも、NEW DUGは友人とちょくちょく入った憶えがあります。なんだか両店とも、あまりにJAZZ喫茶のスタンダードすぎて、当時のひねっこびれたわたしには、面白味を感じなかったのかもしれません。
あえて、ちょっと外れたところの店へ、よく出かけていた記憶があります。スタンダードなお店では、気軽に入れる水谷八重子(当時・良重)が経営していた、歌舞伎町の木馬がありました。ずいぶん深いところにあるお店でしたけれど、中が広くて大勢でも入れたからなにかと便利だったのかもしれませんね。ポニーにはラリパッパがいましたが、木馬は案外健全でした。きっと、足元がおぼつかないので、地上にあったポニーとは異なり、深い地下フロアへ下りられなかったんじゃないかと。(笑)
150人/日というのは、すさまじい患者数の眼科ですね。これでは、医者の身体が心配になってしまいます。これでは、休みのときは少しぐらいハメを外さないと身が持たないでしょう。(^^;
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa