下落合を描いた画家たち・描かれた新宿編。

 灯台もと暗しというか、わたしは1992年に新宿歴史博物館で行われた、「描かれた新宿」展の図録のことをすっかり忘れていた。この図録の中にも、中村彝や曾宮一念、鶴田吾郎が描いた下落合風景が6点ほど存在するのだ。すべて、大正の中ごろに描かれたものばかりで、佐伯祐三の『下落合風景』Click!よりも5~10年ほど古い下落合の風景だ。中でも描かれたのは1年違いだが、中村彝と曾宮一念のメーヤー館Click!競作が目を惹く。1919~20年(大正8~9)にかけての、メーヤー館を南東と南西の異なる角度から捉えた、貴重な画像となっている。
 中村彝が1919年(大正8)に描いた『目白風景』()は、以前ここでご紹介した同時期の『目白の冬』Click!と、ほぼ同じ位置から描いた作品だ。ただし、こちらの作品のほうがメーヤー館の正面入口のある東壁面がやや多く見えているようなので、下落合504番地の空き地あるいは畑地から描いたものだろう。『目白の冬』では、その北側の英語学校の建物まではっきり描かれていたが、この作品でも右端にチラリと屋根が見えるようだ。
 また、翌年に描かれた曾宮一念の『落合風景』()では、彝の描画ポイントとは正反対の南西側からメーヤー館を描いている。手前に見えている道が、信じられない光景だがいまの目白通りのピーコックから入った、七曲坂へと向かう鼠山Click!筋の道路だ。ちょうど、最初に左折する道のあるT字路あたりのポイントだろう。これらの作品を見る限り、大正中期のメーヤー館の周囲は畑地あるいは空き地が拡がり、道にはそれらを囲う竹垣のようなものが設置されていたのがわかる。こちらの画面にも、北側の英語学校の屋根がほんの少し描かれている。彝が「目白」とタイトルを付けているのに対し、曾宮は「落合」としているのが面白い。
③ 
 次は、曾宮一念が1920年(大正9)に描いた『庭先』()。これはもう、すぐにどこだかわかってしまった。このサイトをお読みの方なら、「あそこしかない」と思われただろう。中村彝アトリエClick!の庭先だ。応接室(居間)の南に面した両開きの扉が開かれ、その前の階段に洋装のモダンな女性(連れ合い?)が腰をおろしている。ひょっとすると曾宮は妻を連れて散歩に出、林泉園の彝アトリエを訪問したものかもしれない。当時としてはとびきりモダンな女性を、階段に座らせて写生している。その背後の居間には、もちろん中村彝がいるに違いない。藤棚がすっかり枯れているので、真冬の情景だろう。彝アトリエの、当初のカラーリングがよくわかる。
 ちなみに、中村彝アトリエは区長選のあと12月に入り、耐震強度の精細調査に入った。つまり、「このまま保存しても地震に耐えられるか?」という調査で、明らかに区が保存を前提にしている姿勢として受け取れる。正直、とってもうれしい。(^^
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 次は、その中村彝が1917年(大正6)に描いた『落合の秋』()だ。彝は、1916年(大正5)の8月に下落合へ移転しているので、ほぼ1年後に描いた作品。この描画ポイントは厳密に特定はできないが、病状が悪くなる一方だったのでそれほど遠出をしたとは考えにくい。アトリエのすぐ前に拡がる、林泉園の谷間を描いたのではないだろうか。樹木の間に木柵のようなものがのぞき、その向こう側がなんとなく傾斜して落ちこんでいるように見える。彝は、アトリエの南側に接する尾根道のどこかにイーゼルをすえて、林泉園に繁る秋の木々を描いたのではないか。
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 そして、もう1作が中村彝の『新宿郊外』()。1916年(大正5)の作品なので、すでに下落合へ引っ越したあとの作品だろう。中央に描かれているのは、目白通りにでもあった大正時代のねじりん棒街灯、あるいはツタのからまる街灯だろうか? 地面が反射しているので、雨あがりの天気のように見える。この風景がはたしてどこなのか、残念ながら不明だ。同年の彝はまだ比較的に元気で、下落合を歩きまわりながら写生をしている。だから、アトリエのごく近くとは限らない。わざわざ目白崖線を下りて、下落合字本村までスケッチClick!に出かけていたりする。
 いま、「描かれた新宿」展の図録は、残念ながら新宿歴史博物館ではとうに在庫切れで、古書店でもなかなか手に入らない。きっと、同展の人気がかなり高かったのではないか。新宿歴史博物館の資料室で、かなり傷んだ1冊を見ることができる。

■写真上は、中村彝の『目白風景』(1919年・大正8)。は、曾宮一念の『落合風景』(1920年・大正9)。メーヤー館を別角度から描いており、周囲の大正中期の風景がめずらしくて貴重だ。
■写真中上は、曾宮一念の『庭先』(1920年・大正9)。は、1920年(大正9)前後に撮影された中村彝アトリエの庭先。階段に座っているのは、モダンガールではなく岡崎キイClick!
■写真中下は、中村彝の『落合の秋』(1917年・大正6)。は、林泉園の谷間の原状。
■写真下は、中村彝の『新宿郊外』(1916年・大正5)。彝が下落合へ越してから、間もないころの作品と思われる。は、1936年(昭和11)の空中写真に見る、作品までの描画ポイント。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2009年12月05日 19:18
  • ChinchikoPapa

    ごていねいに、リンク先の記事へもnice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2009年12月05日 19:19

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