ぐげぇ! てっ、てめえ斬りゃがったなぁ!

 

 洋画家・金山平三のアトリエにおける絶筆が、『栗山大膳』だと知ったとき、わたしは「はっ?」となってしまった。明治末から大正初期にかけて、パリを基点にヨーロッパ各地を写生してまわり、帰国後は日本の風景をいかに油絵の上に表現するかに腐心しつづけ、全国各地を描き歩いた“孤高の画家”。院展ひいては文部省の、官僚的で馴れ合いのアカデミズムを毛嫌いし、イヤな奴ら(帝展審査員)との会食も、「アンナ奴の前で飯が食えると思っているのか。人を馬鹿にして」(第二部会の崩壊時)・・・と、“画壇”にいさぎよく訣別していった反骨の老画家の絶筆が、歌舞伎『栗山大膳』だというのがちょっと意外だったのだ。
 金山平三が、200点にものぼる芝居の「隠し絵」を描いていたのを知ったのは、つい最近のことだ。それらの作品は、アトリエの大きなイーゼル横に置かれた窓際の木箱の中に、文字どおりひっそりと隠されていた。油絵具をテレピン油で薄めて、和紙(鳥の子紙)の上に描かれた芝居の舞台絵だ。子供のころ、神戸の芝居小屋へ通って観た幕の記憶をもとに、舞台を眺めた視線のままに描かれている。金山の眼差しは、まるでシャッターを切って網膜に画像を焼きつけたように正確で、抜群の記憶力による舞台の再現だった。桟敷席から、大向こうから、二階席から・・・と自分の観た視点の記憶そのままに、それぞれの芝居絵は描かれている。
 芝居絵の演目は、江戸末期から明治にかけて作られた、いわゆる今日的な「新歌舞伎」ではなく、旧作の古い舞台が多い。いまでは、めったに上演されない作品も多く含まれている。神戸の地元、ローカルな芝居一座による公演だったからだろう。これらの芝居絵は、ほとんどが兵庫県立近代美術館に収蔵されている。金山自身は、芝居絵が世に出て人気が高まると、「本芸の油絵の方はあまり言わず、芝居絵ばかり皆がやいのやいの言いよって」・・・と不満そうにしていたそうだが、彼のアトリエにおける「芸」は、冬の風景画や芝居絵を描くばかりではなかった。なんと、誰も見ていないアトリエでたったひとり、芝居を演じていたのだ。
 
 
 しかも、ひとり芝居だから、ひとりで何役もこなさなければならない。大坂(阪)は長町裏で、田島町の殺し役・団七が襲いかかったかと思うと、斬られ役の舅・義平次を演じて悶絶して倒れ、そのそばからムクッと起き上がって刀を振りかざしながら、とどめを刺して見得をきる団七(『夏祭浪花鑑』)・・・と、もうメチャクチャ大忙しなのだ。誰もいない、たったひとりのアトリエで衣装替えまでして演じ、しかも演技を記録したアルバムまでこしらえていた。かなり構図の外れた写真もあるので、もしかするとカメラのセルフタイマーで自分自身の演技を1枚1枚、ていねいに撮影していたのかもしれない。もう、金山のおじいちゃん大活躍の、ハイテンションなひとり芝居なのだ。
 アトリエにこもって、てっきりキャンバスに向かい作品を仕上げているものとばかり思っていると、そのうち中から・・・
 「も、もう、堪忍袋の緒も切れたぁ!」
 「へっ、斬れるもんなら斬ってみろ」
 「こ、これでもか!」
 「ぐげぇ~っ、なな、何しゃがる! てっ、てめえ、ホントに斬りゃがったなぁ!」
 「るせえ、とっとと冥途へ行きゃがれえ!」
 「ひひ、人殺し~! 親殺し~!」
 「是非におよばぬ、毒食らわば皿までじゃ!」
 「ゆ、許してくれぇ、勘弁してくれぇ~!」
 「勘弁ならねえ! 無鑑査めあての日和見第二部会なんぞ、こうしてくれるわ!」
 「ウゲゲウギャ、ギャ、ギャーーーッ!!」
 「悪い人でも舅は親ぁ~。だが官展に巣食う俗物どもめは、これでも喰らえ!」
 「うぐぐぐ・・・◆$■△&★¥!」
 「すまじきものは宮仕え~とくらぁ、とどめじゃ!」
 「げぇーっ・・・▲□%☆●!」
  
 アトリエから、ただならぬ大声や絶叫が聞こえてきたら、いったい金山先生はなにをしてるだろうかと、らく夫人をはじめ金山邸にいた人たちは、顔を見合わせやしなかっただろうか? それとも、「このところ毎日なのよ。また始まったわ」と、ため息をつきながら首を横にふっていたのだろうか。
 でも、芝居好きなわたしとしては、アトリエでひとり芝居にのめりこむハイな金山のおじいちゃんに、ぜひぜひ、たったひと目でもお会いしたかったのだ。

■写真上は、アトリエに残された金山平三自作のひとり芝居アルバム「夏祭」。ちゃんと芝居ごとに、タイトルが決まっているのだ。は、アビラ村Click!にいまも建つ金山平三アトリエ。
■写真中左上は、ぐげぇ~っ、なな、何しゃがる! てっ、てめえ斬りゃがったなぁ! 右上は、うぐぐぐ、げぇ~、あわわわ。ひひ、人殺し~、親殺し~! 左下は、ざまぁみやがれぃ、 これでもか、とどめじゃ! 右下は、かくして義平次と官展は息の根を止められたのだった。いずれも、画室にて撮影。
■写真下は、すまじきものは宮仕え~(仮名手本忠臣蔵)じゃ! は、金山平三の芝居絵の1枚『夏祭』(部分)。は、わが家に残っていた昭和20年代の『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』の舞台写真。団七(左)は二代目・尾上松緑、舅の義平次(右)は三代目・尾上鯉三郎。記憶のみで描いた舞台の構図と色彩の正確さに、ただただ驚くばかりだ。

この記事へのコメント

  • Nylaicanai

    う〜ん、このお家にはこんなにスゴイ人が住んでいたんですねぇ(^^ゞ なんとなく納得できるオーラが、今でも漂っています。
    2006年10月14日 02:12
  • kadoorie-ave

    す、すごい迫真の演技ですね。
    私も,似たようなことをしたことはあるけど、衣装は替えないし写真も撮らないし....。ところで、撮影は誰がしたのでしょう??
    2006年10月14日 13:46
  • ChinchikoPapa

    Nylaicanaiさん、こんにちは。
    わたしも、芝居別アルバムの存在を知ったときは、唖然としました。ここまで芝居の中に入り込んで、1点1点描いていくわけですから、はるかな記憶の中の舞台を再現するとしても、作品の役者たちが活きいきと息づいて見えるわけですね。
    2006年10月14日 18:25
  • ChinchikoPapa

    kadoorie-aveさん、こんばんは。
    カメラ位置が三脚で固定されていますので、ひょっとすると金山平三自身が、自分でタイマーつきワインダー(モータードライブの一種)で撮影しているのかもしれませんね。(^^; 実際の舞台を見直してスケッチすることもなく、こうまでして記憶の糸をたぐりながら、芝居絵を描いていたのかと思うと驚嘆してしまいます。
    kadoorie-aveさんも、アトリエでときどきひとり芝居をされてるんですか? 出し物はなんだろう?(笑)
    2006年10月14日 18:33

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