籌子と信子と時雨と。

 おそらく、昭和に入って間もないころだろう、下落合(現・中井2丁目)の五ノ坂上にあった吉屋信子の家Click!に、童話作家・村山籌子(かずこ)がシェパードの子犬を連れて現れた。吉屋信子は、犬好きとして広く知られていたけれど、この子犬は無理やり買わされたのかもしれない。このころ、夫である村山知義Click!は、何度か警察に逮捕され拘禁されており、一家を養わなければならなかった村山籌子は、童話の執筆や『婦人之友』の仕事に加え、一時期は今日でいうブリーダーのようなこともしていた。
 吉屋信子は、ことさらシェパードを欲しかったわけではないだろう。当時、作家の間では血統書付きのシェパードを手に入れ、軍用犬として陸軍に“寄付”する活動が盛んだった。特に流行作家の間では、高額な印税の一部を出し合って、軍用機や戦車を連名で“寄付”することなども行われていた。要するに、自分は「危険思想」の持ち主ではなく、「御国に忠誠」を尽くす実害のない物書きであることを表明する、一種の誓約行為のようなものだった。
 応接する吉屋信子の不機嫌さは、おそらく村山籌子に無理やり軍用犬の“寄付”をすすめられたか、あるいはしかたなく高価な血統書付きの子犬を、村山からしぶしぶ買わされるハメになったのだろう。彼女が持ちこんだドイツ直輸入の血統書つきシェパードは、当時の市場価格では100円もしたらしい。このとき、同行したひとり息子の幼い亜土を見ても、吉屋信子はニコリともせず、ことさら西洋館に住む恐ろしいおばさんの印象を彼に残している。村山亜土の『母と歩くとき』から、そのときの情景を引用してみよう。
  
 ある日、私は、生後一ヶ月ほどの仔犬を抱いて、母と下落合の立派な洋風の家に行ったことがある。そこの女主人は、オカッパ頭で、色の黒い、ギョロギョロと大きな目の人であった。私を見て、ニコリともせず、ずいぶんこわいおばさんだなと思った。吉屋信子という有名な少女小説の作家であった。
 当時、流行作家たちは、愛国心の証拠として「愛国一号」という飛行機を献納するのと同様に、由緒正しい仔犬を買って、それを軍用犬として陸軍に寄付したものである。    (「犬」より)
  
 
 当時、下落合に住んだ作家たちは、アナーキズム作家やプロレタリア作家たちが押しかけてくる“リャク”(略奪の略)に苦しんだ。徒党を組んで押しかけて玄関先へ居座り、大声を張り上げながらカネを出すまで動かない、要するに、早い話が芝居の世界によくある大店(おおたな)先の“ゆすりたかり”のたぐいだ。特に、本が売れてカネまわりのいい作家たち、あるいはもともと実家が裕福な作家たちが軒並み狙われた。流行作家の吉屋信子は、その“リャク”の格好な標的のひとりとなっていたのだろう。村山母子の来訪に、ニコリともしない彼女の様子が、それを言わずもがな物語っている。
 ところが少しあとのこと、山手に住む吉屋信子は、仰天してしまう光景を目撃する。同じころ、彼女が長谷川時雨Click!を訪問したとき、たまたま自称アナーキストたちが群れて大声をあげながら、時雨宅の玄関先を襲っているまっ最中だった。吉屋は、いつも自分が下落合でやられている“リャク”なのでウンザリしたに違いない。「美女」の長谷川時雨は、さっさとカネをやって青年たちを追い払うとばかり思っていたらしい。ところが・・・。
 吉屋は『美女しぐれ-長谷川時雨と私-』(中央公論社)の中で、そのときの時雨の啖呵を正確に書きとめている。
  
 「なに言ってやがる、てめいたちの泥臭いおどし文句にいちいちへこたれてたまるものか、わけえくせにそんなゆすりのような真似をしているのを、てめえたちのおふくろが見たら泣くだろうよ、かわいそうに。」
  
 そう怒鳴りつけると、眉ひとつ動かさず吉屋信子の小さなグラスに平然とリキュールを注いだらしい。玄関先はシンと静まり返って、青年たちはすごすごと退散した。後日、自称アナーキストたちはカネを出さない時雨宅に、今度は拳銃を持参して“リャク”に訪れ、彼女の足もとめがけて1発を発射した。幸い弾丸は当たらず、女中が腰を抜かす横で、時雨は平然と立ちながら青年たちを叱り飛ばしたようだ。長谷川時雨の美しい外観とは裏腹に、下町の乱暴な職人言葉(ちなみに彼女の家は代弁人=弁護士の家庭で、職人言葉はつかわれていなかったろう)がポンポン飛び出すのを聞いて、吉屋信子は唖然としたのだろう。時雨の前で、身を堅くする彼女の姿が目に浮かぶようだ。
 
 山手と下町における女性の気性の違いを、吉屋は改めて思い知らされたかもしれない。当時、多くの女性作家がそうだったように、彼女も時雨にたちまちホレてしまった。さて、長谷川時雨と村山籌子とか出会っていたら、はたしてどのようなやり取りがあっただろうか。このふたり、案外相性がいいような気がしないでもない。
 村山籌子に押し売り(たぶん)されたシェパードは、その後どうなったのだろうか? 吉屋が下落合から牛込区砂土町、やがて鎌倉へと引っ越すとき、シェパードを連れていた記録はないので、村山籌子から受け取るとほどなく、陸軍へでも“寄付”してしまったのだろう。

■写真上:鎌倉の吉屋信子邸。下落合のしゃれた西洋館とは異なり、こちらは正反対の和館だ。戦時中、吉屋邸から400mしか離れていない大仏(高徳院)裏へ、村山籌子母子が疎開してきている。吉屋は、また犬を買わされやしないかと、イヤな顔をしたかもしれない。
■写真中は、自由学園明日館Click!で結婚式を挙げたばかりの、村山籌子(左)と村山知義(右)の記念写真。は、村山亜土が綴った『母と歩くとき』(JULA出版局/2001年)。
■写真下は、わたしの祖母と同じ匂いClick!がする長谷川時雨。は、下落合の吉屋信子。

この記事へのコメント

  • アヨアン・イゴカー

    >高額な印税の一部を出し合って、軍用機や戦車を連名で“寄付”
    武器を寄付するのも初めて知りましたが、武器も今とは比べ物にならないほど安価だったのでしょうね。
    2009年02月04日 12:16
  • ChinchikoPapa

    こちらにもコメントとnice!をありがとうございます。>アヨアン・イゴカーさん
    当時は国内で量産していた時代ですから、現在の受注生産に比べて相対的に安価だったのでしょうね。貧乏でカネのない自称アナーキストたちでさえ、拳銃を買えたわけですから。^^;
    2009年02月04日 19:37
  • ChinchikoPapa

    開高健の作品は、学生時代によく手にしました。
    nice!をありがとうございました。>kimukanaさん
    2009年09月13日 19:45

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