「おおい、路子、わしの丹前は、どこへ仕舞ったかな?」
「父さん、もう姉さんは嫁に行ったよ」
(♪微かなヴァイオリンの調べと、秋の虫の音)
「・・・ああ、そうだったなあ。・・・こりゃ、つい、うっかりしてた」
「これからは、なんでもオレたちで、やらなきゃね」
「やあ、そうだった、そうだった」
「丹前なら、二階の箪笥のいちばん下だと思うな」
「・・・ああ、そういえば、路子が嫁(い)く前に、そんなことを言っとった」
「もう、しっかりしてくれよ、父さん」
「やあ、こりゃ、すまん」
「ははは」
「すまんすまん、ははは」
(♪やがて弦楽曲と、風が出てきたのか仕舞い忘れた江戸風鈴の音)
「・・・鎌倉の叔母さんも、ホッとした顔してたしね」
「ああ、そうだったなあ。これで、あいつも当分、顔を見せんだろ」
「ところで、姉さんはいまごろ、なにしてるかなぁ?」
「そりゃおまえ、きっと芦ノ湖でも見ながら、ゆっくりと、温泉に浸かっとるさ」
「・・・いや、違ってるよ、父さん」
「うむ? なにが、違っとるんだ?」
「姉さんはいま、芦ノ湖の上さ」
「そうか、路子とおまえは、GPS端末だったな」
「少しずつ移動してるから、モーターボートか遊覧船だね」
「じゃあ、ちょいと、連絡でも入れてみるか」
「テレビ電話で、新婚の邪魔しちゃダメだよ、父さん」
「・・・わかっとる、メールだけだ」
「あっ、父さん、今晩のCSで『ハワイ・マレー沖海戦』やるよ」
「なに、山本監督の? なんだ、そりゃいかん。これから近所へ戦友と、飲みに行こうと、思っとったんだがなぁ。・・・そりゃ、いかん」
「そのあとに『加藤隼戦闘隊』と、『雷撃隊出動』もやるですよ」
「ばかもん、その山本監督ではない。ほう、♪守るも攻むるもくろがねの~の三部作か」
「9時からだってよ」
「じゃあ、ストレージでも按配しとくか」
「mpgのファイルでね、父さん」
「わかっとる。この前、aviフォーマットにしたら、おまえにたいそう叱られたからな」
「あたりきしゃりきさ。記録したら、サーバの共有ファイルに入れといてよ」
「いや、わかっとる、わかっとる」
「それから、クライアントはワンタイムのマトリックス認証にしたからね、父さん」
「また、おまえ、認証システムを、勝手にいじりおって」
「だって、姉さんがいなくなると、いろいろ心配なんだな」
「・・・おや、丹前は、一階の箪笥の、真ん中の引き出しだそうだ」
「あっ、こりゃまいったな」
「おまえも、まったく、あてにならん」
「姉さんに一本とられちまった」
「こんなことでは、ふたりとも、いかんいかん。はははは」
「はははは」
こういう昔ながらのお宅では、このようなホームドラマがきっと繰り広げられているのに違いない。(爆!) でも、ほのかな余韻にひたる間もなく、あっという間にネットでコミュニケーションでき、いろいろ想像をたくましくする間もなく、たちどころにピンポイントで“確認”できてしまう現代が、いちがいに暮らしやすいかどうかは定かでない。
■写真:西陽を避けるすだれの下がった、美しい日本家屋。向島にて。
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ChinchikoPapa