下落合を描いた画家たち・曾宮一念。

 下落合の風景を描いた画家は、なにも中村彝や佐伯祐三に限らない。ほかにも、いくつかの「下落合風景」が残っている。以前に、目白文化村シリーズでご紹介した松下春雄の『下落合文化村入口』Click!(1925年・大正14)もそうだが、下落合に住んだ多くの画家たちが、自宅兼アトリエがあった周辺を描いている。先日、国立近代美術館で観た安井曽太郎の描いた雑木林も、下落合の近衛町近く、御留山あたりのように思えたが判然としなかった。
 ものたがひさんからご提供いただいた、他の画家たちの作品をもとに、佐伯祐三以外の下落合風景作品の描画ポイントを特定してみよう。まず、上の写真は曾宮一念が描いた『冬日』(1925年・大正14)だ。下落合に古くからお住まいの方なら、この絵をひと目観たとたん「ここだよん」と、すぐに場所を特定できてしまうだろう。この絵には描画位置の特定に迷わない、大きな特徴がある。
 手前に、まるでプールのように見えているのが、下落合で収穫された野菜の土落としに使われた「洗い場」Click!。谷戸からつづいた小流れの、湧水源のひとつだった。のちに少し南へと移動しているようだが、宅地化が進み洗い場の用がなくなったあと、のちに湧水を活用したプールが建設された。この湧水は現在も枯れずに湧きつづけ、地下の下水管Click!へと流されている。南から入りこんだ谷は、左手(東側)へとほぼ直角に曲がりこんでいる。この特徴的な谷間は、大正末から昭和初期にかけ家が建てこんでしまう以前の、もちろん諏訪谷の姿だ。
 この「洗い場」は、明治から大正期、大正末から昭和初期と、微妙に位置を変えているようだ。曾宮一念が描いた1925年(大正14)当時は、翌年に作成された「下落合事情明細図」の位置よりも、60~70mほど北に寄った位置にあったらしい。諏訪谷が直角に東へと折れた、東側の尾根の陰に隠れるあたりだ。でも、1926年(大正15)の「事情明細図」には、のちにプールが造られる位置へと、すでに移動してしまっている。現在の聖母坂の途中にある、ちょうどコンビニとローゼ下落合マンションあたりだ。佐伯祐三がこのあたりの風景を描くころには、“洗い場”は宅地造成で埋め立てられて南へと移動し、諏訪谷は次々と家々で埋めつくされていった。この『冬日』が描かれたのは、1925年(大正14)の1月ということのようだ。
 まるで半島のように南へ突き出た、右手の小高い丘。現在は、聖母坂と聖母病院Click!にほとんど削られて、もはや丘には見えなくなっている。東の諏訪谷と西の不動谷Click!を“湾”だとすると、大きな“半島”のように丘陵が南へ向かって突き出していた。その“半島”の先端は、おそらく西坂と同じような急斜面で、いまの保谷硝子本社の手前あたりへ落ちこんでいただろう。佐伯祐三が自宅アトリエを出て、ひとつ小高い丘を越える感覚で諏訪谷までやってきた・・・というような表現をわたしがするのは、1931年(昭和6)に聖母病院が建設されるまで、このあたりはこんな風情だったからだ。(って見たのかい?/爆!)
 
 不動谷の谷戸の突き当たり上にある佐伯アトリエも、この丘の尾根筋から見ればやや低い位置にあり(八島さんの前通りの尾根筋からも、同様に低い位置となる)、また反対側の諏訪谷の突き当たりにあった曾宮一念邸や、さらにその北側あった里見勝蔵邸も、聖母の尾根筋から見れば少し落ちこんだ地形だった。現在では、丘のほとんどを削って整地化がなされ、なおかつ聖母坂(補助45号線)は深く掘削されて敷設されたので、元の丘の姿を想像するのもむずかしくなっている。
 この丘のさらに遠方(南西側)には、不動谷の尾根筋、つまり「八島さんの前通り」Click!沿いに並ぶ家々が、ぽつんぽつんと見えている。その突き当りが、徳川邸や静観園Click!のあるところで、やがて西坂へと急激に落ちこんでいる。また、左手(東側)には、諏訪谷と久七坂の尾根道に挟まれた高台の敷地に、大きな2階建ての屋敷が建っているのが見える。真冬のせいか、洗い場には野菜を洗う下落合農家の人たちの姿は見えない。現在、この描画ポイントから谷を眺めようとしても、家が視界をふさいでいて見えない。少し描画位置から西へ外れるが、谷へと降りられる階段の途中から撮影したのがこの写真。作品の視点よりも、少し低めになってしまった。

 曾宮一念の『冬日』は、自邸前の道か、あるいは諏訪谷の北側崖淵にイーゼルをすえて描いたものだろう。この景色の左手画角外には、1925年(大正14)の冬現在にあったかどうかはわからないが、1926年(大正15)の秋にはすでに「セメントの塀」Click!がつづき、大六天の斜向かいには、やはり塀がつづく浅川邸(戦後はY邸)Click!が建っているはずだ。

■写真上:曾宮一念『冬日』(1925年・大正14)。
■写真中は1936年(昭和11)の空中写真。すでに「洗い場」は南へ移動しているが、元「洗い場」があったあたりに空地が見える。は、1926年(大正15)の「下落合事情明細図」。曾宮一念が描いた1年足らずのうちに、諏訪谷は住宅地として大きく開発されたようだ。それは、1926年(大正15)の秋から1927年(昭和2)に描かれた、佐伯祐三の『下落合風景』Click!からもうかがえる。
■写真下:描画ポイントの、少し西寄りから撮影した諏訪谷。右端の、金網にかかって見える茶色い建物が聖母病院だ。聖母坂の東側には背の高いマンションが連なるので、いまいち地形が分かりずらいが、諏訪谷から見ると聖母坂は北へ行くにつれてどんどん高い位置になっていく。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    以前の記事にまで、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。
     >sigさん
     >kurakichiさん
    2016年11月04日 22:48

この記事へのトラックバック

私が東京に行った理由
Excerpt: コメントにも書きましたが、7月に私が東京に行った理由を、誤解を解くために皆様にご説明しておきます。  私はまず第一に、高島野十郎と坂本繁二郎の作品を、実際にこの目で見て、その芸術の意味を確認したかった..
Weblog: magnoria
Tracked: 2006-08-03 20:49

曾宮邸に現れた佐伯祐三の幽霊。
Excerpt:  下落合の諏訪谷に面した曾宮邸Click!に、佐伯祐三がしばしば訪れていたことは以前にも書いたClick!とおりだ。佐伯は『下落合風景』シリーズClick!を描いたあと、使っていたイーゼルや絵道具を..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2006-10-26 00:13

下落合を描いた画家たち・鶴田吾郎。
Excerpt:  下落合に住んだ洋画家・鶴田吾郎が描いた作品の中に、1921年(大正10)の『初秋』がある。建物のドアを開けて、いままさに男が「じゃ、行ってきます」と、戸外へ出ようとしているところだ。外はいい天気ら..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2006-11-21 18:59

小使いにされてしまった満谷国四郎。
Excerpt:  目白や池袋界隈にあった、成蹊学園や成蹊高等女学校(現・成蹊大学)の創立者である中村春二と今村繁三は、駈け出しで貧乏な画家や音楽家たちを支援したことでも知られている。特に、下落合に住んでいた中村彝C..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2006-12-27 00:01

下落合はこんな夢をみられる街。
Excerpt: 上の写真は、いわずと知れたパリ近郊のオーヴェル・シュル・オワーズに建つ、ゴッホの作品で有名な教会だ。手前、ちょうどゴッホが画架をすえた描画ポイントには、『オーヴェルの教会』(1890年)の画像とともに..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-01-02 00:05

下落合から眺める富士山ふたたび。
Excerpt:  曾宮一念Click!は、山岳の専門誌『アルプ(Alp)』(創文社)にずいぶんエッセイを残している。でも、彼は登山を趣味にしていたわけではない。山登りの趣味は、友人の鶴田吾郎Click!のほうだろう..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-01-03 00:00

人間交差点『聖母病院の友人たち』。
Excerpt:  わたしの家族は、わたしひとりを除き全員が聖母病院への入院経験がある。オスガキたちが産まれたのも聖母病院なら、肺炎やインフルエンザ、喘息などで入院したのもこの病院だ。だから、わたしはなにかというとセ..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-02-07 00:00

中村彝の結核治療遍歴。
Excerpt:  中村彝は結核に罹患して以来、実に多くの医者にかかっている。いや、医者ばかりでなく、食事療法や呼吸法、沐浴法、はては民間療法から新興宗教まがいのものまで、結核治療に効果があると聞けば、当時行われてい..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-02-28 00:00

こんにちは、「ローリングピン」さん。
Excerpt:  昨年のちょうど今ごろ、店じまいをして下落合からいなくなってしまった、アメリカンパイの専門店「ローリングピン」さんの記事Click!を書いた。曾宮一念Click!や佐伯祐三Click!が描く、「下落..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-03-01 00:00

創作意欲が燃えた震災直後の中村彝。
Excerpt:  1923年9月1日に関東大震災Click!が起きた直後、中村彝とその周辺の動きはあまり具体的には語られてこなかった。アトリエ東側の壁が崩れ落ちClick!、雨風が吹きこむような状態になってしまった..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-03-03 09:26

帝展派の「中村会」と曾宮一念。
Excerpt:  中村彝の死後、彼のアトリエは周辺に住む画家たちのサロンのような使われ方をしていた。いわゆる「中村会」、あるいは「画室倶楽部」の集いだ。大正末のこの時期、いまだ「中村彝会」とは呼ばれず、仲間うちでは..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-03-21 00:00

空白時代の落合町「商工地図」。
Excerpt:  1925年(大正14)2月に作成された、高田町/落合町/長崎町の「大日本職業別明細図」を入手した。発行月からみて、前年の1924年(大正13)現在の下落合の様子と考えて間違いないだろう。関東大震災..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-03-24 00:07

消えた道と「第2の洗い場」と釣り堀。
Excerpt:  佐伯祐三が何度か足を運び、山田新一がクリスマスのエピソードとして記録にもとどめている、1922年(大正11)ごろまでは確実に存在したとみられる不動谷側Click!の「第2の洗い場」Click!は、..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-03-30 00:00

諏訪谷に繁った巨木のゆくえ。
Excerpt:  なんだか、植木屋さんブログのようなタイトルだけれど、この題名には重要な意味がある。もちろん、佐伯祐三の「下落合風景」Click!シリーズにおいてだ。上の左側の作品は、1930年協会の第2回展へ出品..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-05-08 00:06

下落合を描いた画家たち・松下春雄。
Excerpt:  多くの「下落合風景」を残している洋画家のひとりに、下落合の第一文化村の北側、やがては葛ヶ谷(西落合)に住んだ松下春雄がいる。以前にもここで、『下落合文化村入口』Click!(1925年・大正14)..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-05-14 00:02

とってもうれしい『下落合風景』の話。
Excerpt:  先日、ここでご紹介したばかりの、諏訪谷開発にともなって巨木がおそらく移植Click!された谷戸上に面し、佐伯祐三の「下落合風景」シリーズClick!に描かれた唯一現存する最後のお宅に、少し前から貼..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-05-23 00:00

下落合を描いた画家たち・大久保作次郎。
Excerpt:  池袋の東京パンで焼かれた食パンを、1週間ほどで3斤棒1本も消費する、下落合540番地の大久保作次郎アトリエClick!では、弟子たちが邸内のあちこちで写生をしていた。大正期の大久保邸は、一種の画道..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-06-19 00:47

画室には中村屋の娘の肖像が架けられていた。
Excerpt:  洋画家・曾宮一念Click!は、もともと文章を書くのが好きだったのか、昭和期に入るとたくさんのエッセイを残している。日本橋に生まれ霊岸島界隈で育った彼は、江戸の残り香が濃厚な明治の東京について、し..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-07-04 00:10

大正時代の「マンガ家」たち。
Excerpt:  明治から大正時代にかけて、漫画家とよばれる人々は政治や世相の風刺表現などを中心に、もちろん存在していた。でも、ここでいう「マンガ家」とは彼らのことではない。洋画家である中村彝、曾宮一念、岸田劉生の..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-07-05 00:00

下落合の絵描きを集めた4人展。
Excerpt:  曾宮一念や金山平三、あるいは安井曾太郎の書籍や年譜を読んでいると、必ず目にするのが「湶晨(せんしん)会」という絵画集団だ。ちょうど、太平洋戦争が始まる1941年(昭和16)に発足し、その後、戦争が..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-07-06 00:11

再現・益満邸テニスコート前の佐伯祐三。
Excerpt:  前日、雨模様の中を美術学校の恩師である森田亀之助邸Click!の南隣り、下落合630番地に引っ越してきて住んでいる里見勝蔵を訪ね、ついでに20号の「森たさんのトナリ」Click!を仕上げた佐伯祐三..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-08-25 14:08

下落合を描いた画家たち・銭痩鉄。
Excerpt:  吉田博が描いた下落合は、めずらしい木版画による徳川邸の「静観園」Click!だが、同様に西洋画ではなく墨画で下落合風景を描いた画家がいる。名前の通り、日本の画家ではなく中国の画家であり、また篆刻(..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-09-26 00:00

彝ときいの大震災避難コース。
Excerpt: 中村彝の書籍や資料を読んでいると、1923年(大正12)9月1日の関東大震災Click!のときに、近くの「友人宅」あるいは鈴木良三Click!宅へ避難したという記述があちこちに見られる。震災でアトリエ..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-10-22 00:02

続・林芙美子の「お化け屋敷」を拝見する。
Excerpt:  少し前に、林芙美子の五ノ坂にあった西洋館の邸内Click!をご紹介したが、さらに室内の写真を数葉いただいた。ちなみに、目白文化村Click!でご紹介した林芙美子の記事中で、イーゼルの画布に向かう彼..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-12-29 00:25

目白会館からスタートした矢田津世子。
Excerpt:  結核により、36歳の若さで病死するまで、ずっと下落合に住みつづけた小説家に矢田津世子(やだつせこ)がいる。吉屋信子Click!と同じように、矢田の下落合における引っ越しルートを書こうとしていたのだ..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2008-01-04 00:16

自邸前の佐伯作が気に入らない曾宮一念。
Excerpt: 1992年に出版された『新宿歴史博物館紀要・創刊号』の曾宮一念インタビューClick!で、佐伯祐三Click!が描いた『下落合風景』Click!シリーズの1作、「セメントの坪(ヘイ)」Click!に触..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2008-05-06 01:10

彝ときいの大震災避難コース。
Excerpt: 中村彝の書籍や資料を読んでいると、1923年(大正12)9月1日の関東大震災Click!のときに、近くの「友人宅」あるいは鈴木良三Click!宅へ避難したという記述があちこちに見られる。震災でアトリエ..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2008-05-28 15:59

岡崎キイがめぐる彝死去の急報ルート。
Excerpt: 1924年(大正13)12月24日(水)の晴れた日、中村彝Click!が喀血をのどに詰まらせて急死したとき、付き添って看護していた岡崎キイはそれを知らせるために、下落合に住んでいた彝の親友たちのもとを..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2008-06-07 00:01

ツネ公のところへ連れてってやろう。
Excerpt: 鈴木良三の遺稿集に、1999年(平成11)に木耳社から出版された『芸術無限に生きて』(梶山公平・編)がある。絵描きになりたかった鈴木良三Click!は、興味半分で受けた東京慈恵医専へパスしてしまうと、..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2008-10-19 00:13

下落合を描いた画家たち・大久保作次郎。
Excerpt: 池袋の東京パンで焼かれた食パンを、1週間ほどで3斤棒1本も消費する、下落合540番地の大久保作次郎アトリエClick!では、弟子たちが邸内のあちこちで写生をしていた。大正期の大久保邸は、一種の画道場の..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2008-11-26 14:51

鈴木良三が垣間見た佐伯祐三。
Excerpt: 中村彝Click!に兄事し、戦後は中村彝会の会長を長くつとめた鈴木良三Click!が、佐伯祐三Click!と出会ったのは関東大震災前の1922年(大正11)のころだった。佐伯はいまだ東京美術学校の学生..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2008-12-14 00:01

会費1円で「こりゃ安い!」1930年協会。
Excerpt: 大正期に洋画家たちがよくマンガを描いていたのを、曾宮一念Click!や中村彝Click!、岸田劉生Click!を例にあげてご紹介Click!にしたことがあったけれど、今度は1930年協会の“マンガ家”..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2008-12-24 00:52

今度は旅の車窓からオシッコじゃ!
Excerpt: 先日、銀座の日動画廊で開かれていた、「日本の美-金山平三とその時代展-」を観てきた。日本各地を描いた金山作品の展示とともに、金山平三Click!とよく写生旅行で同行していた刑部人Click!をはじめ、..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2009-01-29 00:05

湧水の「落合プール」は冷っこい。
Excerpt: 下落合には、バッケClick!(崖地)から湧く泉の小流れを活用したプールが、昭和初期にいくつか造られている。これだけ湧水が多く、水が清廉だった落合地域には、水道水によるプールは必要なかったのだ。湧水プ..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2009-06-06 00:01

下落合の絵描きを集めた4人展。
Excerpt: 曾宮一念や金山平三、あるいは安井曾太郎の書籍や年譜を読んでいると、必ず目にするのが「湶晨(せんしん)会」という絵画集団だ。ちょうど、太平洋戦争が始まる1941年(昭和16)に発足し、その後、戦争が激し..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2011-05-18 10:45

消えてしまった斜面の『下落合風景』。
Excerpt: わたしの手許に、公開を留保されている佐伯祐三Click!の『下落合風景』Click!の画像がある。どのような作品だか、そのまま画像を公開してしまうのはルール違反なので、わたしが同作品をスケッチして、ど..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-02-14 00:01

サエキの野▲ソよりはるかにマシじゃ!
Excerpt: 「おーい、人くん、わ~しじゃ! 散歩かい?」 「あれれ、金山センセ、大石田からおもどりでしたか?」 「また、あんたとこの池で遊ぶんじゃ。タライClick!持ってくとこなんや」 「あのー、金山センセ、池..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-05-23 09:57

落合大根の沢庵漬けの作り方。
Excerpt: 江戸東京には、江戸期に品川の東海寺にいた沢庵和尚が発明した漬け物だから、「沢庵漬け」と呼ばれている…というエピソードが根強く残っている。でも、沢庵が徳川家光に供したとされる漬け物=今日の「沢庵漬け」は..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-04-16 00:00

曾宮邸に現れた佐伯祐三の幽霊。
Excerpt: 下落合の諏訪谷に面した曾宮邸Click!に、佐伯祐三がしばしば訪れていたことは以前にも書いたClick!とおりだ。佐伯は『下落合風景』シリーズClick!を描いたあと、使っていたイーゼルや絵道具を曾宮..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2014-01-15 12:33

とってもうれしい『下落合風景』の話。
Excerpt: 先日、ここでご紹介したばかりの、諏訪谷開発にともなって巨木がおそらく移植Click!された谷戸上に面し、佐伯祐三の「下落合風景」シリーズClick!に描かれた唯一現存する最後のお宅に、少し前から貼り紙..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2015-03-14 15:09

下落合を描いた画家たち・曾宮一念。(4)
Excerpt: 静岡の江﨑晴城様Click!より、曾宮一念Click!の「下落合風景」と思われる画面を再びお送りいただいた。江崎様が、8月から佐野美術館で予定されている『曽宮一念と山本丘人 海山を描く、その動と静』展..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2015-07-26 00:01