椿山のバッケと谷戸めぐり。

 目白台の向こう側にある椿山(つばきやま)も、下落合と同じようにたくさんの泉が湧き、典型的な谷戸地形が見られる目白崖線(バッケ)の南斜面だ。現在は、椿山荘や関口芭蕉庵となっているこのバッケは、山県有朋や田中光顕をはじめ、さまざまな人々の“御殿”が建設された。だが、幸運にも大きな開発をまぬがれつづけて、昔日の目白崖線の姿をよくとどめている。
 神田川に接する関口芭蕉庵を含む、その背後にある蕉雨園(旧・田中光顕邸)も含めて、武蔵野原生林が繁る目白崖線がそのままの姿で残されている。椿山斜面の傾斜は、下落合や中落合の南斜面に比べてかなり急峻で、文字通り神田川へと突き出した崖地そのものとなっている。一部に入り込んだ谷戸地形を除くと、この崖線は護国寺へと抜ける東側に面した音羽の谷へ徐々に落ち込み、南の江戸川橋へと抜けている。

 椿山を登り始めると、すぐ眼前に谷戸が入り込んでいるのに気づく。神田川方面から、ちょうど椿山荘のある北側の丘上にかけて、湧水をともなう深い谷戸が鋭く切れ込んでいる。東側がホテル「フォーシーズンズ」の丘に、西側が蕉雨園から芭蕉庵へとつづく丘に挟まれた、典型的な武蔵野の谷戸地形だ。谷戸の規模からいうと、ちょうど聖母坂が通う下落合の不動谷と同じぐらいの規模だが、崖地のけわしさからいえば不動谷の比ではない。椿山のほうは、東西北の三方から絶壁のような崖に囲まれている。
 目白崖線の南斜面で、いまだに泉が地表へ湧きつづけているのは、この椿山と新江戸川公園(旧・細川邸)の湧水池、学習院の血洗池湧水、そして下落合の御留山(旧・相馬邸)の水源しかない。無数に存在したバッケの湧水群は、埋め立てられ下水道として暗渠化されるか、あるいは宅地開発の過程で泉が枯渇してしまった。昔から椿が多かったものか、古く南北朝時代からそう呼ばれるようになった椿山だが、この界隈の雑木林をめぐっていると、大正期以前の下落合の景観をそこはか想像することができるのだ。


 武蔵小金井や国分寺に通う国分寺崖線(ハケ)も好きで、わたしは昔からときどき訪れているが、まったく同じような地形や風情でも、目に見えて異なる点がひとつある。斜面から湧きつづける、泉の勢いだ。目白崖線がチョロチョロなのに対し、国分寺崖線の湧水はポンプアップもしていないのにザーザーと音を立てて流れている。泉の水量が、まったく違うのだ。目白崖線は、地表をアスファルトやコンクリートで覆われ、降水のほとんどが下水管へと流れ込むのに対し、国分寺崖線は地下水脈への浸透度がいまでもかなり高いのだろう。それが、明らかな湧水量の差となって表れている。
 だが最近、目白崖線でも地下水脈の水量は、それほど昔と変わってないのではないかと思われる出来事があった。大雨などが降ると、地下を走る下水道で処理しきれなくなった水脈は、その流れの幅を大きくふくらませながら、限りなく地表面へと近づくことになる。そして、ビルの地下室にジワッと下から浸入したり、あるいは住宅をわずかに押し上げたりする現象がみられたのだ。湧水口である泉を失い、細い下水管では間に合わなくなった地下水脈は、コンクリートの地面に押さえられつつも、現在でも大河となって目白崖線の下を流れているのではないか。ある日、斜面のコンクリートを剥がしたら、水道管が破裂したようにいきなり泉が湧きだした・・・なんてことがあるのかもしれない。
 
 では、昔日の目白崖線の風情をうかがい知ることができる、椿山の散策Click!に出かけてみよう。

■写真上:神田川から見た椿山。手前に見える建物は、移築された京都の三井邸(五慶庵)。
■写真中は、1936年(昭和11)の椿山上空。当時、椿山荘は藤田平太郎の所有だった。椿山の東側に北へと鋭く切れ込んだ、谷戸の深い緑が印象的だ。は、椿山から眺めた焼失前の藤田邸。
■写真下は、広島の竹林寺から移築された三重塔。は、萱葺の茶室(長松亭)。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    そのほか、いつもたくさんのnice!をありがとうございます。>kurakichiさん
    2009年07月14日 16:04

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