下落合風景を描く佐伯祐三を描く笠原吉太郎。

 ちょっとややこしいタイトルだけれど、そういうことなのだ。佐伯祐三が生きた時代、下落合には画家たちが数多く住んでいたが、笠原吉太郎(かさはらきちたろう・1874~1954年)もそのひとり。あまり知られていない画家だが、ネットを探すといくつかの画廊で、いまでも作品が取り引きされているのがわかる。戦前、中国に取材した作品が多いようだ。笠原は佐伯より24歳も年上だけれど、当時、おそらくは近所のよしみもあってお互い顔なじみでもあったようだ。
 笠原吉太郎の作品に、『下落合風景を描く佐伯祐三』(1927年・昭和2)というのがある。同年4月の作品なので、佐伯が2回目の渡仏をする5ヶ月前の姿だ。描かれた佐伯の格好を見ると、黒い帽子らしきものをかぶり髪はボサボサで、ダブダブの仕事着(ルバシカか?)に細めのパンツ、足はおそらく素足で下駄かゾーリをつっかけている。このいでたちで、下落合のあちこちを画材を求めて散策していたわけだ。150cmサイズのイーゼルに、小柄な163cmの佐伯はキャンバスを横位置にすえて、さかんに絵筆を動かしているようだ。
 この道端は、いったいどこだろうか? 笠原吉太郎の家があった前の道、すなわち「八島さんの前通り」かもしれない。おカネ持ちだったらしい笠原は、自宅のしゃれた洋館を出たところで、道端の佐伯祐三を見つけて・・・
 「やあ、佐伯君。きょうも、朝からやっとるね」
 「はあ、やっとります」
 「それにしても佐伯君、同じ道ばかり描いて、よく飽きんね?」
 「はあ、実はとうに飽きとりますわ。パリ行きの頒布会用やさかい、稼がなあかんのです」
 「どうやら、後世の人たちは、この道ばかりを見させられそうだな。はっはっは」
 「ほんま、この道にはようお世話んなりましてん」
 「そうだ、佐伯君。いい機会だから、君をちょいと描かせちゃくれないかね?」
 「・・・は、はあ、さて、・・・どなんしょ」
 ・・・ってな会話があったかもしれない。佐伯祐三は描いてくれたお礼のつもりか、渡仏前に『笠原吉太郎像』を描いている。

 朝日晃の『そして、佐伯祐三のパリ』(2001年)の中で、外山卯三郎が書いた笠原吉太郎に関する紹介文が引用されている。
  
 今の下落合はまだ東京の郊外の田舎で、細い道を歩いて丘陵を越えたり、渓谷を渡るといった状況だったのです。当時まだ北多摩郡落合村字下落合といった時代で、草ぶきの屋根の落合村役場の隣に火見の楼があった頃のことなのです。この村役場のうらの方の徳川家の牡丹園のはずれのところに、スレイト葺の入母屋の洋館が建っていたのです。これが笠原吉太郎の家で、いわゆる大正タイプの洋館だったのです。   (外山卯三郎「画家・笠原吉太郎を偲ぶ」より)
  
 ちなみに、文中で「落合村」と記述されているが、1924年(大正13)より落合町になっているので、笠原の『下落合風景を描く佐伯祐三』が描かれたときは、すでに落合町時代だった。下落合を拠点とした画家たちの、「1930年協会」の展覧会に、笠原吉太郎も作品を出展している。佐伯がまだ下落合にいた、1927年(昭和2)6月の第2回展には4点出品し、その後も同展に参加している。
 
 「八島さんの前通り」沿いの下落合679番地、佐伯アトリエから直線で200m足らずのところに住んでいた笠原吉太郎は、その後中国各地を写生してまわったようだが、それらの作品とともに画名が広く知られることはなかった。『下落合風景を描く佐伯祐三』は、個人に秘蔵されてでもいるのか、あるいは失われてしまったものか、いまは行方不明となっている。

■写真上:笠原吉太郎『下落合風景を描く佐伯祐三』(1927年・昭和2)。
●地図:「下落合事情明細図」(1926年・大正15)に描かれた笠原邸。第三文化村の南端にあった。
■写真下は、1947年(昭和22)の空中写真に写る笠原吉太郎邸。戦災にあわず焼けなかった道筋なので、「大正タイプの洋館」はわたしも学生時代に目にしていたのかもしれないが、記憶に残っていない。は、佐伯祐三『笠原吉太郎像(男の顔・K氏の像)』(1927年・昭和2)。

この記事へのコメント

  • 中村文夫

    外山卯三郎著の「野に咲くアザミ」の本は、どこで見ることが
    できるでしようか?
    表題の意味を知りたいのです。
    2007年04月06日 12:15
  • ChinchikoPapa

    いつもリンク先までnice!をいただき、ありがとうございます。>kurakichiさん
    2009年11月07日 18:52

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