あと1年以上は楽しめる。

 先日、東京都現代美術館へ出かけてきた。もちろん、ものたがひさんにお教えいただいた『佐伯祐三全画集』(朝日新聞社・1979年)収録の、『下落合風景』シリーズをカラーコピーするためだ。通常の都立や区立の図書館には、高価なせいかどこにも収蔵されておらず、どうしても美術館付属の図書室でなければ見ることができない1冊。
 現代美術館では貸し出しが多いせいか、大判の装丁はかなりくたびれており、開架ではなく書庫の奥のほうから大事そうに出してきてくれた。さっそく、気もそぞろにページをめくると、静寂な閲覧室で「アハハハハ・・・、ハァ~・・・」と思わず笑い出したくなって、ついでにため息をつきたくなってしまった。あるわあるわ、まだ取り上げていない『下落合風景』と、それに近似した風景がカラーとモノクロで次から次へたっぷりと・・・。
 以前、すー@上落合さんにお教えいただいた朝日晃の書籍や図録と合わせると、都合15点の描画場所の特定を待っている(笑)『下落合風景』が見つかった。すでにポイント特定を済ませている作品18点+15点=33点で、おそらく戦災をまぬがれた、あるいは写真でのみ残る佐伯の全『下落合風景』作品が、ほぼ出そろったことになるのだろう。
 新たに観たシリーズ作品の中で、地形や家並みなどの特徴から、すぐにも場所特定ができてしまう作品は4~5点あるが、「う~ん・・・」と考えこんでしまう作品も少なくない。また、数ヶ月にらめっこをして、あちこち取材しなければならないのだろう。それから、「八島さんの前通り」のバリエーションである「門」Click!が、新着の15点とは別にカラーで観ることができたのが嬉しい。戦災で焼けてしまったと思っていた作品だ。こちらもせっかくだから、別途、改めてこちらで取り上げたいと思う。
 だが、『下落合風景』に混じって、これは下落合ではないのでは?・・・と感じた作品もあった。以下の「絵馬堂」と「ガード」だ。
 
 まず「絵馬堂」だが、これに相当するものが下落合に存在しない。絵馬で有名なのは中井御霊神社Click!だが、絵馬は本殿に架けられていて絵馬堂は存在しない。社(やしろ)はもちろん、寺院にも絵馬堂の存在は聞いたことがない。戦後は荒れるにまかせていた、藤森稲荷Click!かとも想定したけれど、そのような記録は残っていなかった。おそらく、関西方面(北区光徳寺)に帰った際に描いた、天神系の絵馬堂ではないだろうか?
 もうひとつの「ガード」だが、学習院へと抜ける山手線の「ガード」Click!とは、上部も壁面も明らかに形状が異なるので、これも下落合ではない。手前の踏切りから、鉄道のガードが間近に見えるこのような風景は、当時もいまも下落合にはない。また、山手線の「ガード」の描画ポイントである、手前に白い垣根のある空き地が、このガードには見あたらない。佐伯はこの時期、好んでいくつかのガードあるいはガード下を描いているようだが、山手線の田端駅近く、宇都宮線や京成線が交差するあたりの風景ではないだろうか。
 これら2作品を除くと、『下落合風景』Click!は残り15作品ということになる。ところで、現代美術館のカラーコピー機は、あまり性能がよくない。色が思うように出力できなかった。(ほんとうはスキャニングするのがいちばんキレイなのだけれど・・・) できるだけ画像編集ソフトで修正したいが、わたしのつたないソフトでは、うまく色が再現できるかはなはだ心もとない。
 これでまた、当分の間『下落合風景』で楽しめそうなのだが、昔の地図や空中写真とにらめっこしながらニヤニヤしていると、オスガキどもに「変だぜ、危ないよ」と、また言われてしまうかもしれない。

■写真上:東京都現代美術館のカラーコピー。想像した以上に、色がうまく再現されない。
■写真下は「絵馬堂」、は「ガード」。ともに1926年(大正15)の作品と思われるが、一連の『下落合風景』シリーズではないと思われる。同年、省線・田端駅の近辺と大阪の情景を描いているので、この2作品はそちらの風景の可能性が高い。

この記事へのコメント

  • すー@上落合

    ほぼ倍増した作品リスト…描画ポイントの特定を楽しみに待っています。

    さて,下落合ではないのではと書かれている「ガード」(全集では「踏み切り」),私は近代美術館で閲覧した際,絵を見た瞬間に「あっ,あそこだ」と感じたのですが。

    開かずの踏切として名をはせ,2005年1月に廃止された長崎道踏切です。現在の西池袋2丁目側のやや高い位置から,数本の線路が走るJRの踏切の向こうに西武池袋線のガードを見通すポイントです。
    西武線(武蔵野鉄道)ガードのレンガ造りはもちろん,その右手前に描かれている白い柵の感じなども,わりと近年までほぼ絵のままだったような。また,Papaさんの「このガードはひとつしかない。」のエントリーにある同踏切の写真左端ぎりぎりに,絵の中央にある鉄塔らしきものが写っています。(私の推測どおりなら,佐伯の立ち位置はこの写真の中-中央右側-にあることになりますね) 疑問なのは,踏切とガードの間に絵のような民家?「だけ」がポツンと建っていたのかどうか。Papaさんお手持ちの空中写真,資料等でわかりますでしょうか。

    目白の北はずれといった地点なので,学習院下の「ガード」-「目白風景」と山手線に沿って北上した結果たどりつき,ここが下落合でないことはわかっていたでしょうから,あえて「踏み切り」としたような気がします。
    2006年04月25日 11:31
  • ChinchikoPapa

    あっ、ああっ、ああああっ、すー@上落合さんのおっしゃる通りです!
    1936年(昭和11)の写真を見ますと、この風景にピッタリなのがわかります。道のかたちも一致しますし、背後の民家、それに手前の踏切番小屋の影までが写っています。旧・雑司谷町6丁目、その前は旧・上屋敷にあった踏切ですね。おそれ入谷の、ではなくて、おそれ雑司ヶ谷の鬼子母神です!
    1944年(昭和19)では、この背後の民家は解体されたのか空地になっています。おそらく鉄道が近く、空襲による延焼を考慮しての「建物疎開」にひっかかったのではないかと想像します。1947年(昭和22)のB29からの写真では、案のじょう、焼け野原になっていますね。
    すー@上落合さんのおっしゃるとおり、「ガード」→「目白風景」と歩いてきた佐伯祐三は、目白通りを渡って“F.L.ライトの小路”に入り、この風景を発見したものと思われます。あともう少しで自由学園ですが、佐伯の作品にライト風建築らしきものが見つかったら、疑ってみましょう。(笑)
    そうしますと、以下のページでは入りきれない・・・ということですね。(^^;
    http://www006.upp.so-net.ne.jp/jsc/saeki2/point.htm
    なんとかしないと・・・。(汗)
    来週あたり、さっそく報告したいと思います。ありがとうございました!<(_ _)>
    2006年04月25日 13:58
  • hedawhig

    フフ~ 遅かったわね~ 直ぐに解りました。
    残念ながら一昨年前に改修されました。
    圧巻でした!15作品~一覧!!~~♪
    でも、ガードや墜道が好きだったのかしら? トンネル~?
    2006年04月25日 20:48
  • ChinchikoPapa

    げげっ、hedawhigさんにも先を越されてしまいました。(^_^;
    いえ、同じ時期に田端駅周辺の情景や新橋駅のガード下などを描いてるものですから、てっきりその方面かと、意識がすっかりそちらへ行ってしまいました。なにを見るのでも、先入観はいけませんね!
    できるだけ、感覚をニュートラルにしておきたいと思います。(汗)
    2006年04月25日 23:32
  • ChinchikoPapa

    > 1968年の講談社版全画集の資料図版にある8枚(?)についても宜しく!

    ま、まだあったのですか?(^^; 来年の2007年分とか・・・。(爆!)

    > また、このガードは、高田架道橋と呼ばれているようですが、1915年(大正
    > 4年)4月にレンガで築造され、1928年(昭和3年)8月に複線化に伴いコンク
    > リを足して拡幅したそうです。

    さすが地元、お詳しいですね! このぶんでいきますと、とても来週などと悠長なことは言ってられませんので、今週中にでもなんとかします。ヘタすると、せっかく市松模様が完成間近なのに、じれったさを感じてまた崩してしまうかもしれません。(笑)

    > ところで、今日から、トラックバックの文字が滅茶苦茶に化けて、わかりま
    > せん。どうしちゃったのでしょう。

    いえ、あれはアダルトサイトのスパムTBです。それらしい文字を入れますと、フィルタリングのしくみではねられてしまいますから、わざと伏字や記号でフィルターをくぐりぬけてくるんですよね。さっそく削除しました。
    2006年04月26日 00:42

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80年前の開かずの踏み切り。
Excerpt: &nbsp;  すー@上落合さんのご教示で、佐伯祐三のもうひとつの作品「踏み切り」の描画ポイントが判明した。いつもの『下落合風景』シリーズではないけれど、間違いなくその延長線上に描かれた作品のひとつ..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2006-04-27 00:00