橋名が“標識”だった時代。

 新宿区にひどく失望したので、ブログの記事も下落合のことを書きつづける気が失せてしまった。さて、そうなると、ふるさとの街のことを・・・。
 下町の人間の会話で、よくつかわれる用法に「橋名+方角」というのがある。たとえば、大橋の日本橋側を基準に例をあげると、「大橋のあっちかい? こっち側かい?」といった具合だ。浅草界隈を中心にすえれば、たとえば「大川橋の上か下か、どっちだい?」というような言い方をする。いま風に表現すれば、「両国橋の本所側かい、日本橋側かい?」あるいは「吾妻橋の北か南か、どっちだい?」ということになる。
 先日、わたしの引き出しを整理していたら、親父がくれた1960年(昭和35)前後の、大川(隅田川)の見事なカラー写真が出てきた。まあ、なんとも空が広く、高速道路がなくてきれいにスッキリとしているのだろう。江戸東京の街は、この川を中軸に栄え発展してきた。大川はこの大都市のカナメ、大動脈だったのだ。親父がわたしにこれをくれたのは、この川に架かる橋の名前をきちんと憶えておけ・・・ということだったのだろう。大川の橋名と正確な位置を知らなければ、先のような基礎的な会話が成立しないばかりか、道に迷うことさえあった。
 いや、これは大川に限らない。日本橋川でも神田川でも築地川でも、はたまた竪川でも小名木川でも仙台堀川でも、すべて橋名が基準になっていた。戦後もしばらく、昭和30年代ぐらいまでは橋名を3つ4つつなげさえすれば、それで道案内が足りていたのだ。別に、鉄道の駅名や目印を探さなくても、あるいはたとえ迷子になったとしても、橋名さえ道ゆく人に訊ねさえすれば、目的地へはほとんど迷わずにたどり着けた。この感覚、わたしの世代ではもうわからない。
 いまでも残る橋名で無理やりこじつけてみると、たとえばこんな具合だ。以前ここでもご紹介したことのある、ミミズクで有名なタバコ屋「みみづく家」Click!を、柳橋を起点にして案内するケース。(実際は、こんな大雑把でいい加減ではなかったろう)

 街のすみずみまで掘割りが入り込んでいた、そんな大昔の江戸時代の話ではなく、わたしが生まれたころまでは、東京じゅうをまるで血管のように、縦横に走る主要な川筋や運河は健在だった。でも、いまはその大半が存在しないから街中に連続性がなくなり、細かな橋名をつなげようがない。それでも、「数寄屋橋(御門)」のように、橋は消えても地名として残れば迷わないが、残らなかった橋名はそれこそゴマンと存在するだろう。ほとんどの川は、東京オリンピックを控えた昭和30年代に埋め立てを完了した。
 
 大川にカミソリ堤防が築かれ、川筋が一気に埋め立てられていくのを嘆いた親父だが、学生時代、親父と下町で待ち合わせをするときに、わたしが最寄りの駅名を言うと、たいがい近くの橋名が返ってきた。きっと、親父の頭の中には、江戸東京にあった網の目のような川筋や掘割りが、いつまでも活きつづけてたに違いない。

■写真上:1960年(昭和35)ごろの大川の空中写真。架かる橋は、手前から永代橋、清洲橋、新大橋、大橋(両国橋)、総武線鉄橋、蔵前橋、厩橋、駒形橋、大川橋(吾妻橋)、日光線鉄橋、言問橋、白髭橋の順。
■写真下は、江戸後期には市内最大の繁華街だった両国橋西詰め(両国広小路)。実は、両国橋が上流へやや移動したため広小路も北へとずれ、この位置はほんとうは元柳町のあったところ。左手には薬研堀、右手には柳橋の神田川を抱えている。は、なんとも惨い現状の竪川は千歳橋。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。
     >kurakichiさん
     >さらまわしさん
    2014年12月06日 19:55

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