「じゃあだんじゃねえや・・・はい、どうぞ」
「じょうだんじゃねーや」
「いいえ、正しくは“じょ”ではなく“じゃ”でございますよ、お嬢様」
「じゃーだんじゃねーや」
「はい、よろしゅうございます。・・・おとついきやがれてんだ、べろぼうめぃ」
「おとついきやがれてんだべらぼーめー」
「・・・ま、よろしいでしょ。こういうところへお越しの節は、きちんとした町場の正しい東京弁が話せませんと、すぐに田舎もんだと思われてしまうのでございますよ」
「まあ、知りませんでした。でも、ばあや、下落合ではまったく聞いたことのない言葉だわ」
「そりゃ、東京は広うござんすからねえ。昔っから、町内ごとに話す言葉も少しずつ違いましてす」
「まるで外国語のよう・・・。でも、どのような意味なのです?」
「お嬢様がふだんつかわれてます、乃手(のて)弁に直しますてえと、“ご冗談ではなく、ぜひもう一度お逢いしたいんですの、大切なあ・な・た・さ・ま”・・・というような意味になりますんです」
「まあ、驚きました。わたくし、もっと悪い意味かと・・・」
「いいえ、親しくなりたいお相手だけにそっと囁く、とっておきの言葉でございますよ」
「まあ・・・」
「今度、町育ちの殿方とお見合いをなされたら、ぜひおつかいになってみてくださいまし」
「まあ、ばあや、恥ずかしいこと。そのようなこと、わたくしにはできません。でも、町へ出るといろいろお勉強になってよ。・・・それにしてもばあや、先ほどから、わたくし、ここは面白くないわ」
「おや、どうしてでございます?」
「だって、わたくしの欲しいものが、このあたりのお店にはぜんぜん置いてなくてよ」
「あれまあ、煎餅も雷おこしも今川焼きもカルメ焼きも、ついでに古着にカツラにおもちゃに仏壇に刀まで、なんでも売ってるじゃございませんか?」
「・・・ばあやには悪いけれど、どれも、わたくしの好みではなさそうです」
「あれまあ、せっかく、退屈されてるお嬢様を、浅草までお連れしたのに・・・」
「ですけど、まるで池袋駅前の闇市のようではないこと?」
「駅前の闇市が、寺前の門前見世をマネてるんでございますよう」
「・・・あら? ばあや、いつの間にそんなところで、なにをおしなの?」
「・・・・・・?」
「まあ、空襲以来、久しぶりの紺のモンペ姿も、とてもよくお似合いだこと」
「・・・あ、あ、あれは、江戸猿まわしのエテ公でございます! あたしゃ、こちらにおりますです!」
「あら、ごめんなさい。わたくし最近、目の具合がほんの少しよろしくないの」
「どうまかり間違ったら、あたくしとエテ公を、見間違えるんでございます!?」
「ごめんあそばせ、ばあや。だって、どこか雰囲気が似ているのですもの」
「お嬢様、お言葉ではございますが、まるっっっきし似てません!!」
「まあ、そうかしら」
「そうでございますとも、お嬢様!」
「わたくし、どうせなら洋装ではなく、前をゆく方たちのようにお着物で来るのでした」
「・・・どうしてでございます!?」
「そのほうが、まだ気が晴れたように思うのです」
「おやおや、じゃあ景気づけに、“ちんや”か“今半”でジュッとすき焼きでも召し上がります?」
「・・・前のほうのお店より、後のお店のほうが、まだ品がよろしいような気がします」
「おや、ちんやのすき焼きは、今半と並ぶ浅草の双璧でございますよ。なにしろ“ちん”のつく見世でもブログでも、旨いとこが多いんでございます」
「ま、また、時空がゆがんだことを・・・。頭痛がするからやめておくれ」
「はいはい。・・・じゃあ、お昼を召し上がったあとは、気鬱のお嬢様には演芸ホールの古川ロッパかエノケンで、気散じをされるのがいちばんでございますよ」
「・・・わたくし、エノケンやロッパはラジオでたくさん。それよりも、映画のほうがいいわ」
「そいじゃあ、お嬢様、あとで六区の活動、いえ映画館にでも寄ることにいたしましょ」
「そうだわ、わたくしベティ・デイビスの『イヴの総て』が観たいわ! スペンサー・トレーシーの『花嫁の父』でもよくてよ。それに、新作のボガートの『モロッコ慕情』もいいわねえ」
「はいはい、お昼を召し上がったら、なんでもお好きなものをご覧になってくださいまし」
「そうねえ、邦画でしたら原節子のものがいいわ。男優は佐野周二か、佐分利信がよくてよ」
「一昨年の、『お嬢さん乾杯!』でございますね。では、さっそく“今半”へまいりましょ」
「・・・ねえ、ばあや。すき焼きにフォアグラClick!は付きませんよ。念のため」
「はいはい」
「お返事はひとつです、ばあや」
「ねえ、ばあや。・・・これはみんな、どのような映画なのです?」
「おや残念。あっちもんの活動は、どこもかかってないようですね、お嬢様」
「『花と龍』なんて、題名はとても美しそうな映画なのだけれど・・・」
「圭一郎もいいけど、あたくしこの中では『三匹の悪党』が、いっちばん面白そうに思います」
「でも、とっても怖そうな映画じゃないこと? なにやら、刀をお抜きよ」
「刀じゃなくて、あれはドスというんでございますよ、お嬢様」
「まあ、・・・ドス?」
「町場では、刃物のことを、ドスと言ったりするんでございます」
「では、ばあや、ナイフとフォークは、町場ではドスとフォークなの?」
「おやまあ、さすがお嬢様、呑み込みがお早いこと」
「では、うちのお台所にも、ドスがたくさんあるわ」
「女中のマサ子は下町でございますから、お嬢様がパイ作りClick!で林檎をむかれるときなど、“マサ子や、ドスを持ってきておくれ”・・・なんてえおっしゃれば、すぐにも按配しましてす」
「そうなの、ばあや。初めて知りました」
「ナイフなんてえ野暮な言葉よりも、ドスのほうが気がきいてましょう? ついでに、銀座や日本橋あたりのレストランでも、ドスは通じますですよ」
「まあ、わたくし、いままで聞いたことがないけれど・・・」
「お嬢様が、まだ世間をよくご存じでないだけです。お見合いのときなどにつかえば、ちょいとばっか大人っぽい言葉ですから、お相手のお嬢様を見る目が、みるみる変わって引かれっちまいます」
「まあ、こんな言葉に、殿方はみるみる惹かれるものなのですね。・・・今度試してみます」
「では、東京の町言葉のお勉強に、やっぱり『三匹の悪党』にしましょうよ、お嬢様」
「そうねえ、あの負け犬様もお奨めになっていて?」
「・・・・・・ア、アタマがゆがんで、割れっちまいそうでございます、お嬢様」
「あら、ごめんあそばせ、ばあや。でも、これを観れば、田舎者に見られないような、きちんとした町言葉を覚えられるかしら?」
「ええ、そりゃもうお嬢様、てきめんでございますよ」
「では、わたくし、観てみようかしら」
「こういう映画で、いっちばんつかわれる町言葉がでございますね、“しゃらくせぇ、てめぇら残らずたたぁっ斬ってやる”というのでございますよ」
「しゃ、しゃらくせてめいら?」
「しゃらくせぇ、てめぇら残らずたたぁっ斬ってやる」
「・・・しゃらくせーてめーらー残らずたたーきってやる」
「まあ、お上手ですこと、お嬢様。いっそ、乃手のお嬢様にしとくのがもったいないほど。ぜひ、お近くの徳川様か近衛様のお屋敷で開かれます、園遊会なんぞでおつかいくださいまし」
「どのような意味なのです、ばあや?」
「“ごちそうさまでございました、とても美味しゅうございますので残さずに頂きました”・・・てえほどの意味でございますよ。下落合のお呼ばれの座興にはピッタリでございます、お嬢様」
※ちなみに写真の邦画は60年代の作品ばかりで、残念ながら1951年現在のものではありません。『三匹の悪党』は、ある漁師町を舞台にした物語ですので、東京弁下町言葉は学習できません。
この記事へのコメント
fuRu
さりげない仕込みに、くすくすでございます。
ChinchikoPapa
負け犬♥さんは、おそらく『三匹の悪党』はご覧ではないでしょう。(爆!)
負け犬
ChinchikoPapa
そうなのですね。「お嬢様」育ちほど、野卑で品のない男に惹かれてしまうのは、日活の60年代映画路線に数多くあったような・・・。(笑)
いのうえ
ChinchikoPapa