下落合の夢は大きいほうがいい。

 氷川明神へ初詣に出かけると、毎年、初夢用の「落合宝入舟」札をもらってくる。今年も譲っていただき、枕の間にはさんで寝たのだが、取り立てて記憶に残るような夢は見なかった。でも、正月はとっくにすぎたのに、「落合宝入舟」を枕の間から取り出すのをすっかり忘れていた。そのせいかどうかはわからないが、こんな楽しい夢を見た。
 下落合には歴史的に貴重で、文化的にも重要な建築がけっこうたくさん残っている。建て替えや売却などで消えていく、惜しい建物も決して少なくない。それらを、土地を含めて丸ごと購入・保存するのは、新宿区の財政状況からいってまったく不可能だろう。いくらおカネを用意しても、物件の数に追いつかない。そこで、立て替えや売却が予測された時点で、上物(建築物)だけを譲ってもらい、保存が成功したあとの旧・遠藤邸の屋敷森とか、さすがに区が「なんとかしてくれる」かもしれない財務省の旧官舎跡地へ移築する。題して、「下落合歴史建物公園」がオープンした・・・という楽しい夢だ。
 
 屋敷森のスペースは「野鳥の森公園」と同様に、武蔵野原生の大木が生い茂った森林公園がふさわしいように思うので、「おとめ山公園」に隣接し、官舎を壊してしまうとほぼ更地になる、旧・相馬子爵邸のスペースのほうが適しているかもしれない。夢を具現化すると、下図のようなイメージだ。中心に、個人的な嗜好の建物もあるけれど・・・。(^^;

 もちろん、描きこんだメーヤー館は、すでに千葉県への移築が決まってる。これは、あくまでも“夢”だ。でも、こういう方法論をとれば、いちいち高い土地を個別に丸ごと購入する必要はないし、下落合にあってこその歴史的な建物が、旧・前田子爵邸のように他所へ移築され流出してしまうという懸念も、がぜん少なくなる。自治体は、いちいち土地付きの膨大な予算を計上する必要もなく、単純に近所への移築作業費のみを心配すればいい。(移築ボランティアという手法もある) 丸ごとの買い取り保存と移築とでは、想定する予算は2ケタほども違うかもしれない。
 
 なお、勝手に「下落合歴史建物公園」へ移築してしまっているお宅のみなさん、「わたしの家を勝手に移すな! まだずっとここに住みつづけるんじゃ!」とお思いかもしれませんが、あくまでもお正月の夢のお話なので、ご容赦を。ずっと変わらずに住みつづけていただけたら、まさに、それに勝る保存はないのだ。

■写真上:氷川明神のお正月恒例「落合宝入舟」札。
■写真中は、1916年(大正5)建築の、中村彝アトリエClick!。「落合の緑を守る会」加藤様の年賀状より。はF.L.ライトが設計し帝国ホテルの作業員宿舎に使われたと伝えられ、1921年(大正10)前後に建築されたとみられる旧・杉邸Click!
■写真下は、わたしの大好きな下落合風景に登場する、大正末か昭和初期のS邸Click!。下落合に残る典型的な和建築だ。は、千葉県への移築が決まってしまったが、1912(大正元)年建築といわれる旧・宣教師館(メーヤー館)Click!

この記事へのコメント

  • miharu

    「下落合歴史建物公園」とは、素晴らしい「初夢」!
    ぜひ、実現していってほしいです。みんなで願っていけば夢が「正夢」になってくれる気がします。この夢の構想の続きを楽しみにしています。そして、お役にたてれば嬉しいです。
    2006年01月20日 06:59
  • ChinchikoPapa

    財務省の官舎跡地にしろ、屋敷森にしても、新宿区がきちんと動いてくれないとどうしようもないですね。屋敷森の件でこの1月、ほとんどの樹木を伐採してしまう業者が提出した「緑化計画書」(なにが「緑化」なんだか・・・)を、いともたやすく承認してしまっている新宿区の現状は、お寒い限りです。
    すべて、なにも保存することができませんでした・・・という「悪夢」に、ならなければよいのですが。
    2006年01月20日 13:11
  • 小道

    三春さんのところで、濃い雑談ができて嬉しかったんですが、S邸について、現在の動向が知りたいです。美術史の側面から、どうにかならないかと思いますが。
    2006年01月22日 16:23
  • ChinchikoPapa

    S邸は、お住まいのS氏がリフォーム屋さんが来ようが、マンション屋さんが来ようが(おそらく建物保存の係員が来ようが/笑)、この土地を売るつもりはゼロだし、家を売るつもりも譲るつもりも、建てかえるつもりもサラサラない・・・とおっしゃってるニュアンスのお話が聞こえてきますので、少なくともあと10年や20年は大丈夫ではないかと思います。それよりも、急務は中村彝アトリエですね・・・。
    2006年01月22日 21:48
  • 小道

    おっ話しが見えてませんでした。すみません。中村彝住居にのちにSさんがお住まいになっていらっしゃったので、イコールだと思っていたのですが、アトリエは別なんでしょうか。他の場所?
    2006年01月23日 06:31
  • ChinchikoPapa

    とってもややこしいことに、旧・杉邸と中村彝アトリエ、それに大正末~昭和初期の典型的な和建築のお宅は、すべて同じ姓のSさんなのです。(^^;
    実はわたしも当初混乱しまして、地元の方と「Sさんのお宅を保存しないと」・・・とうかがったとき、てっきり中村彝アトリエのことだと思っていたら、話がどうにも噛みあわなかった憶えがあります。それ以来、中村彝のSさん、F.L.ライトのSさん、元・落合町会議員のSさん・・・というように、分けて言うようになりました。わかりにくい記述で、すみません。(汗)
    同じようなことが中落合にもありまして、O邸というと「どこのOさん?」と訊ねられることがよくあります。
    2006年01月23日 13:38
  • 小道

    今度、そのあたりのことを直接教えてください。わたしが思っている場所と違っているかもしれないです。よろしくお願いします。
    2006年01月23日 20:44
  • エム

    中落合には「Oさん」と「Uさん」がそりゃもう、たくさんいらっしゃいます。
    2006年01月24日 11:36
  • ChinchikoPapa

    小道さん、了解いたしました。
    今度、お時間の取れるときにでも、またゆっくりお話します。旧・林泉園の尾根道に建つ中村彝アトリエ(下落合3-5)につきましては、おおよその現状把握ができたところで、改めてご連絡しますね。
    2006年01月24日 17:38
  • ChinchikoPapa

    エムさん、コメントをありがとうございます。
    ほんとに。(笑) ちゃんと職業か肩書きの「○○のOさん」というような表現をしませんと、いったいどなたのことを言ってるのかわからないですよね。(^^;
    2006年01月24日 18:31
  • hedawhig

    S邸奥様訃報・・・12月31日ごろに倒れられた・・・
    2006年02月06日 11:56
  • ChinchikoPapa

    もう少し、いろいろなお話をうかがえたのではないかと思うと、とても残念ですね。下落合の「歴史の証人」が、またおひとり亡くなってしまいました。
    ちなみに、誤解があるといけませんので、S邸は中村彝アトリエのことではありません。別のお屋敷のほうです、念のため。
    2006年02月06日 17:02
  • hedawhig

    papa様
    ごめんなさい、昨年中にpapa様と拝見させてもらえば・・・
    とてもお元気でしたので、悔やまれてなりません。
    本当にごめんなさい。
    2006年02月06日 21:21
  • ChinchikoPapa

    いえいえ、そんな気を遣われませんよう。建物が壊されて、なくなってしまったわけではないですので。(^^
    あと、S様の苗字が下落合には多いですので、念のためにお断りを入れさせていただきました。こちらこそ、蛇足をつけてしまってすみません。
    2006年02月06日 22:04
  • ChinchikoPapa

    『下落合風景全画集』を作成する場合、絵の版権/所有権というよりは、新聞社や出版社が所有している作品の画像ポジのレンタルリース料・・・というかたちになるのでしょうか。それとも、個人蔵の場合は、画像使用料のような名目で、いくばくかのおカネを払うんでしょうかね。イラストやデザインの世界とはまったく異なる世界ですので、見当もつきませんが・・・。
    モノクロ写真はできるだけ排して、カラー作品を探し当てたいものです。(^^
    「下落合風景ジオラマ館」の道は遠そうですが、いま作成している目白・下落合マップには、『下落合風景』に描かれたお宅で唯一現存する、「セメントの塀」のお宅については、しっかり吹き出しを付けました。
    2006年05月11日 00:01

この記事へのトラックバック