春に始動する「新池袋モンパルナス」。

 

 大学生が、地元の町で遊ばなくなったそうだ。学生街で遊ぶには、当然、何人かの友だちがいなければならない。ところが、にわかには信じられないことだが、友だちと学生街で遊ぶ・・・というシチュエーションがなくなりつつあるというのだ。(社)日本私立大学連盟が4年ごとに行っている大学生の意識調査によれば、「友人との交際に興味・関心がある」と答える大学生は年々減りつづけ、最新の調査(2002年度)では前回に比べて一気に7.4%も下落したそうだ。
 池袋の立教大学の場合、ターミナルの池袋駅から地下道を通り、キャンパス最寄りの階段から地上に出て講義を受けたあと、まったく同じコースを逆にたどって池袋駅からそのまま自宅やアパートへと散ってしまう学生が多いとか。つまり、途中でどこにも“ひっかからない”から、そもそも学生街や大学門前の商店街が成立しえないというのだ。わたしが学生時代を送った、1970年代後半~80年代初期と比べても、考えられないような変化が進行中らしい。
 池袋駅の西口から長崎(椎名町)方面にかけては、旧・豊島師範学校や立教大学、自由学園、城西学園などの学生・生徒をはじめ、前衛的な画家や文士、キネマ関係者などが参集した「池袋モンパルナス」と呼ばれる、学生街とアーティスト村とが融合したような、他に例を見ない独特な街が形成された一帯だった。喫茶店やバー、レストラン、飲み屋、映画館、小劇場などが建ち並び、新宿駅周辺とともに東京じゅうのアートに敏感な若者たちを集めた時代があった。だから、戦前・戦中はその自由主義的な街の雰囲気によって「非国民」部落Click!などと呼ばれ、警察から頻繁に手入れを受けることになる。空襲でほとんどの街並みが焼けたにもかかわらず、「池袋モンパルナス」の面影Click!は戦後も受け継がれ、新しいところでは東京芸術劇場が旧・豊島師範学校の跡地にオープンしている。

 だが、戦後再び形成された学生街や商店街は、いま新たな危機を迎えている。立教大学を中心とする、学生たちのライフスタイルが大きくさま変わりし、地元で活動したり遊んだりすることが少なくなってきた。少子化とともに、若者の絶対数が減ってきたことにも起因するのかもしれない。大学周辺の施設や池袋の西口からのびる店々へ、学生たちは寄り道せずにまっすぐ駅へともどる。当然、若い子たちを中心とする地元のサークル活動や催事は減少し、町全体の活気がどんどん失われていく。そこらで道草して、友だちとグタグタ遊んだり議論してったほうが楽しいのに・・・と思う、わたしの世代の常識は時代遅れで、通用しないようなのだ。

 地元に密着し、地域コミュニティの一員であるはずの学校が、これでは地域からどんどん乖離し、地元でダイナミックな文化事業や催事が行えなくなり地盤沈下を起こしてしまう・・・と危機感をおぼえた立教大学では、まったく新しい協同型地域連携の試みとして、「新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館」の構想を起ち上げた。立大の押見輝男総長の呼びかけClick!は、キャンパスの枠組みを大きくはみ出して切実だ。

 わたしの学生時代、1日に2~3講義を受けたあとは、喫茶店かサークル部室、映画、劇場、JAZZハウス、ビリアード、古書店、麻雀、アルバイト・・・の日々があたりまえだった。いまの学生たちは早々に帰宅し、ひとり自室ですごす時間が長いそうだ。わたしたちの時代は、しばらく姿を見ない友人がいると、連れ立ってアパートまで出かけていった。風邪で寝ていたり、アルバイトで1日不在だったりするのだが、そんなことはおかまいなしに押しかけた。ついでに、友人の出身地にまで旅行して実家へ押しかけたりもした。いまの若い子たちは、そんな関係を“うざったい”(わずらわしい)と感じるのかもしれない。
 池袋駅西口の「新池袋モンパルナス」(新聞記事)Click!は、初めての試みということで予算もあまり付いていない。でも、こういう催しはおカネではなく、アイデアとコンテンツ勝負だと思う。サクラのつぼみがふくらみかけるころ、「新池袋モンパルナス」はどのような顔を見せるのだろうか。

■写真上は、戦前の池袋モンパルナスの風情を描いた『豊島師範 池袋駅前通り』春日部たすく画(1950年作)。スケッチブックを片手に歩く、画家らしい人物が描かれている。は、昭和初期の池袋駅前通りで、正面に見えているのが豊島師範学校。この通りでも、関東大震災後に下町(東日本橋)から東京全域へと流行った、すずらん形の街灯が設置されていたのがわかる。
■写真中は1909年(明治42)、池袋に移設されたばかりの豊島師範学校。それまでは、下落合の近衛篤麿邸敷地にあった東京同文書院に隣接して開校していた。現在は、跡地が東京芸術劇場となっている。は、築地から池袋へ移転した直後、1918年(大正7)の立教大学。周囲は、まだ田畑が拡がっていた。
■写真下:1921年(大正10)に開校したばかりの自由学園。このF.L.ライト建築が建てられたころ、目白通りをはさんだ下落合側では、ライト風建築が大流行Click!したようだ。

この記事へのコメント

  • miharu

    かつて池袋が、学生街と画家やアーティストたちの村が渾然とした魅力的な街だったことが、よく伝わってきました。今回の立教大学が中心となる「新池袋モンパルナス」構想とその展覧会が、池袋の文化芸術の再発見に繋がり、その隣の目白、落合にある文化芸術の歴史にも連動している広い地域文化の姿が見えてきて、とても素晴らしいことと思いました。その魅力的な街に行き来している大学生や若い人が参加することによって、生き生きとした街となり、彼らにとっても思い出深い街の記憶になるのではないでしょうか。
    2006年01月17日 00:26
  • ChinchikoPapa

    先日は、ありがとうございました。また、長時間お邪魔をしてすみませんでした。
    「新池袋モンパルナス」は、これからの展開が楽しみな催しです。こういう企画は、池袋や目白、落合の地域のボーダーを超えて展開すると、かなりインパクトのある催しになりそうですね。
    ときどき思うのですが、豊島区と新宿区(文京区や中野区もそうですが)というボーダーは、あくまでも便宜上の行政区画であって地域住民のボーダーではない・・・ということです。旧・落合町と旧・高田町、旧・戸塚町、旧・池袋町を踏襲した、古色蒼然の区画割りもそうですね。ましてや、文化的なつながりからいいますと、これらのエリアは渾然一体となっています。上記の中でも、もっとも地域的なつながりが深いと思われるのが、同一駅を利用することの多い下落合と目白ではないかと思います。行政区画では、区域の違う別の町ですが、「新池袋モンパルナス」構想のように、歴史的あるいは文化的な催しを一体で推進すれば、とても拡がりのある、注目を集める地域になりそうです。
    わたしのブログは便宜上、旧・落合町(下落合・上落合・中落合・中井2)に関することは、「気になる下落合」と「気になる目白文化村」に、旧・高田町(目白)に関することは「気になるエトセトラ」に含めてしまってますが、どこかで目白と落合を一体化した見せ方を模索したいと考えています。
    2006年01月17日 12:12
  • ChinchikoPapa

    そのほか、たくさんのnice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2009年07月12日 14:27
  • ChinchikoPapa

    昔の記事にまで、nice!をありがとうございました。>bunchan0さん
    2010年11月28日 22:46

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椎名町のみなさん、ありがとう。
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