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「強い父親」と「父親不在」というテーマは違う。
Excerpt:
いかにも家父長然とした父親、つまり「強い父親」のいる家に、わたしは“強い違和感”をおぼえる。東京っぽくないのだ。いや、より厳密にいうと東京の(御城)下町Click!っぽくない。わたしの“父親”のイ..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2006-03-03 00:52
セピア色の裏側のカーキ色。
Excerpt:
家の古いアルバムをゴソゴソやっていたら、めずらしい写真を見つけた。なぜか東京大空襲Click!で焼けなかった、戦前の貴重な写真類がまとめて出てきたのだ。 人は住んでいる家や、地元の写真はなかなか意..
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Tracked: 2006-04-07 00:01
むかし聞いた足音が聞こえる。
Excerpt:
今年の5月に、写真展にからめて「目白・下落合/歴史的建物のある散歩道」マップを作ったばかりなのに、わずか半年足らずのうちに、もうマップに掲載した美しい建物ふたつが消えてしまった。来年になると、また..
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Tracked: 2006-10-21 00:00
きょうでブログ歴2年め。
Excerpt:
早いもので、きょうでブログを始めて丸2年になる。当初は、どのようなブログにしようかなかなかイメージがつかめなかった。わたしの身のまわりで起きることをつれづれ書いていく、つまり本来のWebログの目的..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2006-11-25 12:31
中村彝に酷評された岸田劉生。
Excerpt:
岸田劉生が、おそらく下落合の中村彝アトリエClick!を訪ねてから3年後の1919年(大正8)、彝は劉生へ容赦のない酷評を浴びせている。新潟の柏崎にいた、友人の洲崎義郎あての手紙だ。彝は、あまり他..
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Tracked: 2007-02-13 00:04
たまには「とん狂な失言」を。
Excerpt:
山本周五郎ではないけれど、おそらくきょうの記事は「とん狂な失言」となるのだろう。下落合界隈の、あまりの急激な変わりように、わたしの記事も取材も追っつかない。(御城)下町Click!の記事が書きたい..
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Tracked: 2007-03-27 10:29
すぐに「なぐってやる!」の岸田劉生。
Excerpt:
第二文化村Click!南端にも住んでいた武者小路実篤の著作に、『思い出の人々』(講談社/1966年)がある。武者小路が『白樺』を通じて初めて岸田劉生Click!に会ったときから、すでに岸田は誰かに..
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Tracked: 2007-03-29 00:00
夕暮れの「芸術村」にたたずむ女。
Excerpt:
『落合町誌』(1932年・昭和7)にも登場する、アビラ村の下落合2113番地に住んでいた千葉医科大助教授の古屋(こや)芳雄だが、このキーワードをたどっていくと、面白いエピソードが下落合押しに、いや..
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Tracked: 2007-06-13 00:01
隆慶橋は東詰めの「おきゃがれ」。
Excerpt:
隆慶橋の東詰め、タバコ店「みみずく家」Click!前の喫煙場でタバコをしみじみ吸っていたら、わたしの横にお爺ちゃんが立って一服つけた。するといきなり、「うるさいねえ」と言った。お爺ちゃんを見ると、..
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Tracked: 2007-06-17 00:10
大正期の東京が匂う曾宮一念『東京回顧』。
Excerpt:
1967年(昭和42)に出版された曾宮一念の『東京回顧』(創文社)は、東京の下町界隈の様子が画家の目を通して細かく描かれていて、同じく東日本橋にあった「いろは牛肉店」の洋画家・木村荘八Click!..
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Tracked: 2007-08-13 00:20
松下春雄の「下落合風景」は悩ましい。(5)
Excerpt: ①
この作品も、松下春雄Click!が1926年(大正15)ごろに描いた『下落合文化村』(①)だけれど、はっきりとした場所がわからない。目白崖線ほどもありそうな高度のバッケに、敷き石が並ぶ階段状の..
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Tracked: 2007-12-21 00:01
下町の町内会と山手の町会。
Excerpt:
下町の町内会といえば、その歴史は江戸期にまでさかのぼる。町名主を中心とした寄り合いや、裏店(うらだな)の差配たちを中心とした寄り合い、あるいは居住地は厳密に問われなかった連や講、仲間なども、一部は..
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Tracked: 2007-12-25 00:34
大正期の東京が匂う曾宮一念『東京回顧』。
Excerpt: 1967年(昭和42)に出版された曾宮一念の『東京回顧』(創文社)は、東京の下町界隈の様子が画家の目を通して細かく描かれていて、同じく東日本橋にあった「いろは牛肉店」の洋画家・木村荘八Click!の著..
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Tracked: 2008-05-10 23:33
戦車が目白通りにやってきた。
Excerpt: 東京の下町では、空襲Click!が予想される1944年(昭和19)になると、「建物疎開」ということが盛んに言われだし、事実、数多くの住宅や事務所が防火を理由に破壊された。実家のあった東日本橋Click..
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Tracked: 2008-08-12 00:28
東日本橋と下落合の長谷川利行。
Excerpt: 戦前、わたしの実家の斜向かいには、千代田小学校(現・日本橋中学校)との間にはさまれて、すずらん通りClick!沿いに丸見屋本社のビルが建っていた。いまでは、カゴメ東京本社のある一画だ。丸見屋商会という..
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Tracked: 2008-08-24 02:21
江戸東京で物語が最多の両国橋。
Excerpt: 親父が仕事の関係で神奈川に住みながらも、最優先で取り組んでいた東京の“運動”のひとつに、大川(隅田川)の大橋(両国橋)花火大会復活のテーマがあった。無知で傲慢な明治政府の手で、神田明神から外された将門..
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Tracked: 2008-10-03 00:18
目白駅を出たら100mの鉛筆ビルだって?
Excerpt: 今年の夏ごろにお話をうかがって署名をしていたのだが、ほかのテーマにかまけて記事にするのをズルズルとサボっていたら、いつのまにか初冬になってしまった。この11月、すでにNTT都市開発(株)の表明によれば..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2008-12-02 00:30
33年ぶりにこんにちは、ミツワ石鹸。
Excerpt: 1975年(昭和50)に倒産したミツワ石鹸が、昨年(2008年)ようやく復活した。ミツワ石鹸Click!というネームが世の中から消えて、すでに33年が経過しているが、アタマに染みついたCMソングやロゴ..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2009-01-17 00:03
打ち上げ花火を気にする世代。
Excerpt: 夏になると、東京のあちこちで打ち上げ花火がある。大規模な大会は、お盆明けの大川(隅田川)の花火大会Click!をはじめ東京湾、多摩川、板橋の各花火大会、そしてしょっちゅう打ち上げているのが神宮・・・と..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2009-08-13 00:08
下落合を吹きぬけた嵐。
Excerpt: 落合地域に「嵐」が吹いたのは、1945年(昭和20)前後の建物疎開Click!や山手空襲Click!のときばかりではない。1980年代の後半に、落合一帯の景観をさま変わりさせる「大嵐」がやってきた。下..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2009-09-18 13:31
岸田劉生が描く銀座カフェ「KUMOTORA」。
Excerpt: 木村荘八Click!のエッセイを読んでいたら、ちんやか今半か、ももんじ屋かあるいは別の店だかは忘れてしまったけれど、子供のころに連れられて入ったすき焼き屋Click!の女中さんが、白足袋ではなく青足袋..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2009-12-17 00:01
日本橋雑煮を娘に教える。
Excerpt: 今年は、暮れの大晦日から正月2日にかけ、年賀のお客を含むのべ20人の雑煮を毎日3食ぶん作りつづけて、クタクタに疲れてしまった。昨日、ようやく人が減って解放されたのだが、もう雑煮は見るのも匂いをかぐのも..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2010-01-04 00:10
「橘」薫る東日本橋の風。
Excerpt: 2007年に文藝春秋から出版された、小林信彦Click!の『日本橋バビロン』を面白く読んだ。わたしが実際に目撃し、知っている時代は物心がついた1960年代も後半、つまり本書では最終章あたりに登場してく..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2010-03-05 00:03
浜町河岸で激昂したお梅姐さん。
Excerpt: 久しぶりに、浜町河岸を歩いてきた。このあたり、最近では夏になると怪談話によく登場するエリアだが、出現する幽霊はどれもこれも1945年(昭和20)3月10日の東京大空襲Click!に起因しているようだ。..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2010-10-19 00:01
350年後には「江戸情緒」の権八小紫比翼塚。
Excerpt: 「比翼塚」という言葉が、いまでも残っている。好きあって死んだ男女や、仲のよかった夫婦(めおと)を合葬した墓あるいは記念碑をそう呼ぶのだが、全国にはあちこちに比翼塚が築かれている。昭和初期に心中ブームを..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2011-01-17 00:00
昭和初期の散策・ハイキングブーム到来。
Excerpt: 昭和初期に、東京郊外を散策するちょっとしたブームが起きた。それは、いつか黒田初子Click!のところで書いた東京郊外(この時期の「郊外」はさらに外周域へと拡大していた)の山歩きハイキングClick!だ..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-11-26 00:01
佐多稲子のルポ・東京遊覧バス1988年。
Excerpt: わたしは、いまだ「はとバス」に乗ったことがない。いつか一度は乗ってやろうと思うのだが、いままでその機会がついぞなかった。東京駅の中央郵便局前から乗る「はとバス」は、ひょっとするとわたしがふだん気づかな..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-01-13 00:03
中井英夫とわたしの西荻感覚のちがい。
Excerpt: 先日、ほとんど初めて西荻窪の街並みを散歩してきた。街全体の印象としては、どこか昔の(1960~70年代の)東京の匂いがただよう住宅街や商店街だったのだが、この感覚はわたしの世代以降のみのもので、親以上..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-01-28 01:45
落合第四小学校の学童集団疎開。
Excerpt: このサイトでは、目白通り沿いClick!をはじめ、新宿(淀橋区)各地で行われた建物疎開Click!のテーマは何度か記事にしてきた。また、住民の自主的な地方疎開についても、ときおり別のテーマから取り上げ..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-08-14 00:01
ハツタケと赤ワインは合うだろうか。
Excerpt: ずいぶん前になるが、下落合の御留山に生える、さまざまなキノコの写真Click!(撮影・松尾德三様)をご紹介したことがあった。昔から武蔵野の森に生える、典型的なキノコ類なのだろう。子どものころ、この季節..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-10-07 00:01
たそがれの都会はブルーな湖。
Excerpt: 1973年(昭和48)に万里村ゆき子が詩を書き、まるでロシアのヒクメットによる現代バレエのような『愛の伝説』Click!とタイトルされた同作には、坂田晃一が曲をつけている。『愛の伝説』を唄ったのは、い..
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Tracked: 2013-12-03 00:19
目白中学校の移転と練馬の宅地開発。
Excerpt: 1926年(大正15)の秋、下落合の目白中学校Click!は豊島氏の居城だった豊島城(現・豊島園)の西北側、豊島郡上練馬村2305番地(のち練馬高松町1丁目2305番地)へと移転している。なぜ、目白駅..
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Tracked: 2014-11-10 00:02
関東大震災の渋谷丘陵にみる震動。
Excerpt: 渋谷に生まれて育った大岡昇平Click!は、14歳のとき渋谷町松濤の自宅で関東大震災Click!に遭遇している。このとき、大岡一家は保養へ出かけていた逗子からもどった直後で、松濤の高台にある家の玄関を..
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Tracked: 2015-03-13 00:00
大震災まで賑わった両国広小路。
Excerpt: 久しぶりに、日本橋界隈のことについて書きたくなった。東日本橋に、いまだ江戸期と同様の日本橋米沢町や薬研堀町、若松町というような町名が残り、薬研堀不動Click!を中心に界隈が通称「薬研堀」Click!..
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Tracked: 2015-06-17 00:00
古いアルバムを眺めていると。
Excerpt: 昔のアルバムを眺めていると、どうしても気になる写真がある。うちに伝わるアルバムは、たった1冊しか現存していない。明治期から大正期の写真を収めたアルバムは、1923年(大正12)9月1日の関東大震災Cl..
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Tracked: 2015-12-05 00:01
「新道」は「じんみち」ではないかと。
Excerpt: 山手に住んでいると、わたしの出自では不可解に感じる発音がある。以前、鬼子母神(きしもじん)の読み方Click!について書いたが、これもそのような事例のひとつだろうか。雑司ヶ谷鬼子母神は、住民の入れ替わ..
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Tracked: 2016-04-12 00:00
大橋の橋桁崩落からもうすぐ120年。
Excerpt: 以前、1807年(文化4)8月19日(旧暦)に起きた、永代橋Click!の崩落事故Click!について書いたことがある。深川八幡(富岡八幡宮Click!)の祭礼が行われている最中に、大勢の見物客で賑わ..
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Tracked: 2016-06-05 00:00
船山馨の下落合尾根づたい散歩コース。
Excerpt: 舞台に わたしはどちらかといえば、気に入った地域には長く住みつづけるほうだろうか。下落合を初めて訪れたのは1974年(昭和49)の春だから、かれこれ落合地域とは43年のかかわりになる。学生のとき南長崎..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2017-04-19 00:00
街の情報収集としての“こころづけ”。
Excerpt: 今和次郎Click!は、よく「チツプ」あるいは「テイツプ」という言葉をつかう。昭和初期の当時は、チップという言葉が目新しく、流行語になっていたものだろうか。カフェやミルクホールの女給さんへ、サービスを..
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Tracked: 2017-08-02 00:00
この記事へのコメント
トロ七です
ChinchikoPapa
千代田小学校を調べてみますと、もともとは浅草橋のたもとにあったようです。ちょうど現在の神田川に面した、日本橋女学館中学・高校のあるところに建っていたのが、大正期に現在の位置へ、つまり薬研堀の「元柳橋」があったあたりへ引っ越したようです。なぜ両国広小路近く、日本橋金沢町にあるのに千代田小学校と呼ばれるようになったのか、親父に訊いたことがあるのですが、明治期に明治天皇が行幸してから、そう呼ばれるようになったという答えでした。
千代田という地名は、漢字が当てはめられると違う意味に感じてしまいますが、江戸岬の東岸に「チヨタ」(一説にはチェオタ)という地名が、江戸期以前のかなり古くから見られますので、原日本語の地名ではないかと感じます。
ナンネル姫
楽しく読ませていただいたわ。懐かしい話や、驚きの新事実など…。
本文で「姉妹のカフェ」と仰っているのが、多分「ウフ」ですわ。
隅田川=セーヌ化計画、で両国橋はポン・ヌフかポン・デザールか、なんて盛り上がっていますのよ。
江戸っ子全開ですわ!!
blogs.yahoo.co.jp/nannerl1128/
ChinchikoPapa
うふ、文中のカフェが「ウフ」です。(笑) つい先週も、立ち寄ったばかりだったりします。いろいろキメ細かに気をつかってくれるカフェで、席につこうとすると「そこは寒いですからこちらへ」とか、本を読んでますと「暗くないですか」とか、声をかけてくれます。JAZZが静かめに流れているのもいいですね。
先日は、テーブルに佐伯祐三の画集を拡げて、コーヒーそっちのけでああでもないこうでもない・・・と、延々調べものをしていたのですが、そんなヘンな客でも鷹揚に長時間、いさせてくれました。すずらん通りで、ホッとするスペースです。
両国橋ですが、ついでに川上へずれてしまった花火を、本来の両国橋へもどしたい・・・というのが、生前の親父の意向でした。周囲の町並みの状況から、もはや消防法にはひっかからないでしょう。やっぱり、「両国の花火大会」のほうがサマになります。ついでに、「隅田川の花火大会」には参加されていない15代鍵屋さんも、これなら納得して参加されるかも・・・。(^^
松 本 康 男
ChinchikoPapa
千代田小学校の卒業生が、この拙記事を通じて、お互いに連絡が取りあえるといいですね。
うちの親父は、1937年(昭和12)に卒業していると思うのですが、1学年上に三木のり平がいて、いっしょに悪さをしながら遊んでいたようですね。いまの校舎(日本橋中学校)は、味もそっけもないつまらない建築になってしまいました。
ChinchikoPapa