本郷の岩崎美喜と、大磯の澤田美喜。

 

 子供のころ、わたしはなにかの催しで、澤田美喜に会ったことがある。神奈川県の海っぺりで、当時、地域のボーイスカウト活動(あまり好きではなかったが)へ参加していたので、その関連行事に来賓として招かれたのかもしれない。とても小柄でメガネをかけた、やさしそうなお婆さんだった印象がある。なにか話をしたようだが、まったく憶えていないところをみると、当時、小学生だったわたしにはぜんぜん興味のない、記憶に残りにくい内容だったようだ。
 この小柄な老女と、大磯の駅前にある旧・岩崎家の別荘とが結びついたのは、しばらくたってからのことだ。澤田の著作『黒い肌と白い心』によれば、敗戦直後の列車の中で、網棚から風呂敷と新聞紙に包まれた嬰児の遺体が落ちてきて、警察官から彼女自身が嬰児の殺害・遺棄を疑われたとある。その遺体の肌が、明らかに黒人と日本人との混血児だったことから、周囲の乗客からも罵声を浴びせられたらしい。当時、占領していた米軍兵士と日本人女性との間に産まれた子を、殺害したり遺棄する事件が各地で頻発していた。気の強い彼女は、「裸になるから医者を呼び、わたしの身体を調べてみろ!」と啖呵をきったそうだ。
 澤田美喜、旧姓・岩崎美喜は、このショッキングな事件が契機となって、1948年(昭和23)、混血孤児の施設を大磯駅前の元・岩崎別邸があった山に造ることになる。彼女は岩崎弥太郎の直系の孫娘、岩崎久弥の長女として本郷の岩崎邸に産まれた。戦後、岩崎家は大磯の別荘を国へ物納し手放していたのだが、澤田美喜は借金や寄付をかき集めて、当時としては莫大な金額である400万円で買いもどしている。大口の寄付をしてくれた英国女性の名前をとって、その施設は「エリザベス・サンダース・ホーム」と名づけられた。澤田はここで、2,000人以上におよぶ孤児たちを育て上げている。それが、どれほどたいへんな仕事だったかは、たったふたりのオスガキを育てるだけでヒーヒー言ってるわたしには、想像すらできない。
 
 本郷の岩崎邸で、とびきり気の強いお嬢様としてなに不自由なくわがままに育った彼女が、戦後、別邸のあった山を無理して買いもどし、孤児院を開くまでになった心の動きはどのようなものであったのか。先の列車内での出来事だけでなく、自身三男を戦争で失くしており、イギリスで見学した孤児院に感銘を受けたことも強い契機となっているのだろう。「岩崎家の富は、わたしの築いたものではない。自分の力でないものに甘んじるのは、我慢がならない」と、ついぞ実家を頼ることはなかった。
 ホームを開設した当初、GHQからは「反米宣伝活動」と呼び出しを受けて容疑者扱いされ、日本人からは「恥さらし」と冷ややかな視線を向けられつづけても、彼女はめげなかった。ホームの解散を迫るGHQの将校たちへ、「一度捨てられた子供を、もう一度捨てろというのか!」と小さな身体で詰め寄った話は有名だ。大磯で暮らした澤田美喜は、本郷で育った岩崎美喜とはまるで別人のように変貌していたのだ。岩崎弥太郎に似た激しい気性が、孫娘の長女にそのまま受け継がれたというので、のちに「女弥太郎」と呼ばれるようになる。
 子供のころ、わたしは旧・岩崎邸の山へ入りこんでは、トンボやセミを捕まえて遊んでいた。大磯駅の背後、北側にある湘南平へ登れば、もっとたくさんの虫が採れたのだが、駅前にある旧・岩崎家の山が手軽で遊びやすかったのだ。エリザベス・サンダース・ホームの門は、閉じられることなくいつも開放されていて、誰が入ってきてもとがめなかった。だから、ワルガキどもは自分の庭のように、虫網をかついでは森の中を遠慮なく走りまわっていた。ホーム側にしてみれば、小さな“部外者”たちはずいぶん目ざわりでうるさかったに違いない。
 
 親父がときどき口ずさんでいた、「♪みどりの丘の赤い屋根、とんがり帽子の時計台~」という戦災孤児の歌は、当時、エリザベス・サンダース・ホームのことを唄ったものだと思いこんでいた。いまはなくなってしまったが、赤いとんがり帽子の教会を見た記憶がある。虫かごいっぱいにセミを捕ってうるさく走りまわるわたしたちを、教会のどこかの窓辺から、澤田美喜は眺めていたのかもしれない。

■写真上:現在のエリザベス・サンダース・ホーム()と澤田美喜()。いまでもホームは、付属の聖ステパノ学園(小・中学校)とともに存続している。
■写真中は、本郷の旧・岩崎邸で撮られた家族の肖像。中心にいるのが岩崎(澤田)美喜で、手前が父親の岩崎久弥、イスに座る左端が母親の岩崎寧子。は、家族の肖像が撮られた同じ場所の現状。澤田美喜について管理のお爺さんに訊ねたら、わざわざ撮影場所を教えてくれた。
■写真下は、大磯駅前に拡がる旧・岩崎別邸の山。写真には、3分の2ほどしか入っておらず、国道1号線に近いところまで山麓がつづいている。大磯小学校の校庭からの眺め。は、本郷にある旧・岩崎本邸。

この記事へのコメント

  • やすこ

    澤田美喜さんのような人に憧れます。私が生まれて3年間はこの世にいて大磯で同じ空気を吸ってたことがすごいと思います。学校の授業でここにいったこともあるし、友達もいました。知らないから私もいろいろな人と遊んでいましたが、祖父はここのことを聞くとなんだか心配していた様子でした。そこにさべつがあったのですね。
    2006年03月21日 00:43
  • ChinchikoPapa

    やすこさん、こんにちは。
    わたしも小学生ではなく、今だったらいろいろなお話をうかがえたのに・・・と思います。おそらく、サンダースホームのことばかりでなく無数の物語をお持ちの方でしたね。子供でも小柄なおばあさんと感じた、あの小さな身体のどこに、これほどのエネルギーがたぎっていたものでしょうか。会話を交わしているのですが、その内容が思い出せないのが残念でなりません。
    2006年03月21日 12:35
  • あふろぶるー

    はじめまして。
    まずはトラックバックを受け入れてくださりありがとうございました。
    澤田さんについては「黒い肌と白い心」、この1冊を読んだだけで後は
    何も存じませんでした。ただこちらのブログを拝見し、澤田さんを何となく身近に感じることができ感激しました。澤田さんはとてもお幸せな方だったと思います。ご自身が幸せでなければ本気で人を助けるという行為はできないからです。私もいつか大磯を訪ねてみようと思います。
    2006年05月23日 22:02
  • ChinchikoPapa

    あふろぶるーさん、ようこそ。(^^
    いまの季節、雨さえ降らなければ大磯は海に山に、散策にはもってこいです。エリザベスサンダースホームばかりでなく、見所いっぱいの大磯へぜひお出かけください。
    大磯の切り口には、こんなテーマもあります。
    http://blog.so-net.ne.jp/chinchiko/2005-12-30
    2006年05月23日 23:43
  • ゆうちゃんパパ

    こんにちは。はじめまして。
    昨日(06/08/15)、日本TVの「澤田美喜物語」を見て彼女の生き様に感動し、ネットで検索してこちらにたどり着いた次第です。
    そしてこの記事を読んで、彼女に対する認識が深まったと同時に、彼女の作った「エリザベス・サンダース・ホーム」と「聖ステパノ学園」のある大磯を訪ねてみたくなりました。ありがとうございます。

    みなさんにも紹介したく、ジャンルは違いますが僕のブログでこの記事へのリンクを張らせてもらいました。もし何か問題がありましたら、お手数ですがその旨ご指摘いただけますと幸いです。
    http://youpapa.blog24.fc2.com/blog-entry-155.html
    2006年08月16日 12:03
  • ChinchikoPapa

    ゆうちゃんパパさん、コメントをありがとうございました。
    また、リンクをしていただきありがとうございます。ジャンルが異なっても、わたしはぜんぜんかまいません。こちらからも、さっそくTBさせていただきました。
    また、大磯をお訪ねになるのでしたら、下記ページをご参照ください。こちらは、近代建築のテーマから大磯を紹介したページとなっています。散策される際に、ご参考になれば幸いです。
    http://blog.so-net.ne.jp/chinchiko/2005-12-30
    2006年08月16日 14:10
  • ゆうちゃんパパ

    温かいコメントありがとうございました。うれしいです。
    実はトラックバックしてもらうこともお願いしたかったのですが、あつかましいと思い遠慮しておりました。トラックバックも本当にありがとうございます。
    あつかましいついでに一つだけお願いがあります。「エリザベス・サンダース・ホーム」の画像を使用させていただけませんでしょうか?ご許可いただけました際には、出所を明らかにして掲載させてもらいたいと思います。
    12-30の記事の紹介もありがとうございました。明治の別荘としてすごい場所ですね。本当に旅行に行きたくなりました!
    2006年08月16日 17:59
  • ChinchikoPapa

    はい、どうぞお使いください。
    ついでに、「ホーム」の正門位置から撮影した写真も、当記事末へアップしておきました。正面に見えるのが、澤田美喜のレリーフと記念碑です。正門を入ると、まずこのモニュメントが目に入ります。
    こちらも、よろしければお使いください。
    2006年08月16日 19:40
  • ゆうちゃんパパ

    お言葉に甘えて早速二つとも使わせてもらいました。
    http://youpapa.blog24.fc2.com/blog-entry-155.html
    澤田美喜さんのことを知ることができたこともですし、それをきっかけとしてさらに温かい心に触れることができたこと、本当に感謝しています。
    一連のご親切、どうもありがとうございました。
    2006年08月16日 21:12
  • ChinchikoPapa

    いいえ、どういたしまして。(^^
    また、お気軽にお立ち寄りください。
    2006年08月16日 22:05
  • ウインター

    私も、8月15日に放送された澤田美喜さんの「母たることは地獄のごとく」を見て感動して、どこか感想を話せるところはないかとネット検索してたどり着いた者です。DVDに撮ってもう2回見ました。これは涙なしには見れませんね。ねむの木という施設でやはり孤児を救った宮城まりこさんという方が、澤田さんのことを「ライオンのごとく困難と闘い、ヒツジようにやさしく孤児たちに接していた」と評していたそうですが、今の日本にこういうすばらしい人はなかなか居ませんね。勇気・正義・愛の三拍子そろっています。ドラマの最後で黒人のケンが「実の母はやはり遠い存在でした。僕の心の中にある母は、かあさん(澤田美喜)、あなたです」という台詞に胸を打たれました。
    2006年08月16日 23:39
  • ChinchikoPapa

    ウインターさん、コメントをありがとうございました。
    わたしは、残念ながら仕事で遅くなり、ドラマは最後の30分弱しか観られませんでした。松坂慶子が、澤田美喜役だったのですね。でも、わたしの記憶ですと、子供心にも小さくてかわいいお婆さんという印象が強く、GHQを向こうにまわしてケンカするようなエネルギッシュな方には、とても思えませんでした。
    いくつかの場面に、実際のエリザベス・サンダース・ホームでロケーションしたと思われるシーンがありましたね。その他は、昔の大磯に似たような海岸線を選んで撮影したようで、風情がなんとなく懐かしかったです。
    わけのわからない子供時代ではなく、大人になってからお会いして、お話をうかがいたかった方ですね。
    2006年08月17日 00:51
  • ki-547

    コメント失礼いたします。
    貴重な体験を見せていただきありがとうございます。
    大学のレポートでこちらの資料を使わせて頂きたいのですが、可能でしょうか。
    利用範囲としては私学生が、教授へ課題提出を行う程度で、外部への公開は致しません。
    インターネット上の不特定多数がアクセスするブログということで、こちらの情報を書くことは出来ないのですが、必要でしたら何らかの方法でご連絡させて頂きたいと思います。
    2008年02月14日 09:14
  • ChinchikoPapa

    ki-547さん、コメントをありがとうございます。
    レポートの件ですが、ご自由にお使いいただいてかまいません。このネットワーク時代に、インターネット上の情報を引用してはダメという、大学のレポート課題が多いのにはわたしも少し驚いてます。出典を銘記すれば、別にかまわないと思うのですが・・・。もっとも、すべてサイトからの引用だけのレポートが出てきたがための、教授側からの“禁じ手”なのでしょうか。(^^;
    お役に立つのでしたら、ご自由にお使いください。
    2008年02月14日 14:06
  • さいれんと

    ご無沙汰しています
    大磯 澤田美喜記念館に数回お邪魔しています。館長さんに昔は岩崎の別荘の山の上迄、平塚旭地区から水を引いてきて賄っていたそうです。そのせいで駅前の別荘の山には沢ガニが沢山足元を歩いていたそうです。今も館長さんは夏には大きなシマヘビをぶら下げて遊ぶそうです。トンネルも健在ですし、子供達の声がホームから聞こえてきます。ホームも60年経ち新校舎に立て替え中のようです。papaさんに画像とか送りたい時はアドレスがどこかで分かるのでしょうか?
    2008年12月09日 20:06
  • ChinchikoPapa

    さいれんとさん、コメントをありがとうございます。
    実は先々週、いてもたってもいられず潮風の匂いをかぎたくて、新宿から湘南ラインへ飛び乗って大磯へ出かけてきました。海辺でぼんやりしたあと、海岸線を歩きながら鴫立庵や島崎藤村の自宅で一服・・・というような、ぜいたくな散歩をしてきました。伊藤博文の蒼浪閣が閉鎖されたのは残念ですが、海辺の遊歩道をそぞろ歩いて磯風を満喫できました。数ヶ月に一度、鎌倉か大磯へ行かないと、フラストレーションがたまってしまいします。^^
    江戸期からの物語がふんだんに眠り、芸術家たちが現在でも数多く住んでいる大磯は、落合地域と同様に物語の宝庫ですし、風情も昔とあまり変わっていませんので、よりリアルに物語を紡ぎ出せそうでうらやましいです。
    画像をお送りくださるとのこと、ほんとうにありがとうございます。フリーメールで恐縮ですが、下記のメルアドあてにお送りいただければ幸いです。
    kitarei@yahoo.co.jp
    よろしくお願いいたします。
    2008年12月09日 23:29
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、わざわざ「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>SILENTさん
    2015年07月06日 16:50

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