以前、昭和初期に下落合界隈で貼られていたポスターや、メディアに掲載された媒体広告について何点か書いたが、今度は戦後、昭和20年代の媒体広告をご紹介したい。まずは、下落合に三輪家の邸宅Click!があった、丸見屋商会(ミツワ石鹸)の広告から・・・。
丸見屋商会は戦前、日本橋区米沢町(戦前の西両国=現在の東日本橋)の大川(隅田川)沿いの通りに面して本社が建てられていたが、これがなんとわたしの実家から30mと離れていない、ほとんど斜向かいの位置にあたる。つまり、丸見屋の本社屋の一画は、旧・すずらん通りと旧・千代田小学校(現・日本橋中学校)に面していたことになる。ちょうど、現在のカゴメ東京本社があるあたりだ。だから、東日本橋と下落合ということで、ミツワ石鹸とは奇妙な縁を感じるのだ。戦後も、しばらくは(株)丸見屋として営業していたが、ミツワ石鹸の爆発的なヒットにより、1964年(昭和39)東京オリンピックが開かれた年に(株)ミツワ石鹸へと社名を変更している。
この広告は昭和20年代のもので、おそらく丸見屋が「薬用ミューズ」や「フローラ石鹸」を発売する1953年(昭和28)直前のものだろう。すでに当時のミツワ石鹸には、いくつかのバリエーションが存在していたようで、この製品は「ミツワ石鹸30番」とネーミングされている。なぜ「30番」なのかはよくわからないが、キャッチコピーから女性の洗顔用あるいは浴用の石鹸のようだ。のちに、「30番」の後継か、またはシリーズ製品の「35番」が登場することになる。
1950年(昭和25)の米10kgが990円、理髪代が80円ほどだから、いまの物価と比較すると15~30分の1。いちがいには単純比較できないが、「ミツワ石鹸30番」は¥35と刷られているので、現在の価格に換算すると525~1,050円と、かなり高級志向の製品ということになる。製品パッケージも、同時代の他社製品と比べ、かなりシャレていて豪華だ。
価格下のカッコ内に、わざわざ「機械ねり石鹸」という注釈が入っている。これは石鹸製造の方法だが、高級な石鹸はこの機械練り方式、安い石鹸あるいは特殊な用途の石鹸は枠練り方式で作られ、現在でも基本的に変っていない。機械練りは、ツヤツヤとした表面で純白に仕上がり、水に溶けやすく泡立ちもいいのに対して、枠練りは水に溶けにくく泡立ちにくい性質らしい。枠練りは形状も崩れやすいが、逆になかなか減らず長持ちするメリットがあるようだ。
まだ1950年代は、広告に「機械ねり」と表記すれば、消費者に高級石鹸のイメージがわいた時代だったのだろう。いまでは、「手作り石鹸」と書かれていたほうが、なんとなく高級そうに感じてしまうのだが・・・。
■写真上:丸見屋の「ミツワ石鹸30番」媒体広告。1950年(昭和25)ごろ。
■写真下:左は、1941年(昭和16)の東日本橋地図。当時の住所表記は、大橋(両国橋)をはさんで西詰・東詰ともに「両国」という地名だった。旧・すずらん通りの入り口に、丸見屋の社名が見える。右は、「ミツワ石鹸35番」のパッケージ。
この記事へのコメント
玉井一匡
http://www.mikitoriro.jp/
ところで、「ミツワ30番」というのは、三=3、輪=0ということでつけられた番号なのではありませんか。それからあとは、シリアル番号が増えていったと。
ChinchikoPapa
「30番」の謎、なるほど玉井さんのおっしゃるとおりかもしれません。その後、後継の商品が開発されるたびに、そのつど番号を増やしていったのかもしれませんね。バージョンが50番に達するまで、ミツワ石鹸の経営が持ったかどうか・・・。
hedawhig
倒産したときに、さあ大変だ~とダンボール一箱石鹸買って備えてました。
それには皆が爆笑でした。
最後の石鹸になったとき、これからなんで坊主頭を洗おう~
「こんなに長生きするのだったら、2箱買うのだった・・・・」悔やんでいました♪
私がミツワ石鹸に近いものを再現できた時・作るようになったのが遅く・・・
既に大叔父は他界・・・
固く溶けにくく、泡立ちが良くて、脂肪を取り過ぎない素晴らしい石鹸でした~
私の推測ですが椰子油は少なく、「パーム油」の配合が良かったのでわ?
と思われます。が・・・
何度洗っても、肌がカサカサにならない石鹸でした。
ChinchikoPapa
ミツワ石鹸を「再現」されたとは、素晴らしいですね。いまでも「再現」が可能でしょうか? 「ミツワ石鹸」という商標は使えないでしょうが、「三輪の石鹸」として売り出されれば(^^;、旧ミツワ石鹸党によく売れるのではないでしょうか?
hedawhig
再現石鹸、基本の油脂が何かわかれば~・・・私はエキストラバージンオリーブオイルをベースに試作しましたが・・・オイルの比率はオリーブオイル6.5:パーム油3.5が最も近かった様に感じました。
お正月のお休みに作ってみましょう~
ChinchikoPapa
完成しましたら、ぜひこちらでもご紹介させてください。ミツワ石鹸は、CMファンも多いですが、いまだ石鹸そのもののファンも多いのに、いまさらながら驚きますね。
あっ、ライバルでご近所の花王石鹸様、なにとぞご容赦を。(^^;
「昭和寮」の記事ですが、写真の屋敷名と文章をさっそく訂正しておきました。ありがとうございました。<(_ _)>
Nogatarian
趣味で昭和30年代~40年代頃の商品や広告の資料を集めています。
ChinchikoPapさんがこのブログでご紹介されているミツワ石鹸の
広告や商品箱はどこで入手されたのでしょうか?鮮やかなバラの
デザインがいかにも30年代風で懐かしく、またその装飾性が当時の
石鹸の価値を物語っているようで、とても貴重な資料と感じました。
ご自宅で当時の商品をそのまま保存されていたのでしょうか。
もし差しつかえなければご入手先、お教えいただけませんか。
ChinchikoPapa
それから、石鹸のパッケージ画像ですが、確か「昭和生活博物館」のようなコンセプトのサイトに掲載されていた画像をお借りしたと思います。上野の下町資料館・・・だったか。1年半前のことですので、そのサイトの記憶があいまいで思い出せません。少し探してみたのですが、その時期だけの特集展示だったのか、あるいはサイトがリニューアルされてしまったのか、見つかりませんね。こちらは、お役に立てずすみません。
Nogatarian
教えていただいた書籍、サイト、当たってみます。
それにしてもミツワ石鹸、消滅から四半世紀以上経つのに、
いまだ熱狂的ファンが存在しているのですね。
まさか広告の神通力じゃないとは思いますが、製品自身に他社と
それほど違いがあったとも思えず・・・。ChinchikoPapさんは
どうお考えですか?
ChinchikoPapa
それと、いまでもミツワ石鹸が存続していたら、これほど話題になっていたかどうかはわからないような気もします。二度と手に入らないというところにも、人気のヒミツがありそうですね。
TT
ChinchikoPapa
そのミツワ石鹸本社跡(戦後はカゴメ東京本社ビル)の北側に通うすずらん通りの一画に、わたしの実家がありました。もっとも、1945年(昭和20)3月10日の東京大空襲で灰になってしまいましたが。マンションの南側にある日本橋中学校は、戦前、親父が通っていた千代田小学校の跡で、わたしが子どものころまで校舎がそのまま使われていました。