なぜかミミズクが目につく神田川べり。

 神田川がほぼ直角に曲がる、飯田橋の舩河原橋から上流へ歩いていくと、すぐ200mほどで隆慶橋にさしかかる。江戸好き芝居好きの方なら、すぐに『鈴が森』の幡随院長兵衛を思い出すだろう。隆慶橋は、殺された長兵衛の遺骸が流れ着いた橋として有名だ。この隆慶橋の東詰めに、大正期の関東大震災のころから開業している、ユニークな建物のタバコ屋さんがある。まるで仏塔のような二重屋根の下に、赤と白のタイルで「タバコ」と描かれた看板がとてもユニークだ。よく見ると、タバコの文字の上には、信号機に隠れるように大きなミミズクが彫刻されている。
 「みみづく家」さんの看板、というかこの広告塔は戦後に造られたものだが、神田川の上を高速道路(首都高5号線)がふさいでしまう以前は、かなり目立つ存在だったろう。わたしは会社が近くなので、たまにこの店でタバコを買う。以前、売り場にいたお爺ちゃんはいなくなり、現在ではおばちゃんがタバコを売っている。ここは、神田川洪水の常襲地で、よくお店の1階が水に漬かっていたそうだ。大雨が降ると、少し上流にある大曲(おおまがり)で激流が東岸に衝突して溢れ、後楽2丁目のこのあたり一帯は水びたしになった。それほど昔の話ではない、1980年代のことだ。
 

 「みみづく家」の由来は、大正期にタバコ店を開業した初代が、大のミミズク好きだったことに由来するそうだ。ミミズクの置物はもちろん、日用品から印鑑、はては家紋にいたるまで、すべてミミズク尽くしにしてしまった。そのうち、タバコを買いにくるお客が、店名を呼ばずに「みみづくや」と呼ぶようになったので、ついに屋号も変更してしまったとのこと。いまは、高速道路を走るクルマの騒音で落ち着かないが、戦前は神田川沿いの土手には桜と柳の並木道がつづき、水もうなぎの問屋生簀Click!ができるほどきれいだった。柳のゆれる枝垂れの端に、この「タバコ」の広告塔が見える景色を想像してみると、なかなか風情があってよかっただろう。
 この「みみずく家」から神田川をさかのぼると、なんとなくミミズクの“名物”が目につく。なんといっても、雑司ヶ谷は鬼子母神に伝わる厄除け「すすきミミズク」が有名だし、さらに上流の目白近くには、ミミズクなのになぜか「自由の梟(ふくろう)」と名づけられた、教育のシンボルもあったりする。頭の上に“耳”があり、なんとなく物知り顔のミミズクは、昔から学問や叡智のシンボルとして敬われ、親しまれてきた。
 

 「みみづく家」前の神田川(江戸川)は、決して澄んではいないが、もう少し上流で鮎が採れたのは、ついこの間の話だ。川の水は少しずつだが、確実にきれいになってきている。それにしても、「みみづく家」前の川面をふさいでしまい、騒音を吐き散らす高速道路を、もう少しなんとかできないものだろうか。いい方策がないかどうか、知恵の神に訊いてみたいものだ。

■写真上:隆慶橋東詰めに、大正期からつづくタバコ店「みみづく家」。
■写真中は、いまでも架かる「みみづく家」の看板。は、飯田橋の船河原橋上から隆慶橋方面を望む。江戸期には、関口の大堰からここまでが江戸川と呼ばれていた。
■写真下は、鬼子母神の「すすきミミズク」。は、自由学園の「自由の梟」。でも、どう見てもフクロウではなく、ミミズクのかたちをしている。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2011年01月17日 14:58

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