生理学教室研究者の放生会。

 少し前に、泉鏡花の『婦系図』Click!について書いたから、ついでに花柳小説『日本橋』についても書いてみたい。もっとも、『婦系図』が近代小説の“ピカレスクロマン”なのに対し、『日本橋』はグッと古めかしい講談調の表現が多くなる。そこかしこに、江戸東京の芝居や講談の常套句や“お約束”が顔を出し、原典を知らないとなにが書いてあるのかよくわからない。講談が好きじゃないわたしは、正直かなり退屈する。たとえば、忠臣蔵がらみの・・・
  
 「大高、旨いぞ。」と一人が囃す。
 「おっと任せの、千崎弥五郎。」
 矮小が、心得、抜衣紋の突袖で、据腰の露払。早速に一人が喜助と云う身で、若い妓の袖に附着く、前後にずらりと六人、列を造って練りはじめたので、あわれ、若い妓の素足の指は、爪紅が震えて留まる。
 此奴不見手、と笹の葉の旗を立てて、日本橋あたり引廻しの、陽炎揺るる影法師。日南に蒸れる酢の臭に、葉も花片も萎えんとす。(筑摩書房版『全集』より)
  
 ・・・と、まあこんな調子が延々とつづく。同じ花柳小説でも、平山藘江のほうがまだこなれていて読みやすいかもしれない。それでも、この小説に惹かれるのは、わたしの知らない昔日の日本橋の姿が、そこらじゅうにチラチラ映るからなのだろう。芸妓でヒロインの清葉とお孝による、女の意地の張り合いがメインテーマなのだが、ヒーローである葛木晋三が登場する、「河童御殿」の西河岸町は一石橋のシーンが、他の講談調の文章とはまったく異なり、変にリアリティあふれる表現なのが妙といえば妙なのだ。
 雛祭りに供えた、生きた栄螺と蛤を一石橋から日本橋川へ“放生会”している最中に、葛木は巡査の不審尋問にあう。(舞台では一文雛を流すことになっている) この薩摩出の巡査の尋問が、まるで井上光晴の小説に登場する取調室の病的で粘着気質な刑事のようにネチネチと、とことん執拗でいやらしく描かれている。地場の男たちの喋りとは、まさに対照的だ。このシーンだけが、やたらリアリズムが濃いのだ。鏡花も、同様の嫌な経験をして怨みがあるのかもしれない。
 

 常磐橋御門から一石橋、そして日本橋あたりの日本橋川西岸、呉服町や檜物町界隈が小説の舞台なのだが、頻繁に登場する風景に「西河岸のお地蔵様」というのがある。いまも残る日本橋西河岸地蔵寺(正徳院)は、創建が奈良時代といわれる古刹だ。行基作と伝えられる地蔵菩薩が安置され、享保年間に駿河から日本橋へ移転してきた。誠心誠意お参りをすれば、短期間で願いごとがかなうという、気短かな江戸っ子にはまことにありがたい「日限延命地蔵」なのだが、戦前戦後を通じて日本橋芸者の信仰を一身に集めていた。
  
 「あら、姉さん、肖ていたって、西河岸のお地蔵様じゃないんですか。私は直接に見たことはありませんけれど、・・・でしょうと思いましたから。で、なくって、誰に肖ていましたの、姉さん」
 「まあ、お千世さん、肖たってのはその事なの。・・・じゃ、やっぱり、気の迷いだったんだよ。」とうっかりしたように色傘を支く。(中略)
 飴屋が名代の涎掛を新しく見ながら、清葉は若い妓と一所に、お染久松がちょっと戸迷いをしたという姿で、火の番の羽目を出て、も一度仲通へ。どっちの家へも帰らないで、---西河岸の方へ連立ったのである。けれども、いずれそのうち、と云った、地蔵様へ参詣をしたのではない。そこに、小紅屋と云う苺が甘そうな水菓子屋がある。
  
 「西河岸のお地蔵様」は、いまでこそビルに囲まれた鉄筋コンクリートの不粋な風情だが、鏡花の『日本橋』が書かれた大正期(1914年ごろ)には、震災前なので江戸期からつづく水菓子屋などが建ち並ぶ表店の中にあったのがわかる。
 芸者衆がちょいとお参りし、帰途には甘味やフルーツ、アイスクリームを食べられる店が並んでいたのだろう。「小紅屋」の甘そうな苺とは、江戸期から有名な神楽坂の畑で採れた、“神楽坂イチゴ”だったのかもしれない。そういえば、『日本橋』が書かれた同年には、離婚した妻たまきのために、竹久夢二が「港屋絵草紙店」を開店している。ちょうど、西河岸地蔵寺の真裏あたりだ。

 『日本橋』を読むと、いま昔も、この地域がいかにアンビバレンツな風景を形成していたのかがよくわかる。江戸期の風習をそのまま残しながら、最先端のビジネス(商売)が成立している街。因習がきびしい花柳界や商仲間と、日銀や生き馬の眼を抜く証券取引所が並存している街。帝大生理学教室の葛木晋三が、一石橋から栄螺と蛤を“放生会”している姿が、なによりも“日本橋”の姿を象徴しているのかもしれない。

■写真上:ビルに囲まれた、現在の日本橋西河岸地蔵寺(正徳院)。
■写真中は、昭和20年代の「西河岸延命地蔵」。は、新派の『日本橋』より、初代・水谷八重子のお千世。(こちらも戦後すぐのころ)
■写真下
:一石橋の西詰めに残る「迷ひ子の志るべ」。悪戯されないよう、フェンスで囲われているのが情けない。金座がすぐ目の前のため、後藤家が南北に屋敷を構えてたから、五斗+五斗=一石橋と名づけられたといわれて川柳にも詠まれるが、町場お得意の洒落とばしだろう。江戸の最初期に、永楽銭を市中から駆逐するために、ここで銭束と米を一石単位で交換した・・・といういわれのほうがリアルに感じる。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2009年06月01日 15:35
  • Marigreen

    こういう世界に浸っていると「宝塚少女歌劇」なんかは、Papaさんの中でどういう位置を占めているのかと思う。
    2012年09月28日 18:35
  • ChinchikoPapa

    Marigreenさん、さっそくコメントをありがとうございます。
    宝塚少女歌劇は、まったく興味の対象外です。^^; 舞台でもTVでも、一度も観たことがありません。
    2012年09月28日 18:56
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
    2014年07月29日 22:29

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