湯島天神に白梅が咲くころ、「学業成就」のお礼参りの列が境内を埋める。わたしが子供のころは、別に菅公が奉られているからといって、いまのような大々的な“受験の神様”にはなっていなかったように思う。だから、あまりニュースにもならなかった。神田明神にお参りしたあとは、そのまま散歩がてらに湯島天神も・・・といった感覚。ガランとした寒い境内を歩いていたのは、おみくじを買って白梅の枝へと結ぶカップルが多かった。江戸期には、芸能と縁結びの神様として、あるいは富籤(宝くじ)興行で有名な天神様だった。
そう、ここは泉鏡花の『婦系図(おんなけいず)』の影響で、不忍池とともにカップルが必ず立ち寄って、将来の夢を占うデートコースだったのだ。でも、これほど有名なお蔦と主税(ちから)の「湯島の境内」なのだが、意外なことに小説『婦系図』には、そんな場面はまったく登場してこない。しかも、主税の内縁の妻である元芸者のお蔦は、物語の出だしと、中盤で死ぬ少し前に登場する、脇役のひとりにすぎない。メインは河野家で菅子や道子をはじめ、女たちをたらしこむ主税のオドロオドロしい復讐劇なのだけれど、長い芝居の本筋から離れて「湯島の境内」だけが上演されることも多い。そんなお蔦を大きくクローズアップしたのは、新派の芝居で喜多村緑郎がお蔦を演じてからだ。
泉鏡花は喜多村のお蔦が気に入り、小説とは切り離して特別に「湯島の境内」をわざわざ追加で書き下ろしている。「お蔦、俺と別れてくれ」、「別れろ切れろは芸者のときにいう言葉」・・・というようなやり取りは、師の尾崎紅葉から元神楽坂芸者の“すず”と同棲を始めたことを強く叱責され、思い悩んだすえに実際にやり取りされた会話なのだろうか。鏡花は身につまされる想いで、新派の舞台を観ていたのかもしれない。お蔦と主税は、師の酒井によって無理やり引き裂かれるが、すずと鏡花は猛反対した紅葉が急死してしまったため、めでたくゴールインすることになった。
子供のころ、新派の芝居に連れていかれるのが苦痛だった。子供心に、歌舞伎は舞台や所作が美しいし、文楽にはうきうきするようなガブClick!がいたし、新国劇はチャンバラや物語が単純でわかりやすく面白いのに、新派だけが、もうど~しようもなく退屈で退屈で死にそうだったのだ。わたしが観た『婦系図』は、先代の水谷八重子のお蔦に安井昌二か、または菅原謙次の主税だったと思うのだが、小説の背景を知らないし(女をたらしこむ復讐劇なんて小説がわかるはずもなく、また読ませてくれるはずもない)、明治期を模した地味な書割の前で、スヤスヤと気持ちよく午睡にふけっていた。だから、湯島天神の境内というと、条件反射のようにいまでも眠気が襲ってくる気がする。
でも、その湯島天神がすごいことになっていた。よっぽど「受験」で逆ご利益があったのだろう、以前の地味な湯島天神とはまるで別世界だ。1995年(平成7)に建て替えられたのは知っていたが、しぶい土蔵造りの旧社殿が、いきなり総檜造りの権現造りになってしまった。これでは、人知れずカップルがそっと白梅におみくじを結ぶ・・・なんてえ風情よりも、若い子たちがゾロゾロと合格祈願に訪れたほうがよほど似合うだろう。切通しの上から見渡せた不忍池も、いまやまったく見えなくなっていた。
飯田町(飯田橋近く)で同棲していた主税は、別れ話をしにわざわざお蔦を湯島天神まで連れ出した。往復3km強の散歩なのだが、彼女の鼻緒が痛くなるころに、ようやくたどり着いた境内のベンチで、いきなり「俺と別れてくれ」じゃ、お蔦さん、立つ瀬がないじゃないか。「縁も切れ、鼻緒も切れて、ついでにあたしもキレっちまうわよぉ!」・・・と、帰り道の1.5kmが青木さやかしそうで怖い。この舞台、BGMに清元の「三千歳」(みちとせ)が流れるのも、気だるさと眠気を誘う要因なのだ。鏡花には、実体験と重ねあわせて、思い入れたっぷりで鳥肌モノのシーンだったのかもしれないが、他人の色恋の道を観させられる側としては、やはり退屈で死にそうで、誘眠剤のような舞台なのだ。
■写真上:まぶしい湯島天神の本殿を、裏から・・・。
■写真中:新派『婦系図』の「湯島の境内」で、喜多村緑郎のお蔦、伊井友三郎の主税。(戦前)
■写真下:不忍池がまったく見えない。子供のころは、広重『名所江戸百景』第117景の「湯しま天神坂上眺望」ほどではないが、水面が陽に照り映えていた。
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この記事へのコメント
ChinchikoPapa
Marigreen
Papaさんのお父様は、子供のPapaさんをいろんなとこ連れて行ってるのでびっくりする。教育的効果をねらったのだろうか?変なマセガキにならずに、すくすく育ったのは、めでたいことだった。
ChinchikoPapa
わたしが、ひねくれもせずスクスク育ったかどうかは別にして(ずいぶんヘソ曲りのような気もしますがww)、『婦系図』は新派の舞台から世の中に形成されたイメージと、鏡花原作の小説の世界とでは、まるっきり見えてくる風景が異なる作品ですね。
親父が、いろいろなところを連れ歩いてくれたのは、別に教育をしようとしていたのではなく、この土地(江戸東京)のアイデンティティを幼児のわたしへ、自然に染みこませようとしていたんじゃないかと思います。
いろいろな街や場所へ出かける(物見遊山をする)というのは、江戸期から盛んに行なわれていたことですので、その習慣にしたがって家族を連れ歩いた・・・、いまとなってはそんな気がしますね。