さようなら、「はとや」さん。

 先週、「はとや」のおばさんに挨拶をしてきた。9月10日に店を閉められ、9月末には下落合から引っ越されるという。落合第四小学校と落合中学校との間で、文具店を経営されて50年以上。うちのオスガキふたりとも、ほとんど生まれたときからお世話になっていた。
 小学校から中学校を通じて、学校の指定文具店だったため、ノートに鉛筆、とび縄、上履きに体育館履きなど、学校生活に必要な用具はほとんど「はとや」さんで揃えた。いや、そればかりでなく、簡単なプラモデルやボール、ガチャポンにスチロール飛行機と、幼児が喜ぶちょっとしたおもちゃも扱っているので、御留山へ散歩に出かけたついでなどに、必ず立ち寄っては買っていたものだ。ちょうど、下落合の中心に位置する、ほんとうに小さな文具店だったが、地元の学校へ通った下落合の住民なら必ずお世話になったお店なので、その存在感はとてつもなく大きい。落四小と落中の間の通りは、通称「はとやさん通り」と呼ばれていたぐらいなのだ。「はとや」さんがなくなってしまうと、周囲に文具店が存在しないため、学校では今後の対応に困っていると聞いている。
 また、「はとや」さんは竹田助雄氏らとともに御留山の保存・公園化にも進んで尽力され、最近では、「下落合みどりトラスト基金」のパンフレットを置いていただけるなど、下落合の緑地帯を守る活動へ積極的に取り組まれてきた。「トラスト基金」のパンフレットを拡大コピーしてお店に貼るため、おばさんが近くのコンビニへ寄られた際、アルバイト中の大学生になった上のオスガキに再会したらしい。「まあ、なんて大きくおなりになって」・・・と言われ、少しお話をしたようだ。なにしろ3歳ごろから、「はとや」さんのおもちゃで遊んでいたのだから、店じまいはオスガキどもにとってもかなりショックだろう。

 朝、子供たちが学校へ出かけるころ、「はとや」のおばさんはジョギングで七曲坂を一気に駆け上がる。あの体力なら、まだまだお店は大丈夫・・・と思っていたわたしも、閉店には愕然とした。お店へ入ると、東山千栄子ばりのとても美しい正調山手弁を話されるおばさんの声に、ホッと心が落ち着いた。あの、「ありがとうございまっす~」という声が聞けなくなるかと思うと、実にさびしい限りなのだ。

■写真上:閉店した「はとや」さん。おばさんもご一緒に・・・とお誘いしたのだが、どうしても入ってはいただけなかった。実は右手に、おばさんはニコニコしながら立っている。
■写真下:落四小と落中にはさまれた、通称「はとやさん」通り。正面が御留山。

この記事へのコメント

  • Mimura

    こんにちは、えっ?なくなってしまうのですか・・・・・・。
    子供がこの近くの保育園に行っていた時に
    何度か利用してました。
    また、ひとつ消えて行くのですね。
    寂しいものです。
    その保育園も今年の3月で、他の場所に
    移転になりました。
    そう言えば、そこの中学校は越境してでも
    入学したい中学で有名ですよね。
    ブログへ来て下さりありがとうございます。
    2005年09月19日 12:30
  • ChinchikoPapa

    わたしも、先週うかがってびっくりしました。「いつもそこにある」と当たり前に思えるものが、ふいに消えてしまうのはやっぱりショックですね。これからは、あの通りをなんと表現すればよいものやら・・・。
    こちらこそ、いつもコメントをありがとうございます。<(_ _)>
    2005年09月19日 12:57
  • MM

    ショックです、、、
    私も小・中学校とお世話になってました。
    ほんとに生徒たちのことを信頼してくれてるのがわかる接し方で、こっちが心配になるほどでした。

    学校では登下校の方向をおおまかに「坂上」「坂下」「はとや」3つに分けられてました。私は「はとや」方面。それが無くなってしまったとは><
    2005年09月20日 21:35
  • ChinchikoPapa

    「はとや」さんへ入ると、誰もがホッとするようなオーラに包まれましたね。だから、子供たちもよく通ったんだと思います。
    写真を撮らせていただくとき、中が散らかっていますのでカーテンを閉めさせてくださいませ・・・と言われたのが、いかにも優しく慎ましやかな「はとや」さんらしくて素敵でした。
    2005年09月21日 00:05
  • 生まれも育ちも下落合!

    なくなっちゃったんですか。はとや。残念ですね、本当に。
    母校落中が建て直しになってもそのまま残っていたのでもうちょっと大丈夫かなあと思っていたのですが。確かはとやのおばさんとうちのおばさんが同期だったかでよく知っていたので連絡しないといけないかも。
    2005年11月10日 01:14
  • ChinchikoPapa

    わたしも、残念で残念で・・・。うちのオスガキたち(特に下の子)も、いまだに残念がっています。おばさんは、七曲坂を駆け上がれるほどお元気でしたので、閉店と聞いて耳を疑いました。
    すでに引っ越されて、下落合にはおられないようです。
    2005年11月10日 15:46
  • ruirui

    久しぶりに伺ってはとやさんの閉店を知りました.落四、落中と通って,毎日のようにはとやさんに行きました。学校では、はとやさんの息子さんと同級生でしたよ。たしか妹さん(当時赤ちゃん)も居ましたね。ずうっと前のことなので・・ここにでてくるおばさんというかたは、ジョギングで駆け上がるくらいだから、まだお若い方なのかしら。もしかして、当時赤ちゃんだった妹さん??ちなみにわたしは栗田ひろみさんと同じくらいの年なんですが・・
    2006年08月20日 00:51
  • ChinchikoPapa

    ruiruiさん、こんにちは。
    「はとやのおばさん」は、おそらく何十年も前から言われていた一般的な呼称ではないかと思います。もちろん、かなりお歳を召していらっしゃいましたが、坂を駆け上がる様子はまだまだお元気・・・という感じでした。
    おそらく、いまも転居された先で、お元気にジョギングはつづけられているのではないでしょうか。(^^
    2006年08月20日 15:46
  • 古田 宙

    「はとや」さんは秋田から引っ越してこられたと記憶してます。長女?の方と落中で一緒でした。当時は開校間もないころで、生徒の多く(下級生)は落四の北側校舎を使って授業を受けておりました。
    現在の校舎は20年前に落成したそうですが、あまりの変わりように驚き、同時に初期の面影が失われて寂しさも覚えたものです。
    2013年05月09日 07:37
  • ChinchikoPapa

    古田さん、コメントをありがとうございます。
    「はとや」のおばさんは、秋田のご出身でしたか。上記のように、ruiruiさんは息子さんと同級生でいらしたようです。
    わたしも、いまの校舎が落成したとき、あまりの変わりようにビックリしました。落四小との間の道路際まで、コンクリートの校舎を建てたせいでしょうか、打ちこまれた杭で地下水脈が流れを変えたものか、御留山の泉の湧水量が激減してしまった・・・と、当時、公園を管理する住民の方々が嘆いてらしたのを憶えています。
    2013年05月09日 10:14

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Excerpt: 美術史の分野では「学芸員の父」とも呼ばれる森田亀之助Click!だが、下落合が気に入っていたのか、ずいぶん早くから同地に住んでいる。(城)下町Click!は京橋生まれの森田は、戦時中も疎開せずに下落合..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2011-05-17 00:14