ねえ、ばあや、捕まえて!

 「まったく、なんであたしがこの歳になって、お嬢様のお部屋掃除なんてえことを、いまさらしなきゃなんないんだい」
 「ばあや、お掃除まだぁ~?」
 「はいはい、もうすぐでございますよ、お嬢様!」
 「早くすませて、ばあやも下で、お紅茶を召し上がれ~。お祖母様も、お待ちよ~」
 「はい、ただいま、あと少し!・・・で、ございますよ! 大奥様にも、よしなに」
 「夕方、大切なお客様がおみえになるので、急いでくださいな~」
 「はいはい!」
 「お返事はひとつです」
 「はい! ・・・・・・なんで新入りの女中じゃなくて、長年仕えてきたあたしが、こんなご用をしなきゃならないのさ、まったく」
 「なにかお言い~?」
 「いえ、なんでもございませんですよ! ・・・・・・いつかの、三越うな丼Click!の一件がばれっちまって、こりゃ仕返しのつもりなのかしらねえ。食いもんの恨みはって、昔っからいうからさぁ」
 「は~い?」
 「いえいえ、なんでも! ・・・・・・大切なお客様って、いつぞやの見合い相手じゃないのさ。こういうキツイ性格を直されなきゃ、もらい手だってありゃしませんのさ」
 「あら、なんのもらい手がないのかしら?」
 「・・・お、おお、お嬢様! い、いつのまにお二階へ!?」
 「いま、お祖母様から、階段で大声を出すなどはしたないって、あちらでたしなめられてしまいました。あら、ばあや、耳が遠くおなり?」
 「い、いいえ、よく聞こえておりますですよ、お嬢様」
 「なにか、ぶつぶつお言いなのが気になって、上がってきたのです」
 「い、いえねえ、うちの孫娘がですね、・・・ね、猫のもらい手を、探してるんでございますよ」
 「まあ、わたくし、猫大好きなのです!」
 「あら~、じゃあお嬢様、もらってやってくださいまし」
 「ペルシャかしら、それともシャム?」
 「・・・そこらの目ヤニたらした、大川端の魚河岸くさい、トラや三毛の類でございますよう」
 「・・・まあ」
 「はい、お待たせいたしました、お掃除はこの鏡台で終わりでございます」
 「ねえねえ、ばあや、ちょっとご覧!」
 「なんでございますか?」
 「窓の外、塀の上を黒い猫が通ったわ」
 「あれまあ、ほんとうだ。カラス猫でございますね」
 「まあ、前足が片方ないわ。おかわいそうなこと、南方から復員してきた傷痍猫かしら?」
 「・・・な、なんで猫が、出征するんでございます?」
 「赤紙が、来たかもしれなくてよ。“のらくろ”にだって来たのだもの」
 「・・・そりゃ終戦の年は、いっくら日本じゅうのお尻に火がついてたからって、猫に召集令状を配達しっちまうようじゃあ、もう神州ニッポンもとっくにお仕舞いでございますよ。八猫一宇なんてえ、まさかそんなお話は、ついぞ聞いたことがありませんです、お嬢様」

 「ねえ、ばあや、捕まえて! かわいそうだから、あの猫にエサを上げましょう」
 「でも、お嬢様、ちゃんと首輪をしてますから、きっとお隣りの吉良様か、お向かいのお屋敷で飼われれてる猫でございますよう」
 「いいえ、なんとなくひもじそうだわ。ばあや、追いかけて捕まえてきて、早く!」
 「な、なんで、あたくしが、あんな野良公を・・・」
 「ばあや、早く! もう、どこかへ行ってしまうわ!」
 「女中のシゲかトシにでも、お言いつけになれば・・・」
 「メイドのシゲは、お母様と徳川様へご挨拶まわりです。トシはお買い物だわ」
 「では、マサ子にでも・・・」
 「マサ子とハナは、お父様と温室よ。さあ、早く!」
 「では、書生の尾崎に・・・」
 「尾崎と内田は学校。ばあや、ねえ、早く!」
 「・・・はいはい、わかりましたよ、お嬢様」
 「お返事はひとつです」
 「はい、ヨッコラショ、いまお庭にまわりますので・・・」
 「わたくしは、さっそくエサの用意をしておきます」
 「ですけどねえ、お嬢様、先様は猫のことですから、すぐにどっかへもぐりこんで・・・」
 「早く、ばあや! まあ、塀の向こう側へ下りたわ。相馬子爵様のお屋敷跡は広いけれど、きっと捕まえてきておくれ」
 「お、お嬢様、そそ、そんな、あたくしには無茶苦茶な・・・」
 「あら、今度は吉良様のお屋敷へ入ったわ。彫刻家の吉良様は気難しいお方だから、アトリエの縁の下へ入りこむとやっかいそうね。まあ、また相馬様のお屋敷跡を駆けまわっています」
 「そそ、そんな殺生な・・・」
 「猫ちゃんのエサは、なにがいいかしらねえ・・・」
 「お、お嬢様、あの猫、相馬様のお屋敷の柿の木に、登っちまいましてす」
 「昔は下町で、木登り上手のおきゃん(侠)娘って、ばあやは、呼ばれていたのですよね?」
 「でで、ですけど、それはずいぶん昔の・・・。あっ、あのカラス猫め、柿の木の下でタヌキとケンカをおっぱじめやがって!・・・ますですよ」
 「ばあや、きょうはお客様がみえるから、くれぐれもお口のきき方には注意しておくれ。捕まえたら、すぐにお勝手口へ連れてきてね」
 「でで、ですけど、お待ちください、お嬢様・・・」
 「さあ、エサは何にいたしましょう。そうだわ、大和田へうな丼でも注文しようかしら」
 「・・・う、うう、うな、うな」

この記事へのコメント

  • かあちゃん

    片足の無い黒猫、初めて見ました。飼い猫の様ですが、事故にでも遭ったのでしょうか?ところで、papaさんのお宅すごい豪邸ですね~~、エヘヘ(^▽^;)
    私、うなぎを見るとうなされます、う、うう、うな、うな、、、
    2005年09月30日 00:09
  • ChinchikoPapa

    たぶん、交通事故じゃないかと思います。傷跡もちゃんと処置してあり。毛並みがよく少し太り気味ですから、きっと大事にされている飼い猫なんでしょう。
    ところで、写真の屋敷は「お嬢様」のお屋敷で、わたしの家ではありません。(笑) どうやら、会話の様子からすると、おとめ山公園(旧・相馬子爵邸)の近くのようですね。(^^;
    ところで、ばあやは当分、うなぎでうなされそうですが、かあちゃんさんはなぜ「う」がトラウマに? 骨でも喉に刺さりましたか? わたしは、子どものころ「う」の骨が刺さり、一度ひどい目にあっています。でも、大好きなんですが。(^^
    2005年09月30日 00:43
  • akamaru

    ばあやは体がつらいです
    2005年09月30日 01:44
  • ChinchikoPapa

    あかまるさん、nice!をありがとうございました。ばあやは、しっかり仕返しされてますね。
    さて、1950年(昭和25)前後らしい、下落合の「お嬢様とばあやの物語」は、どうなっていくのやら・・・。
    2005年09月30日 11:44
  • かあちゃん

    私の「う」はpapaさんのグレープフルーツのようなものです(笑)
    一目会ったその日から・・じゃないですけど、ちゃんとしたお店で食べたのですがどうもあの匂いと食感が苦手なのです。多分食べ物の中で一番だめですね。川魚やあなごなんかもう、ううう、、、でございます。
    2005年09月30日 18:09
  • ChinchikoPapa

    あっ、それはタイヘンです、かあちゃんさん。(笑)
    匂いばかりか、絶対に近寄らないほうが安全ですね。
    うなぎに近寄って、頭痛でもし始めたら、1日気分がすぐれません。
    なにかウィークポイントとなるような身体に合わない食べ物が、どな
    たにでもひとつはあるようで・・・。(^^;
    2005年09月30日 19:19
  • jester

    はじめまして。
    可愛い猫ちゃんにつられて、TBさせていただきました。
    TRBしていただいてありがとうございます。

    また面白いお話聞かせてくださいね。
    2005年10月05日 22:27
  • ChinchikoPapa

    jesterさん、わざわざお越しいただき、ご丁寧にありがとうございます。こちらこそ、TBをありがとうございました。
    いろいろなメディアの面白いお話がいっぱいで、楽しく拝見させていただきます。
    2005年10月05日 23:34
  • ChinchikoPapa

    以前の記事にまで、nice!をありがとうございます。>kurakichiさん
    2010年08月22日 12:45
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>suzuran6さん
    2012年11月19日 14:16

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きょうの猫村さん 1
Excerpt: 昨日お友達の I さんにお借りした漫画なんですが!! 「きょうの猫村さん」、はまってしまいました。{/hiyo_en2/} 昨日は寝る前にぱらぱら読むつもりが、最後まで一気読み。 ぷは〜〜!癒され..
Weblog: ゆきてかえりしひび——in the JUNeK-yard——
Tracked: 2005-10-05 09:38

お嬢様、そのお話だけは口が裂けても・・・。
Excerpt:  「久しぶりのお芝居で、すっかり遅くなっちまった。やっぱり、猿之助の安兵衛はピカイチだわよねえ。・・・さ~てと、もうお嬢様は、とっくのとうに寝ちまったかしら? 起きてちゃ、またなんのご用を言いつけら..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2005-11-25 00:32

お嬢様は少し、はしたのうございますよ。
Excerpt:  「まあ、ばあや、ご覧!」 「おやまあ、こっからの眺めだけは、戦争前とあんまし変わりませんですねえ」 「不忍池はいまでも、蓮のお花がたくさん咲くのでしょうねえ。まあ、岩崎様のお宅が見えます」 「ここ..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2006-01-05 01:05

お嬢様、みくびらないでくださいまし。
Excerpt:  「まあ、ばあや、ご覧!」 「ハァ、ハァハァ・・・」 「中村彝(つね)様のアトリエClick!の屋根に、黒猫がいてよ」 「・・・ハァハァ、ヒィ~ヒィ~」 「まあ、ばあや、お髪(ぐし)が乱れて、腰まで..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2006-05-05 00:06