空襲下、非国民たちのダンスパーティが始まった。

 大正期に目白文化村Click!が開発されると、目白通りをはさんだ反対側の池袋や長崎に、芸術家の卵たちが集まってアトリエ村が形成されていった。要町1丁目には「すずめが丘パルテノン(宮殿)」、長崎にはもっとも有名で規模が大きい「さくらが丘パルテノン」、そして千早町には「つつじが丘パルテノン」が形成され、昭和初期にはこれらのアトリエ村が拡がる周辺は、「池袋モンパルナス(パリ南西部の芸術家村)」と呼ばれていた。
 下落合や目白文化村界隈にも大勢の画家や彫刻家は住んでいたが、純粋に画家や彫刻家、さらには詩人たちのみが集まって形成された住宅地は、現在の西武池袋線以北のアトリエ村が初めてだった。昭和初期の池袋から椎名町(長崎)あたりにかけては、ハイカラで明るい郊外の新開地といった趣きで、立教ボーイやモダンガール、新興キネマの俳優たちがカフェでコーヒーをすすり、ビリヤードや音楽演奏に興じ、そこここで芸術論を闘わせる光景が見られて、東京の若々しい芸術家たちの「モンパルナス」を形成していた。これには、関東大震災による都心部の物価上昇や、家賃の高騰が大きく影響していると思われる。それまでは、上野や田端が「芸術家村」として有名だったが、貧乏な芸術家の卵たちには住みにくかった。近郊で物価も家賃も安い、あらかじめアトリエ仕様の住宅街は、彼らのニーズにピタリとはまったのだ。また、南に隣り合わせた下落合・目白界隈には、彼らが目標とする佐伯祐三、大久保作次郎、牧野虎雄、中村彝、鶴田吾郎(のちに要町へ転居)、熊谷守一などのアトリエがあったのも、彼らを惹きつける要因のひとつだったろう。
 

 1936年(昭和11)から3年をかけて、アトリエ村の中でももっとも規模が大きく、設備も整っていた長崎アトリエ村(さくらが丘パルテノン)がいまの長崎2丁目あたりに完成すると、たちまち池袋モンパルナスのシンボル的な存在になった。「さくらが丘」という名前は、アトリエ1軒に1本、桜の木を植えたことに由来しているが、地勢は丘ではなく低湿地だった。地元の資産家が建設した、アトリエ兼住宅は70軒前後。(一説には75軒) 当時、周辺にあったアトリエ村のおよそ60%強が、さくらが丘パルテノンに集中したことになる。赤い瓦の天窓つき屋根に緑の板壁、15~20畳のアトリエに対して寝室が3~4.5畳という独特の設計は、モダンな外見とあいまってすぐに入居希望者が殺到した。以降、同様のデザイン住宅を建てることが、池袋から椎名町にかけて大流行することになる。
 しかし、1940年(昭和15)前後から、長崎アトリエ村を中心とする池袋モンパルナスは、当局の厳しい弾圧にさらされることになる。「非常時」に自由で好きなテーマの絵を描く彼らは「非国民」と名指しされて、次々と検挙・拘束、あるいは戦場や軍需工場へと強制的に送りこまれていった。
  
 桜が丘パルテノン村、人呼んでアトリエ村、非国民部落だった。この非国民たちは、ほとんど電車にも乗らず、ヒヤメシゾーリや下駄バキの音を立てて、池袋までの道をせっせと往復したものだ。立教大学の赤レンガの教会と古い大きいプラタナスのある一画にさしかかると、もうすぐ池袋駅だ。なぜか大学のハイカラな空間が快くてわけもなく校内にまぎれ込むときもあった。大学だけが、この道の唯一の強いアクセントで、歩く人を退屈させなかった。(『細長いスネを持つ優しい男たちの中で』長沢節より)
  
 空襲のまっ最中にも、長崎アトリエ村ではモデルの女性たちを集めてパーティが開かれ、蓄音機をかけてダンスパーティが催されていたのは有名な話だ。そのうち、ギターやウクレレを持ちこんで、生バンドによる夜明かしダンスパーティが開催されるようになる。当局から抑圧され、世間からは徹底して白い目で見られながら、「爆撃の最中でもゆうゆうとダンスパーティをやっていたのは東京広しといえどもたぶんここくらいだったと思う」と、長沢節は回想している。「非国民」と呼ばれつづけた、芸術家たちの面目躍如といったところだ。戦争も末期になると、特高や憲兵隊もダンスパーティをつづける「非国民」を検挙する余裕さえなくなっていた。

 皮肉にも「非国民部落」は、1945年(昭和20)4月13日つづいて5月25日の山手空襲でも焼け残り、焼土となった池袋を目前に長崎アトリエ村Click!は健在だった。戦後も住宅は使われつづけたが、木造家屋の老朽化が進み、1960年代にそのほとんどが壊されて建てかえられている。現在は、その面影を探すことさえむずかしい。

■写真上:さくらが丘パルテノンの「第3パルテノン」共同水道あたりから、東の方角を望む。現在は近くの公園(第2パルテノン跡)に、豊島区の記念プレートが残っているだけで、ほとんど当時の面影は見られない。
■写真中は、池袋にある豊島区郷土資料館に再現された長崎アトリエ村。は『サン写真新聞』(毎日新聞社)に掲載された、1953年(昭和28)のさくらが丘パルテノンの「第2パルテノン」。
■写真下:1944年(昭和19)の空中写真に見える、多くの画家たちが参集しもっとも充実していたころの長崎アトリエ村(さくらが丘パルテノン)。

この記事へのコメント

  • drt土田

    自称「昭和レトロファン」です。
    こんな昔に今に通ずる洋風モダンな暮らしをしていた人々が
    居たなんて、それを知っただけでも驚きです。
    もっと広く知られるといいと思います。
    2007年06月29日 10:11
  • ChinchikoPapa

    毎年、春になりますと「池袋モンパルナス」というイベントが、池袋や立教大学、各アトリエ村の周辺で広く開催されています。「まちかど回遊美術館」と名づけて、あちこちで美術を鑑賞したり、周囲を散策したりと、いろいろ盛りだくさんな企画が目白押しです。以前、こちらでもご紹介しました。
    http://blog.so-net.ne.jp/chinchiko/2006-01-16

    以下のサイトは今年行われました、立教大学サイトのガイドページです。よろしければ、一度3月におでかけください。
    http://rikkyo.daigaku.co.jp/tn/topics.php?id=1098
    2007年06月29日 16:38
  • drt土田

    情報ありがとうございました♪ぜひ次回は出かけてみたいと思います。
    とくに美術ファンとか言うわけではないですが、現在の街並みだけを
    みていると単なる住宅密集地なのに、こんな近代歴史ロマンが眠って
    いる事実を知るだけでも感動してしまいます。

    しばらくこの街の魅力にやられてしまいそうです。
    2007年06月30日 23:47
  • ChinchikoPapa

    はい、ぜひお出かけください。
    池袋モンパルナスをご覧になりましたら、ついでにそのお隣りの目白・下落合界隈へも、ぜひどうぞ。(^^ 終ってしまったばかりですが、「目白バ・ロック音楽祭」が毎年5~6月に開かれたり、さまざまな散策イベントや講演会なども行われています。また、明治から昭和初期に建てられた、下落合界隈に残る近代建築の作品群を見てまわるのも楽しいかと思います。
    2007年07月01日 00:20
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2009年06月27日 20:24
  • pinkich

    東長崎の桜ヶ丘パンテノン周辺にも様々な人間模様があり面白いですね。東長崎にアトリエ村の記念室のようなものがあったようですが、現在では閉館しているようですね。近くの図書館などで資料を引き継いでいるとよいのですが。
    2016年07月03日 12:14
  • ChinchikoPapa

    pinkichさん、こちらにもコメントをありがとうございます。
    「長崎アトリエ村資料室」は、千早町の旧・平和小学校の校舎内にありましたが、現在建物を建て替え中で休館しています。豊島区の複合型地域センターの建設は、入札不調で東京オリンピックが終わった2020年以降になりそうですね。
    http://shiinamachi.com/atelier-dataroom/index.html
    そこに保存されていた資料類は、すべて他の場所に保管されていると聞きましたので、再オープン時には元にもどされると思います。
    2016年07月03日 22:45

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