隠居したあとは気ままに、つれづれ思いのままに江戸東京のことを書きつづけた。それから12年、濹東へ落ち着いたほんとうのご隠居のように、杉浦日向子は7月22日(金)、スッと消えるように逝ってしまった。
京橋の呉服屋に生まれ、短い46年の生涯のうち、彼女の残した作品は決して多いとはいえない。多くはないが、中身がとても濃い。いや、濃いというよりも、表現が的確でピタりと言い当てて絶妙だから、短い文章からもたっぷりと思う存分に、江戸東京の情緒を味わうことができる。しかも、「荒事」「和事」を問わず絵や語り口が見事で、とても心豊かで素敵な娘時代を過ごしたのではないか・・・と、わたしはひそかに想像していた。
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江戸の娘とは性(しょう)が合う。合うといっても、相手方の意見を聞いた訳じゃないから、正確には、江戸の娘の性が好きだ、というべきだろう。
見る間にコロコロと表情が変わる。こちらが怪訝な顔付きをすれば、向うも眉をひそめる。こちらが声を掛けると、ハイと振り向いた時には微笑んでいる。他人から悲しい噂を聞けば、たちまち瞳をうるませ、からかわれれば両頬をぷうっとふくらませる。マア、その目まぐるしいこと、まるで小鳥である。
江戸の女の全てがソウではないが、とにかく、感情が豊かだ。ある人は、それを「子供っぽい」という。けれど、子供のあどけなさとは、どこか違う。もっと、したたかだし、いざとなれば、男が顔色を失う位に大胆である。直情的かといえば、ひどく婉曲的な表現を好む。ウブではない清純ではない、けれどすれっからしでもなく不良でもない。
娘の日のとりとめのなさを、私達は十代後半で忘れてしまうけれど、江戸の女は妻となり母となり老いて尚、忘れないように見える。(「両国薬研堀」より)
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江戸東京の女性を、これほどストンと腑に落ちるよう的確に表現した文章を、わたしは明治以降のあまた排出している地元作家の中で、まずはほとんど知らない。35歳で隠居したとはいえ、あとたっぷり40年ほどは生きて、書きつづけてほしい女(ひと)だったのだ。
ちょっと・・・というか、ひどくめげてしまったので、「怪談」シリーズはこれでお仕舞い。代わりに、杉浦日向子の怪談集『百物語』(1993年/新潮社)でも、お読みいただければと思う。
■図絵:左上は「文化三年六月一日・両国薬研堀」、右上は「弘化元年十一月二十三日・柳橋」、左下は「文化十三年五月二十四日・門前仲町」、右下は「文化十四年八月十六日・聖天町」、いずれも『江戸アルキ帖』(1988年/新潮社)より。
この記事へのコメント
mine
本当に、深く濃くという感じですね。
素敵な女性でした。
hedawhig
隠居した時の新聞の切抜きを暫く持っていました。
その中で、早く本隠居の身分になりたいと~語っていました?
半隠居~から 本隠居になって・・・ ~ こういうことだったのですね。
ChinchikoPapa
一昨夜は、夕刊を見て愕然としてしまいました。これからが、本当にあぶらの乗った作品が目白押しに出てくるぞ・・・と、期待していただけにがっかりです。長谷川時雨からこっち、ひさびさに登場した日本橋・京橋あたりの書き手でしたのに・・・。
ChinchikoPapa
大川をはさんで、西の日本橋側には杉浦日向子がいて書き、東の本所・深川側には宮部みゆきがいて書いている・・・という、もう願ってもない状況がつづいていただけにガックリとしてしまいました。
hedawhigさんがおっしゃってた、「下町のことは、書く人がたくさんいるわよ」というのに対し「確かにそうですね」・・・と、真っ先に思い浮かんだのが杉浦日向子だったんですね。
ikeblog
ChinchikoPapa