柳橋物語。(3)

 柳橋界隈は明治のあと、新しい演劇運動である「新派」の芝居にはゴマンと登場してくるが、歌舞伎にも頻繁に取り上げられた町だ。『柳橋新誌』(成島柳北)にもあるように、江戸東京でもっとも粋で通な華町だったわけだから、江戸の遊びや小股の切れあがった江戸芸者を描くとなると必然、そのまま柳橋を描くことになってしまう。
 そもそも「柳橋」という町名は、柳橋が架けられたことに起因するが、それ以前は柳原あるいは柳原土手と呼ばれていた。当時の切絵図でも、それらの地名を確認することができる。いまでこそ、ほんの申しわけ程度に柳の街路樹が、柳橋から両国橋あたりにかけてポツンポツンと植えられているが、当時の神田川沿岸は、和泉橋端の柳森稲荷(柳森富士)が示すように、うっそうとした柳森が茂っていたのかもしれない。柳原という地名はつい最近まで残っていて、東京でも有数の古着屋街として有名だった。
 江戸時代は、遊女ばかりでなく、公然と芸者が活動できるのも浅草田圃(たんぼ)の「(新)吉原」のみと限られていたので、柳橋芸者は幕府からいろいろな制約を受けていた。建前としては芸者と呼ばれず、幕府が禁止した非公認の芸者なので「酌女」と表現されていた。これは柳橋に限らず、日本橋でも辰巳(深川)でも同様だった。身なりも、大柄な裾模様や贅沢な裏地を禁止され、白襟や平打ち笄(こうがい)もご法度。この禁を犯すと、「察当(さっと)」を喰らわせられる、つまり吉原側から公儀に訴えられて罰せられることになる。要するに、吉原芸者のような派手で目立つ格好はするな・・・ということなのだが、逆に幕府のこの規制が、豪華絢爛でけばけばしい吉原とはまったく異なり、しぶくて粋で、独特な江戸華町文化を発展させる要因にもなったのだ。
 さて柳橋は、三世・河竹新七による『江戸育於祭佐七』(えどそだちおまつりさしち/通称「お祭り佐七」)のヒロイン、芸者(酌女)の小糸がいた町としても有名だ。いまにつづく、三大当たり狂言のひとつ。背景には、神田の町火消し(鳶職)と加賀鳶(加賀藩前田家お抱えの鳶=大名火消し)とが、神田八辻ヶ原(神田須田町から秋葉原駅あたり)で大喧嘩をした実話にもとづいているといわれる。倉田伴平という武家から、しつこい「よいではないか」攻撃を受けていた小糸が茶屋を飛び出し、通りかかった佐七に救われるところから物語は展開していく。
 この芝居も二転三転して、ストーリーが複雑で書き出すとキリがない。でも、最近の舞台はテンポをよくするためか省略につぐ省略で、登場人物たちの性格描写も大きく略されてしまうせいか、しまいには「こいつらの性格、わかんねえ。いってえ何考えてんだよう!」状態になってしまう。結局、おっちょこちょいで早合点の佐七は、小糸を殺すことになってしまい、めでたしめでたしにはならないのだが、あらかじめ原作の筋を知っていないと、ちょっとつらくて楽しめない芝居のひとつになってしまった。
 

 江戸期における柳橋芸者の玉代は、銀1分と伝えられている。当時は1両あれば、親子4人が楽に1ヶ月暮らせたというから、少なくとも柳橋芸者を呼ぶには1週間強の生活費が必要だったことになる。しかも、茶屋代や酒・料理代は別にしてだ。また、祝儀には銀2分(半両)が相場だったというから、なんやかやと両単位のおカネを持ち合わせていないと、柳橋ではゆったりと遊べなかったことになる。ましてや、屋形で遊ぶとなったら心づけはさらにハネ上がる。
 はて、千代田小学校(現・日本橋中学校)のクラスメートだった柳橋芸者の引退式に、親父は祝儀として何両包んだものか・・・。美味しい料理を食べ(酒は飲めない下戸だから)、芸者衆の舞踊を観て喉を聴いて、いまの感覚だと20万円ぐらいは包んだのかもしれない。悲しいかな、わたしは子供だったせいか、そのときの料理の味をまったく憶えていない。きっと、料亭の威信をかけた入念の品々で、すばらしく美味(うま)かったにちがいないのだが・・・。

■写真上:柳橋下に係留されている小松屋の屋形「第八小松丸」。将軍家の御座舟を模して再現されているが、もちろん機関はモーターでエアコンも完備された最先端の装備を誇る。
■写真下は、昭和20年代の神田川河口。柳橋のたもとに舟宿「小松屋」が見える。は、十五代目・市村右左衛門の「お祭佐七」ブロマイド。(戦前) 背後に書割の見えない役者だけのブロマイドは、なんとなく異様に感じてしまう。

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