「江戸前」と「下町」と「山手」。

 「下町」というのが、せっかちな江戸っ子らしく「御城下町」を略したものであることは、あまり知られていない。現在は、おもに東京の西北部、山手線の内外周辺に展開する武蔵野の丘陵地帯、おもに明治~大正期に開かれて華族やおカネ持ちの邸宅が並んだ「新山手」に対する、反対語のようにつかわれてしまっているが、もともとは御城下(千代田城下)の町・・・という意味だった。つまり、武家が多く住んだ現在の山手線内「旧山手」の町も、実は当初「下町」だったことになる。
 大坂(阪)から江戸へ出てきた戯作者の西沢一鳳という人は、江戸で話される地名の規定に興味をもったらしく、「江戸前」という地域の規定を、「大川より西手、御城より東手」としている。(『皇都午睡』) だが、それを受けた三田村鳶魚は、「知れなかったから穿鑿して了解したのであらう。(中略) 明白に請取れる解説でない」と一蹴している。
  ●
 江戸前は即ち下町のことである。同じ地域を江戸前とも下町ともいふのだが、この二様の称呼は対語として発生した。この御城下町を下町といふのである。その御城下町は後来江戸市街の膨張のために、品川から板橋まで軒続きになつては、なかなか見渡しただけでは見別けられない。(中略)本所深川も享保から江戸町奉行の支配になつてゐる。江戸前や江戸向といふ言葉が自然地理にも行政地理にも使用されなくなつて、その意義が段々知れなくなつたのに、別な意義から江戸前が権威ある言葉になつて来た。それは何故だろう、他でもない、鰻からである。
  
 ・・・と、「江戸前」と「う」は直結してしまうことになるのだが、「江戸前」の規定はともかく(先日の水産庁の「江戸前」規定は、ずっと新しい大正期以降のものだ)、「下町」とは御城下町、尊称をつけなければ城下町がちぢまったものという伝承が、幕末~明治期まで存在していたのがわかる。でも、江戸の後期からは、「下町」に対する反対語としての「山手」(やまのて=丘陵地帯の武家屋敷街)という表現も、併せてつかわれているのが寛政前後の文献にみえている。

 ちぢめた言葉がひとり歩きしてしまうこの現象は、江戸時代を通じて随所に見える。たとえば「水道」。ふつう江戸東京では「すいど」と発音する。土地っ子が「水道橋」を読むときは、「すいどばし」だ。「江戸っ子は すいどの水で 産湯つかい」と川柳にも詠まれていたのだが、江戸後期には「す」さえも省かれて「いど」と呼ばれることが多く、市中の暗渠となった水道管に通じる竪穴を、地下水をくみ上げる「いど=井戸」と混同して書かれてしまうことも多かった。江戸期の町場に、飲料水としての井戸は基本的に存在していない。例外的に深く掘られた、白木屋の井戸がしょっぱくなく真水だったからこそ、評判を呼んだのだ。水道と書いて「いど」と読ませるのが正解だろう。
 また、山手も「やまのて」が縮まって、単に「のて」と省略して呼ばれるようになった。明治から大正にかけては、「之手」あるいは「乃手」などと書かれた本もあるので、東京の省略言葉を知らないと、いったいなにが書かれているのか意味がわからないことになる。年寄りには、いまでも山手のことを「のて」という人がけっこう残っている。同様に、朱引き・墨引きの拡大とともに拡がった、江戸後期の市街は「大江戸」と呼ばれるようになるが、ちぢめて「おえど」と発音する。これも言葉がひとり歩きして、いつの間にかおかしな敬称つきの「御江戸」となってしまった。墨引きの内、染井に発した植木・鉢植え文化が花開いた、江戸後期=大江戸の街辻を「花の御江戸」としたんじゃ、話がおよそ通じにくかろうに・・・。
 行政区が35区の大編成になった昭和初期、東京は大江戸にならって「大東京」と呼ばれることが多くなった。戦前の地誌本や観光案内、地図などもみんなそろって「大東京」と銘打っている。 でも、「おとうきょう」とも「だとうきょう」ともちぢめられず、「だいとうきょう」と呼ばれていたのは面白い。案のじょう、ちぢめて読めないまだるっかしい言葉は定着せず、いまや「だいとうきょう」なんて呼ぶ人はほとんどいなくなってしまった。

そういえば、「銘打っている」という刀剣用語Click!も現役でつかわれていましたっけ。
■写真:現在の「山手」と「下町」の街角イメージ。は昭和初期に流行ったスパニッシュ(麻布山)、はおそらく震災後大正期の表店=商家(築地)。

この記事へのコメント

  • りえ

    大東京の 花園に
    光を浴びて 今開く
    ああ麗しき 学び舎は
    京(みやこ)の華よ 我が京華(きょうか)
    ------------------------------
    京華小学校の校歌の1番でした。
    昭和初期に作ったのかしら?
    ついでに運動会の歌も覚えているので・・・。
    ------------------------------
    勝どき高く 翻る
    京の華の 旗の下
    若い力に 奮い立ち
    いざ戦わん 力の限り
    京華 京華 おお京華の健児
    2005年09月29日 17:05
  • ChinchikoPapa

    なんとなく戦前っぽい歌詞ですね。・・・と調べてみましたら、校歌のほうは戦後、1950年(昭和25)の作詞作曲でした。作詞・朝倉徹、作曲・宮嶋市郎で、3番が象徴的ですね。
    -----
    3.はてなき空のかなたより 平和の鐘は 今ひびく
     ああ 夢多き 学び舎は 都の花よ わが京華
    -----
    応援歌のほうは、わかりませんでした。「♪紀元は2600年~」と唄われた、1940年(昭和15)に、「♪見よ東海の空明けて~」の『愛国行進曲』が作られますけれど、このメロディーにのせて実にたくさんの「応援歌」が作られたようです。
    実は、わたしの高校の応援歌メロディーが、もろパクリでした。昭和15年は、東京万博が予定されていて「勝どき」ブームもありましたので、そんなメロディーではありませんでした?
    2005年09月29日 18:48
  • りえ

    そうでした。3番で戦後ってわかりますね。父やおじ・おばは違う校歌だったのか・・・。
    「愛国行進曲」の旋律をよく知らないのですが、たぶん違うと思います。
    応援歌は戦前ぽくない旋律/リズムですから。校歌とセットで同じコンビ作かも。
    校門(=玄関)入ったところに掲示があるかもしれません。
    しかし狭い学校だった。それでも校庭=中庭で運動会もやりました。
    プールは勤労福祉会館(もう無いんだっけ)あたりにあったような記憶。水着に着替えてから横断歩道を渡ってプールに行きました。
    「大東京」といえば、「東京音頭」じゃなくて「大東京音頭」というのがあります。
    これは結構新しいのでは? 私は子どもの頃は知りませんでした。
    2005年09月30日 00:38
  • ChinchikoPapa

    『愛国行進曲』なんて、知らなくて当然です。でも、80年代に大学出たわたしが、なんで唄えるんだろう。(><;☆\ 親が口ずさんでいたんですね、きっと。
    今度、八丁堀に出かけたら、校舎の中を探検してきます。いろいろ、昔の面影や記念物が見つかるかもしれません。
    わたし、『大東京音頭』というの知りません。いつごろの歌なのでしょう?
    ♪踊~り踊るな~ら 大と~きょう音頭~ ヨイヨイ
    ・・・じゃないですよね。(笑)
    2005年09月30日 00:53
  • りえ

    サビは「東京 東京 大東京~♪」です。
    どーどー らーどらそみ そーどらそみーそー
    ここしかわかりません。
    結婚してから団地の盆踊りで知りました。
    2005年09月30日 01:39
  • ChinchikoPapa

    やっぱり、わたしは聴いたことなさそうです。
    「盆踊り」へ参加したことのないわたしは、『東京音頭』の
    歌詞も怪しいですね。メロディーは、風に乗って聴こえてくる
    音で憶えてしまいますが・・・。
    2005年09月30日 11:40
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2009年05月14日 10:46
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>suzuran6さん
    2012年11月19日 11:00
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
    2017年11月27日 14:11

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Excerpt: 東京の下町では、空襲Click!が予想される1944年(昭和19)になると、「建物疎開」ということが盛んに言われだし、事実、数多くの住宅や事務所が防火を理由に破壊された。実家のあった東日本橋Click..
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江戸東京で物語が最多の両国橋。
Excerpt: 親父が仕事の関係で神奈川に住みながらも、最優先で取り組んでいた東京の“運動”のひとつに、大川(隅田川)の大橋(両国橋)花火大会復活のテーマがあった。無知で傲慢な明治政府の手で、神田明神から外された将門..
Weblog: Chinchiko Papalog
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Excerpt: 怪談には少し季節外れだけれど、この夏、下のオスガキがクラスメートたちといっしょに肝だめしをやった。午後9時ごろに集合して、心霊スポットツアーを10人ぐらいで開催したらしい。11時までに帰ってこいよ・・..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2008-11-12 00:00

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Weblog: Chinchiko Papalog
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Weblog: Chinchiko Papalog
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Weblog: Chinchiko Papalog
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Tracked: 2011-03-09 00:01

射撃場の廃止移転への上落合連判書。(下)
Excerpt: 落合町の署名者を、少し詳しく見ていこう。まず、署名筆頭に記されている加藤公太郎(上落合524番地)は、地元旧家の出であり衆議院への「請願書」Click!当時は、上落合の町会役員および月見岡八幡社の氏子..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2011-04-08 00:05

下落合がずいぶん長い森田亀之助。
Excerpt: 美術史の分野では「学芸員の父」とも呼ばれる森田亀之助Click!だが、下落合が気に入っていたのか、ずいぶん早くから同地に住んでいる。(城)下町Click!は京橋生まれの森田は、戦時中も疎開せずに下落合..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2011-05-17 00:14

400万人のビジターのみなさんありがとう。
Excerpt: サイトへのアクセス数が、少し前に400万人を超えた。毎日の仕事に追われ、このところ取材時間や資料の下調べの時間が不足していて、不満足な記事しか書けておらず、とてももどかしくて恥ずかしいのだけれど、目白..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2011-06-28 00:07

国際聖母病院の創立物語。
Excerpt: 国際聖母病院Click!の建設計画は、あるひとりの女性の死によって始動している。フランスへ滞在していた医学博士・戸塚文郷(のち聖母病院の初代院長)が、フランシスコ会の会員だったローズという女性の死に際..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2011-07-05 14:46

「大神X」のオオカミちがいにがっかり。
Excerpt: 幕末に作成された「下落合村絵図」を眺めていたら、西坂を上がって葛ヶ谷(現・西落合)方面へと斜めに抜ける道沿いに「大神X」という記載を見つけて色めき立った。距離や縮尺が曖昧な江戸期の絵図なので、厳密な特..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2011-09-12 14:02

娯楽はなんでもありの演芸場「目白亭」。
Excerpt: 今年から数年先まで、おそらくチェルノブイリのときがそうであったように、食物連鎖などによる本格的な放射性物質の濃縮汚染Click!がはじまると思うのだが、暮れに映画で吉永小百合の顔を観ていたら、彼女が演..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-01-03 00:42

大田南畝の落合めぐる月見散歩コース。
Excerpt: 大田南畝(大田蜀山人Click!)というと、狂歌作者として大江戸の(御城)下町Click!で暮らしていたイメージがあるが、牛込御家人町(現・新宿区中町・南町界隈)で生まれ育った生粋の旧・乃手人だ。当時..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-01-06 00:07

向田邦子の父が歩く正月の下落合。
Excerpt: この前、家の留守番電話に妙なメッセージが録音されていた。電話機は、買ったときの一般的な応答メッセージを使っているので、相手はまちがい電話にまったく気づかず、そのまま用件を吹きこんでしまったのだろう。「..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-01-09 00:12

「草津温泉」と一般銭湯とのちがい。
Excerpt: 旧・下落合(中落合・中井2丁目含む)には、大正期に「草津温泉」Click!という銭湯が存在していた。佐伯祐三Click!も『下落合風景』Click!シリーズの1作Click!に、「草津温泉」の煙突を入..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-02-11 00:02

『新・東京大観』でパスされた落合写真。
Excerpt: 1932年(昭和7)10月1日、東京市が15区から一気に35区編成(いわゆる「大東京」Click!)へと拡大するのを記念し、東京朝日新聞社からグラフ誌『新・東京大観』上・下巻が出版された。この下巻に掲..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-03-03 00:01

墓参りをめぐるいろいろな話。
Excerpt: このサイトへのアクセス数が、のべ500万人を超えた。スタート以来、「足跡づけ」(nice!訪問)はしていないので、みなさま実際に訪問してくださり、記事を読んでいただいているのだろう。 改めて、心からお..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-04-14 00:01

津波被害が透けて見える東京大洪水。
Excerpt: 1910年(明治43)は、東京市民にとっては最悪の年だった。1894年(明治27)の明治東京大地震とともに、のちの1923年(大正12)に起きた関東大震災Click!や、戦争による“人災”としての東京..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-04-29 00:02

雑司ヶ谷鬼子母神と富士見茶屋。
Excerpt: ひとつ、下町の視点から見ると、おかしな表現が山手にはあった。「鬼子母神」のことを「きしもじん」と呼称せず、「きしぼじん」と発音することだ。都バスの停留所や都営地下鉄の駅も「きしぼじん」であり、わたしの..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-06-04 00:00

江戸東京の3大水菓子パフェ店について。
Excerpt: 東京で美味かつ多彩なフルーツパフェを食べさせる店としては、わたしの中では3つの店がイメージされていた。すなわち日本橋の千疋屋、神田の万惣、そして銀座の明治にできた資生堂だ。いずれも下町Click!の店..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-07-25 09:45

下落合に観世の能舞台があった。
Excerpt: 根っからの(城)下町Click!育ちの親父が、なぜ山手趣味の謡(うたい)Click!にはまったのかはよくわからない。習っていたのは観世流で、膨大な謡曲関連の資料や、練習用のLPレコード/テープが部屋に..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-08-27 00:08

上落合で継続された国会議事堂の設計。
Excerpt: 上落合470番地にあった1921年(大正10)築の吉武東里邸Click!は、ハーフティンバーが美しいチューダー様式の西洋館を中心とした、敷地面積330坪におよぶ大きな和洋折衷建築だった。1923年(大..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-08-30 00:04

「線道」をつけてもらえばよかった。
Excerpt: 戦前、(城)下町Click!にはいろいろな習いごとが存在していた。それは、江戸期からエンエンとつづいているものもあれば、明治以降、急に流行り出したものもある。特に音曲の心得に関しては、町場では「線道を..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-09-14 00:00

もう少しで消えそうな「もしもし」。
Excerpt: 電話のあいさつ言葉である「もしもし」が、武家が使用していた(城)下町Click!の旧・山手弁Click!の「申す申す」から転訛したものだ・・・という通説が、ずいぶん以前からもっともらしく語られてきた。..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-11-14 00:04

600万+230万人のみなさん、ありがとう。
Excerpt: 少し前、わたしのブログを訪問してくださった方が、のべ600万人を超えた。地元の落合地域から、あるいはここ江戸東京地方からのみならず、全国各地や遠く海外からアクセスしてくださる方もいる。このブログとは異..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-11-17 00:00

うつろいゆく「武蔵野」の記憶と風景。
Excerpt: 昭和の初期、「東京行進曲」Click!(作詞:西條八十)に「♪かわる新宿あの武蔵野の~ 月もデパートの屋根に出る~」と唄われた、きょうはその「武蔵野」について少し書いてみたい。国木田独歩Click!が..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-01-10 00:01

中井英夫とわたしの西荻感覚のちがい。
Excerpt: 先日、ほとんど初めて西荻窪の街並みを散歩してきた。街全体の印象としては、どこか昔の(1960~70年代の)東京の匂いがただよう住宅街や商店街だったのだが、この感覚はわたしの世代以降のみのもので、親以上..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-01-28 01:45

さようなら、「カフェ杏奴」さん。
Excerpt: わたしが、下落合でパイ専門店「ローリングピン」Click!さんとともに、もっとも多く通った喫茶店「カフェ杏奴」Click!さんが、2月いっぱいで閉店してしまう。開店当初から、13年間も通って情報交換や..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-02-09 00:00

日本橋の“すずめ色”いろいろ。
Excerpt: 日本橋には、昔から“すずめ色”というカラー表現がある。現在、「雀色」というと多くの場合、ややくすんだ褐色の1種類に限定されてしまうのだけれど、この1色限定は古い時代からのものではない可能性がある。また..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-02-12 09:49

萩原稲子が下落合にやってくるまで。
Excerpt: 萩原稲子(旧姓・上田稲子)が、大森のバッケ(崖地=八景)Click!に通う八景坂の途中、首くくり松の木陰で若い画学生の恋人とキスしていたのを、夫である萩原朔太郎に目撃されたのは、1928年(昭和3)ご..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-04-13 00:00

落合第四小学校の学童集団疎開。
Excerpt: このサイトでは、目白通り沿いClick!をはじめ、新宿(淀橋区)各地で行われた建物疎開Click!のテーマは何度か記事にしてきた。また、住民の自主的な地方疎開についても、ときおり別のテーマから取り上げ..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-08-14 00:02

波乱万丈だった聖母坂のパン屋さん。
Excerpt: 1937年(昭和12)ごろ、下落合の聖母坂Click!を上りきったところに、「梅屋」という屋号のパン屋が開店した。経営していたのは、20年におよぶ欧米での海外生活を終えて帰国した、星野新吉とろく(緑)..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-09-04 00:04

街歩きで、ぜひお願したいこと。
Excerpt: 今年の5月から7月初旬ぐらいにかけて、下落合は街歩きがたいへん盛んだったようだ。平日・休日を問わず、あちこちで10~30人ほどで歩く団体を見かけた。数人で歩く人たちを加えたら、その数は膨大な人数となる..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-09-13 00:01

目白の怖い夜。
Excerpt: 三岸節子Click!に連れられ、鷺宮の第一アトリエClick!から西武電鉄Click!で高田馬場駅Click!へと出て、駅前から市電に乗り換え江戸川橋で下りると、暗闇の新目白坂を母子4人で上っていった..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-09-19 00:03

ハツタケと赤ワインは合うだろうか。
Excerpt: ずいぶん前になるが、下落合の御留山に生える、さまざまなキノコの写真Click!(撮影・松尾德三様)をご紹介したことがあった。昔から武蔵野の森に生える、典型的なキノコ類なのだろう。子どものころ、この季節..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-10-07 00:00

秋めく季節の怪談・奇譚。
Excerpt: 今年の夏は、落合地域とその周辺域で語り継がれている怪談話Click!をあまり記事にできなかったので(「怪獣サイ」Click!ぐらいだろうか)、季節はずれではあるけれどいくつかご紹介してみたい。いずれも..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-10-10 00:01

二宮尊徳の貯金箱と三岸好太郎の蝶。
Excerpt: わたしは、子どものころから貯金をしたことがない。ここでいう貯金とは、銀行預金のことではなく貯金箱へコインをためていく“貯金”のことだ。もっとも、ちっとも増えない銀行の預金残高を横目で見ると、そもそも貯..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-10-13 00:01

ルンバもサンバもボサノバもある珈琲。
Excerpt: わたしがコーヒーを飲みはじめたのは、ハッキリと記憶しているわけではないけれど、中学生になってからのことだったと思う。当初は、もちろんインスタントコーヒーで広く普及していた「ネスカフェ」だったのではない..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2013-11-03 00:02

旧乃手で見かける町火消しの事蹟。
Excerpt: 明けまして、おめでとうございます。本年も引きつづき拙「落合道人」ブログを、どうぞよろしくお願い申し上げます。さて、お正月といえば、鮮やかな纏(まとい)さばきにイキな気遣り歌が、町内の羽根つき音にまじっ..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2014-01-02 00:01

江戸東京の匂いがせえへんのや。
Excerpt: たとえば、わたしが大阪で40年暮らし、ひたすら大阪の歴史や文化、言語、風俗習慣を学習して、地域のテーマ本を書いたとする。かなり微にいり細にいり、突きつめて取材し研究し、小さなところまでこだわって調べ表..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2014-01-05 00:08

標語「アメリカ人をぶち殺せ!」の1944年。
Excerpt: 戦前・戦中には、国策標語や国策スローガンが街角にあふれるほどつくられた。そんな標語やスローガンを集めた書籍が、昨年(2013年)の夏に刊行されている。現代書館から出版された里中哲彦『黙つて働き笑つて納..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2014-01-26 00:09

もはや建設理由がない補助73号線。
Excerpt: クルマの「交通量の増大」と「渋滞緩和」を理由に、1946年(昭和21)から計画されている補助73号線Click!について、その基盤となる“理由”がもはや21世紀の今日、どこにも存在していないことを改め..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2014-02-16 00:01

下落合にいちばん近い芭蕉の句は?
Excerpt: 明治維新のあと、神田上水Click!が淀橋浄水場Click!の本格稼働ののち、そのまま1901年(明治34)まで東京市の水道(すいど)Click!として機能しつづけられたのは、町年寄によるこまめな改修..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2014-03-03 00:01

『文化村を襲撃する子供』の短絡な階級観。
Excerpt: 全日本無産者芸術連盟(ナップClick!)が出していた機関誌、1928年(昭和3)の機関誌「戦旗」12月号がめずらしく古本屋で売っていたので、つい購入してしまった。この号は小林多喜二Click!『一九..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2014-03-27 00:01

関東大震災と目白中学校の被害。
Excerpt: 1923年(大正12)9月1日に起きた関東大震災Click!のあと、下落合の目白中学校Click!は9月18日から授業を再開している。18日からの授業再開は、新聞の広告欄に掲載されたが、震災の混乱で新..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2014-06-04 00:02

目白界隈における大震災発生時の記録。
Excerpt: 1923年(大正12)9月1日(土)の昼どき、自宅にいた目白中学校Click!の生徒が関東大震災Click!が起きた瞬間の様子を克明に記録している。翌9月2日は日曜日で、目白中学は3日の月曜日から新学..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2014-08-30 00:00

和宮の身代りと目白の新倉家。(上)
Excerpt: 1862年(文久2)に、14代将軍・徳川家茂のもとへ嫁入りした皇女和宮が実は替え玉だったという説は、これまで幾度となく歴史本やドキュメンタリーなどで取り上げられてきているが、肝心の替え玉だったことにつ..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2014-10-14 00:00

佐伯米子をめぐる物語いろいろ。
Excerpt: 佐伯米子Click!は、その生涯をほとんど和装ですごしているが、それは佐伯祐三Click!との二度にわたる滞仏生活でも頑固に変わらなかった。そのため、当時のフランスでは見馴れない着物姿の佐伯米子は、さ..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2014-10-23 00:00

“落合パズル”11年めに感じるダイナミズム。
Excerpt: きのうで、このサイトをはじめてから丸10年がすぎ、きょうから11年めに入る。文章を書いていると、ときどき果てしない複雑なジグソーパズル、ときに謎ときゲームへ挑戦しているようだ……と感じることがある。 ..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2014-11-25 00:01

1945年(昭和20)3月10日午前0時8分。
Excerpt: きょうは、東京の(城)下町Click!一帯を襲った東京大空襲Click!から70年めの節目にあたるので、これまで何度となく繰り返し記事Click!に取りあげてきたけれど、改めて米国防省などが公開した対..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2015-03-10 00:01

アビラ村(芸術村)の第2次山手空襲。
Excerpt: 1945年(昭和20)5月25日(水)の夜、東部軍管区がラジオを通じて流していた警戒警報は、午後10時すぎには空襲警報へと変わった。落合地域には、空襲警報のサイレンがけたたましく鳴りわたり、前日につづ..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2015-05-24 00:01

交流や連携がなさそうな住民互助会。
Excerpt: 以前、下落合2丁目(現・下落合3~4丁目界隈)の住民互助組織である、同志会Click!についてご紹介をしている。1939年(昭和14)4月30日に、戦時体制下で新たに結成された下落合の各町会へと吸収さ..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2015-06-14 00:01

四谷見附のヒソヒソ話は聞こえるか?
Excerpt: ときどき、近くに新宿歴史博物館Click!や雙葉学園Click!、佐伯祐三一家の墓Click!がある四ッ谷駅には出かけるのだが、四ッ谷駅のある外濠の四谷御門(四谷見附)から牛込御門(牛込見附)にかけて..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2015-06-20 00:01

「どんど焼き」=「せいとばれえ」と街道名。
Excerpt: 以前、清戸道(せいどどう:『高田村誌』1919年より)や清土(せいと)などの街道名あるいは地名の音(おん)にからみ、街道沿いに展開する齊(塞)ノ神にまつわる火祭りの神事Click!について書いたことが..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2015-08-07 00:04

古いアルバムを眺めていると。
Excerpt: 昔のアルバムを眺めていると、どうしても気になる写真がある。うちに伝わるアルバムは、たった1冊しか現存していない。明治期から大正期の写真を収めたアルバムは、1923年(大正12)9月1日の関東大震災Cl..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2015-12-05 00:01

江戸東京方言でも七は「ひち」だ。
Excerpt: ふだん“ベストセラー”とうたわれる本は、たいがい読むとガッカリして後悔するケースが多いのであまり手にしないが、昨年(2015年)の秋に出版された井上章一『京都ぎらい』(朝日新聞出版)は、子どものころか..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2016-03-07 00:00

川辺で光るホタルを殺せ。
Excerpt: 1945年(昭和20)3月10日の東京大空襲Click!以降、B29による市街地の絨毯爆撃をかわすため、川辺に棲息して光を放つホタルまで殺せと灯火管制下の軍当局、あるいは自治体か地域の防護団Click..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2016-03-10 00:02

外では「虚空」を貫いたポルカ老人。
Excerpt: 敗戦の翌年である1946年(昭和21)、空襲で焼け野原になった住宅不足を補うため、山手線の西側、上戸塚(現・高田馬場3~4丁目)をはさんで下落合の真南に拡がる戸山ヶ原Click!に、すなわち敗戦までは..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2016-03-16 00:01

杉並区和田堀にあった「小唄学校」。
Excerpt: 戦後しばらくして、読売新聞に掲載した安藤鶴夫Click!の「小唄学校」というエッセイがもとで、入学したさに杉並区和田堀界隈を探しまわった人たちがいたらしい。小唄に三味Click!なら、江戸東京の旧市街..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2016-04-27 00:00

矢田津世子は「ボクちゃん」を許せない。
Excerpt: 下落合に住んだ矢田津世子Click!は、ほとんど他人の悪口や皮肉をいったり書いたりはしていないが、中には例外的な人物評が残っている。彼女としては、よほど腹にすえかねたのだろう。標的になったのは、まった..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2016-04-30 00:01

下落合の町名変更に住民91.2%が反対。
Excerpt: やはり、当然というべきだろうか。下落合の西側を、「中落合」あるいは「中井」という町名に変更する動きが自治体で顕著になったとき、下落合の住民へアンケート調査が行われている。竹田助雄Click!が発行して..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2016-05-06 00:00

目白崖線に残るグリーンベルト。
Excerpt: 当ブログへの訪問者が先日、1,200万人を超えました。落合地域とその周辺域の方たちに読んでいただくつもりが、ときに故郷の(城)下町Click!のことも書いているので、よろしければ江戸東京つづきの旧・市..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2016-05-15 00:01

落合・東中野上空で転回するB29。
Excerpt: 1945年(昭和20)3月10日の東京大空襲Click!のとき、丘陵から強い北風が吹きぬける夜空を、落合と上高田の地域住民は見あげていた。トンボほどの大きさに見えるB29の大編隊が、(城)下町Clic..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2016-08-10 00:00

目白駅のあたりき俥力・島さんは100円/km。
Excerpt: 1962年(昭和37)に実施された、目白駅の大規模リニューアルClick!と翌年の跨線橋設置で、目白駅の「美化同好会」の活動Click!と連動してスタートした跨線橋での絵画展示は、1964年(昭和39..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2016-09-27 00:00

大ヒットした陽咸二の南京豆芸術。(上)
Excerpt: 少し前に、佐伯米子Click!の実家である池田家から新たに発見された、5歳の佐伯弥智子Click!を写した『ひるね』(1928年)についてご紹介Click!した。作者である陽咸二の資料を読んでいると、..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2016-10-18 00:00

物語は限りなく紡がれて。
Excerpt: どこまでいっても終わりのない取材と調査と文章書きにとり憑かれて、この11月24日で丸12年になった。きょうの記事から13年目に入るのだが、2004年(平成16)から十二支がひとめぐりし、訪問していただ..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2016-11-26 00:00

戸山ヶ原の一本松を捜査する名探偵。
Excerpt: 昨年の正月、下落合にアトリエを建てて転居してくる直前の佐伯祐三Click!が、1920年(大正9)に描いた『戸山ヶ原風景』Click!の一本松をご紹介した。そのわずか4年後に、戸山ヶ原近くの大富豪令嬢..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2017-01-10 00:02

ほとんど人が歩いていない鎌倉。
Excerpt: わたしが子どものころ、親に連れられてバスに乗りユーホー道路(遊歩道路)Click!=国道134号線をそのまま東へたどって鎌倉で降りると、ほとんど人に出会わなかったのを憶えている。もちろん、鶴ヶ岡八幡宮..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2017-02-06 00:06

江戸の屋敷や商家跡から出土するもの。
Excerpt: 近ごろ東京のあちこちで、江戸期に建てられていた屋敷や商家の遺構の発掘調査を耳にする。数年前に新宿歴史博物館Click!の近く、三栄公園で埋蔵文化財の発掘調査が行われているのを目にした。江戸時代は北伊賀..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2017-02-09 00:01

目白・落合地域よりもすごい目黒駅東。(上)
Excerpt: 『伽羅仙台萩(めいぼくせんだいはぎ)』にちなむ目黒鬼子母神Click!へ立ち寄りがてら、江戸期には下目黒村と中目黒村の入会地(字大塚とその周辺域)にかつてあった、大塚山古墳について調べながら現地を歩い..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2017-02-18 00:00

街角や風景を描く佐多稲子の表現力。
Excerpt: 佐多稲子Click!の文章を読んでいると、その街の様子の描き方や地形描写、風情や自然の写し方に舌を巻くことが何度もある。同じく、地形や街の描写で印象に残る作家に大岡昇平Click!がいるけれど、大岡が..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2017-04-04 00:01

船山馨の下落合尾根づたい散歩コース。
Excerpt: 舞台に わたしはどちらかといえば、気に入った地域には長く住みつづけるほうだろうか。下落合を初めて訪れたのは1974年(昭和49)の春だから、かれこれ落合地域とは43年のかかわりになる。学生のとき南長崎..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2017-04-19 00:00

東京35区時代のプライオリティと名所。
Excerpt: 1932年(昭和7)10月1日に、従来の東京15区が35区に再編成されたとき、新たに編入された区部を紹介する書籍や冊子が、いっせいに出版されている。その中でも代表的なのが、1932年(昭和7)に東京朝..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2017-05-16 00:00

『大東京写真案内』にみる新宿区エリア。
Excerpt: 1932年(昭和7)に東京35区制がスタートすると、当時のメディアでは新たに東京市へ加えられた20区の紹介が盛んだった。前回の記事Click!では、新たに誕生した20区紹介のプライオリティや観光・散策..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2017-05-22 00:02

ドクトルマンボウの下落合昆虫記??
Excerpt: 小学生のころ夏休みの自由研究というと、よく昆虫採集をしたものだ。その様子は、以前にも記事Click!に書いたことがあるが、近くに森や山がある地域の方は、子どものころの虫捕りは誰でも経験しているのではな..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2017-06-06 00:00

街の情報収集としての“こころづけ”。
Excerpt: 今和次郎Click!は、よく「チツプ」あるいは「テイツプ」という言葉をつかう。昭和初期の当時は、チップという言葉が目新しく、流行語になっていたものだろうか。カフェやミルクホールの女給さんへ、サービスを..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2017-08-02 00:00