面影橋と姿見橋の謎。

 安藤(歌川)広重は、とても厳密な人だった。風景画を描くときにも、かなり地元に取材してから筆をとるといった具合で、フラフラとやってきては写生して帰っていく画狂老人・中嶋鉄蔵(葛飾北斎)とは、かなり性格が異なっていたようだ。だから、いまもって議論が絶えない。
 そのひとつに、神田上水(神田川)にかかる面影橋と姿見橋のテーマがある。広重の『名所江戸百景』第116景に「高田姿見のはし俤の橋砂利場」(たかたすがたみのはしおもかげのはしじゃりば)という作品がある。広重は、構築物をタイトルで表現する場合、手前から遠方へ・・・というように付けるクセが顕著だ。同じ『名所江戸百景』では、第43景の「日本橋江戸ばし」が橋名列挙の例として挙げられる。手前のカツオを売る俸手振(ぼてふり)魚屋がわたる日本橋から見た、江戸橋界隈の風情・・・というわけだ。でも、この伝でいくと、いま「面影橋」と呼ばれている神田川にかかる橋は、実は「姿見橋」だったということになってしまう。絵の奥に見えている、氷川明神男体社と南蔵院の近くを流れる小川(分水路)にかかる橋こそが、「面影橋」だったことになる。
 いま現在、神田川にかかる橋を「面影橋」としたのは、徳川幕府が編纂した『新編武蔵風土記』の記述に準拠しているからだ。その後につくられた、『江戸名所図絵』をはじめさまざまな江戸関連の地誌本は、ほとんどが幕府のこの本を踏襲している。つまり、幕府がこう書いているのだから間違いなかろう・・・というわけで、神田上水にかかる橋を「面影橋」、北側の小川にかかる橋を「姿見橋」としてなんの疑問も抱かなかったようだ。
 

 ところが、ここにもうひとつ、徳川幕府とその追随本にはやっかいな資料がある。それは、緻密な調査/取材と正確な記載では、同時代の他店の追随を許さなかった切絵図屋(地図屋)、金鱗堂・尾張屋清七版の「雑司ヶ谷音羽絵図」だ。ここには、神田上水にかかる橋を、広重と同じように「姿見橋」として記載している。厳密な広重と、几帳面で地名・町名ヲタクの尾張屋清七・切絵図特捜班が「姿見橋」としているのだから、ホントは「姿見橋」が正解なんじゃないか?・・・ということになったのだ。わたしも、実はそう考えてたりする。かんじんの地元・戸塚村が文化年間に作成した、「牛込馬場下町絵図」でも「スガタミハシ」として記録されていたりする。また、同じく現地を取材して歩いた天保期の『東都歳時記』や、文化期の『十方庵遊歴雑記』でも「姿見橋」だ。
 

 神田上水にかかる橋を、「面影橋」としている江戸期の資料は多い。でも、それらはほとんどすべてが幕府の『新編武蔵風土記』を“種本”にしているのだ。だから、もし万が一、幕府が橋名の採集を逆に取り違えていたとしたら、土台自体が大きく揺らぐことになってしまう。ところが、幕末に近い時期に現場を取材している広重や尾張屋は、幕府が編纂した(昔の)資料よりも、現地における実際の取材や実測の成果を優先していた。だから、「姿見橋」という橋名を記述しえたのだ・・・と想像する。
 川幅が広く、橋も大きく高かった神田上水の橋から、「面影」を映すことはできそうもない。せいぜい、橋上からの「姿」を「見」られる程度だ。逆に、小川にかかった小さな橋からは、鏡代わりに「面影」を映すことができたにちがいない。なお、南蔵院近くの刑場へ「姿見」おくる説話と、於戸姫伝説、そして神田川界隈のミステリーサークルに関わりがあると思われる昌蓮伝説については、事実かどうか確認の取りようがないので割愛した。また機会があったら書いてみたい。

■写真上:現在のいわゆる「面影橋」。
■写真中:『名所江戸百景』第116景「高田姿見のはし俤の橋砂利場」の、は「姿見橋」の拡大と、「俤(面影)橋」の拡大。
■写真下は尾張屋清七版・1857年(安政4)「雑司ヶ谷音羽絵図」(部分)、は文化年間に地元・戸塚村が作成した「牛込馬場下町絵図」(北が下/部分)。地元が橋名を間違えるはずはない・・・と思うのだが。

この記事へのコメント

  • preseek_a

    コメント、ありがとうございます。^^
    ChinchikoPap..さんのブログを拝見させていただいて、綺麗で分かりやすいことに感激いたしました。見習わなくては。今後ともよろしくおねがいいたします。
    2005年07月13日 02:59
  • ChinchikoPapa

    わざわざご丁寧に、ありがとうございました。
    まだまだ、表現が未熟でつたないですので勉強中です。こちらこそ、よろしくお願いいたします。
    2005年07月13日 10:50
  • ChinchikoPapa

    いつもリンク先へのnice!をありがとうございます。>kurakichiさん
    2009年11月04日 23:26

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