十返千鶴子さんお気に入りの下落合散歩。(下落合みどりトラスト基金)

 

  十返千鶴子(とがえり・ちづこ)さんも、下落合散歩を楽しんでいるおひとりだ。今年の6月で84歳になられるはずだが、ふだんの暮らしに密着した多彩な好奇心は、ますます盛んのご様子。下落合とのかかわりは、実に60年にもおよぶ。もともと旧・下落合4丁目(目白第二文化村)に親戚があったと書かれているが、千鶴子さんが初めて下落合へ足を踏み入れたとき、そこに見えた風景は上の写真右のような風情だっただろう。
 千鶴子さんは、現・下落合4丁目界隈を散歩されるのがお好きだ。聖母病院裏の佐伯祐三公園にはじまり、薬王院、野鳥の森公園、「下落合みどりトラスト基金」で焦点になっているE邸前から九条武子終焉地を通って、おとめ山公園へと抜けるコースだ。ちようど、前回ご紹介した若山牧水ハイキングコースClick!とは逆の順路になる。彼女の随筆から、引用してみよう。
   
 西武線の下落合駅から北へ、ゆるい坂道を上ると左側に聖母病院があり、すぐ裏に佐伯祐三のアトリエが残る。(中略) ・・・佐伯祐三には名画「下落合風景」と名づけられた連作があり、畑におおわれた丘の起伏と、神田川、妙正寺川の落合う辺りの、人家もまれな往時の風景が描かれている。画集をみながら私はそこに現在の町並みを重ね合わせて思いにふける。
 さらに東に歩くと、最近牡丹で名の知れた薬王院があり、その裏側の細い坂道が私の大好きな散歩道である。幅二米もない急坂の両側は欅の大樹でおおわれ、春の新芽、秋の黄葉にはその都度息をのむ。もとより車は通れず、すれ違う人影も殆どない。
 坂を上りつめ、九条武子終焉の地がある静かな住宅街を左に、谷間を埋める乙女山(御禁止山)公園の雑木林を右に歩を進めると、中村彝の住んだアトリエがある。
   

 この随筆の最後で、千鶴子さんは新宿の高層ビルを御留山から見やりながら、「下落合の変貌は、せめて坂の下だけにしてほしいと願う」と嘆息している。御留山の公園化にも協力した彼女だが、その怖れがいまや現実となっている。
 では、「大好き」と書かれている、十返千鶴子さんの下落合散歩コースClick!をたどってみよう。

■写真:落合丘陵。上左は下落合駅から2005年の南斜面、上右は中井駅から1955年(昭和30)の南斜面。尾根の右手に目白第二文化村が拡がる。は、千鶴子さんお気に入りの散歩コースを遠望する。どうしてこの森ひとつを、新宿区は守れないのだ?
『東京人』1991年3月号 「下落合-坂のある散歩道-」十返千鶴子より
Click!

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック

中村彝の遺言状。
Excerpt:  わたしに、中村彝アトリエがいまだ現存することを気づかせてくれたエッセイストの十返千鶴子さんClick!が、昨年暮れの12月20日に下落合の御留山の隣り、通称“権兵衛山”で亡くなった。85歳だった。..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-02-01 13:52

下落合で執筆された『虚無への供物』。
Excerpt: アビラ村Click!(芸術村)の目白崖線上に、小説家の中井英夫が住んでいた。中井英夫(塔晶夫)は、夢野久作の『ドグラ・マグラ』や小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』とともに、ミステリーの3大奇書といわれる『..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2008-06-02 00:23

「佐々木翠」をめぐるふたりの作家。
Excerpt: 下落合4丁目2108番地(のち2107番地/現・中井2丁目)に住んだ小説家・船山馨は、戦時中に女性編集者であり作家でもあった「佐々木翠」を妊娠させてしまい、親友の椎名麟三へ堕胎の相談をしている。戦争も..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2012-12-20 00:01