西坂へと抜ける「不動谷」上の尾根道。

 前回ご紹介した谷間の道が、いわゆる本来の「不動谷」と呼ばれた谷間だが、今回からその西側にある尾根筋の道を見ていこう。「不動谷」という地名については、目白文化村拾遺の別稿「さまよえる不動谷Click!をご参照いただきたい。
 この道は、下落合駅前から西坂をのぼり、東側にある聖母坂と平行するようにかよっている尾根筋だ。西坂をのぼり、二叉を左へと曲がれば、落合第一小学校のある第四文化村へ、さらにレンガ造りの箱根土地本社ビルを左手に見ながら、第一文化村へと出ることができた。また、二叉路を右手へいけば、この第三文化村の尾根道へと出ることができた。大正末から昭和にかけて、このあたりの様子を久生十蘭(ひさおじゅうらん)は次のように描写している。
   
 落合の小松邸はいくつも破風をもったエリザベス朝式の建築で、ポーチには白い柱が並び、バルコンには獅子の紋章を浮出しにした古風な金具がつき、ダイヤモンド格子の明層窓には彩色硝子が嵌っているというぐあいです・・・(中略)
 翌朝早く家を出てバスで落合まで行き、聖母病院の前の通りを入って行くと、突当りに小松の邸が見えだしました。数えてみますとあれからちょうど二十八年たっているわけでしたが、家の正面がすこし汚れ、車寄せのそばに防空壕が掘ってあるほかなにもかもむかしどおりになっていました。(『ハムレット』より)
   
 久生の文章で上段が大正期、下段が戦争直後の描写なのだが、戦災にあっていない第三文化村と思われる界隈の様子が描かれている。
 この尾根道の両側に並んだ屋敷も、1970~80年代にほとんどが建てかえられてしまっている。でも、一本西側の路地へ入ると、当時のままの和風住宅をいまでもいくつか垣間見ることができる。また、新しく建てかえられた家々も、どこか「目白文化村」風のデザインをしているのが面白い。それらの家々は、昔ほど敷地が大きくはないが、それでも往年の屋敷森を意識したような庭造りがなされている。人通りも多く、実質、第三文化村のメインストリートと呼んでも差しつかえないだろう。
 このあたりは緑が濃く、聖母病院の敷地から眺めた第三文化村として以前に紹介したモノクロ風景写真が、ちょうどこの一帯にあたる。ほとんど屋根までが隠れそうなほど、木々に覆われた家々が多いが、現在では当時の面影そのままの屋敷は2棟ほどしか残っていない。つづきは・・・

「目白文化村」サイト Click!
■写真:裏手の路地にひっそりと残る、第三文化村開設当初からの屋敷
『ハムレット』(久生十蘭全集・第一巻/三一書房/1970年)

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック