切支丹永代御赦免の令。

 昨年の暮れ、第三文化村の取材のために西坂をのぼっていったら、なんとなくどこからか見られているような気がした。下落合駅前から、聖母病院裏の尾根筋へと抜ける西坂は急峻で、どうしても身体が前のめりになる。坂の途中で、なんとなくゴリッとした違和感を頭上に感じて、ふっと見あげてみると・・・。
 巨大なサンタが、クリスマスの風にふんわりユラユラと泳いでいるではないか。でかい! 大人の背丈よりも大きそうなバルーンのサンタが、ときどきお辞儀をしながらこちらを見下ろしている。手にはK1用のグラブをはめて、明らかにファイティングポーズをとりながら、道ゆく人たちを「カモン、カモン!」と挑発しているのだ。この巨大サンタの周囲には、別にデコレーションもツリーもなかったが、いまから150年前だったらさしずめ、こんな高札が大川は両国橋西詰めに掲げられたかもしれない。
 布令
 先にも令せし如く 将軍膝元にて伴天連切支丹の義これ構ひなく 市中に於ていずれに布教するも勝手なり 府内随所に於て教会の建立これ一切構ひなし 市中日本橋駿河町辺の呉服大店に於て 伴天連祭の歳末大売出しなるよし聞こゆ いとめでたきこと苦しからず 将軍家に於ても祝儀催すべく 三太苦労子等慶賀するものなり 尚 例年正月 佃島より奉納されし江戸前穴子につき 永代より下これ鰻に格上すべきこと申しつくるものなり 鰻これ獲れなきときは 神田明神下は神田川 深川不動は大和田 麻布狸穴は野田岩 目白文化村は大和田いずれの鰻重にても格別苦しからず さらにこれ構いなきものなり
 (高札よごし狂歌)
 新春は つくだ白魚 紀州みかん 月もおぼろに 見とおわりけり    三太苦労子

■写真:徳川邸の風にゆらゆらサンタクロース。

この記事へのコメント

  • 宮沢 靖

    せっかくの将軍様のお達しなので、「教会」というところを、「天主堂」とか
    「耶蘇堂」などと、表現していただくと、いっそう情趣深いものになるかと・・・
    (^_^;)★\ バキ
    2005年01月18日 20:44
  • ChinchikoPapa

    あっ、確かに「耶蘇殿堂」とでもすれば、もう少しリアリティがありましたねえ。(笑) あるいは、「茶屁屡」とか・・・。(><;☆\
    2005年01月18日 21:39
  • ChinchikoPapa

    カトリック主税町教会は、とっても美しいですね。こういう明治期の建物が、大震災と空襲とで東京には数少ないのが残念です。この前行かれた、明治建築の宣教師館などはほんとに例外的な存在ですね。それでも、都内にはポツンポツンと焼け残っていますが・・・。
    明治の建築は、まだ神奈川県のほうが充実してます。大正震災の大津波をかぶらなかった湘南の山側には、明治の西洋風住宅がいまだ美しい姿を見せてくれますね。
    2005年01月19日 23:14
  • 宮沢 靖

    名古屋も似たような状態ですね。市街地の大半は、戦災で焼けてしまいましたし。
    残った建物も、戦後の都市計画で取り壊されてしまいました。
    昭和初期の”名建築”だった、旧名古屋駅の駅舎も、簡単に壊されて、現在のツインタワーになりましたから。
    2005年01月20日 21:17
  • ChinchikoPapa

    このあたり、難しいテーマですよね。あまり過去の姿にこだわりすぎると、街の活気が削がれてしまうし、かといってみんな取り壊してしまうと、その街のアイデンティティが滅びてしまう。その中庸がいいのでしょうが、大都市の場合はその「第3の道」がとても探りにくいですね。
    2005年01月21日 12:02
  • ChinchikoPapa

    いつもリンク先まで、nice!をありがとうございます。>kurakichiさん
    2009年12月23日 12:14

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薬王院門前のクリスマスツリー。
Excerpt:  昔から、下落合にはキリスト教の教会が多いため、おそらく明治末から大正初期ぐらいには、すでにクリスマスツリーがどこかに飾られていただろう。落合福音教会(のち目白福音教会)周囲のクリスマスツリーCli..
Weblog: Chinchiko Papalog
Tracked: 2007-11-09 13:39