挾撃される現代史。

 ちょうど、学校を出てからすぐのころ、『朝日ジャーナル』に連載されていた松本健一氏の原稿をまとめたものが本書だ。もう、20年以上も前になる。連載終了ののち、少ししてから『挾撃される現代史 ―原理主義という思想軸―』(筑摩書房/1983年)として加筆され1冊にまとめられた。わたしは連載当時にも読んではいたが、それほど熱心な読者ではなかったように思う。
 80年代初頭、イラン革命を経験していたとはいえ、「イスラム革命」という言葉はまだそれほど浸透してはいなかった。ましてや、ファウンダメンタリズム(原理主義)という言葉は目新しく、イラン革命をどのように解釈すればよいのか、それこそ"百家争鳴"のような解釈がなされていたころだ。近代的な解釈では、革命とは進歩であり、よりよい国家や合理的な社会を確立するための手段であり、革命ないしは革命的変革を経てこそ、初めて「近代化」が達成される・・・という、まさに"水戸黄門"的で予定調和的な「近代思想」が、いまだかろうじて信じられていたころだ。(スターリニズムが自壊する10年も前) ところが、イラン革命は進歩するどころか、あらゆる面で「退歩」していくように見えた。それは、欧米の近代主義(モダニズム)とは無縁な、ありえない「革命」のように見えていたのだ。だから、イスラム圏ならではの歴史的ベクトルによる「特殊性」を、ことさら強調する論調が多かった。
 だが、松本氏の連載は違っていた。しかも、イスラム的な原理主義についてではなく(もちろん、何度も言及してはいるが)、いきなり日本(日本主義/日本浪漫主義)やアジア(亜細亜主義)のファウンダメンタリズムについて、考察を始めていたのだ。近代化に触発されつつ、それを全否定して超克しようとする思想とともに起ち上がってくるイデオロギーを前者とするなら、近代化を達成しつつ論理では決してなく、きわめて情緒的かつ感情的な「自己肯定」を前提とし、本来は対立すべきナショナリズム(民族・国家・国民を<ネーション>と規定する近代思想)と曖昧に癒着しながら起ち上がってくるファウンダメンタリズムを後者、すなわち近代化を達成した国家における原理主義のイデオロギーと位置づける。つまり現代世界は、2つのファウンダメンタリズムに挾撃されている・・・とみる新しい思想軸、より正確にいえば近代思想史の捉え方を提起したのだ。
 松本氏の視座は、イスラム的な原理主義を透過して、日本のファウンダメンタリズムに向けられていた。著者の問題意識は明確だ。「(ナショナリズム=民族主義は)西欧=近代を文明の理想型として追求する近代主義(モダニズム)と、根源的な対立をしないようにわたしにはおもわれる。とすれば、マルクス主義をもふくんだ近代主義がほぼ行き詰まりをみせている現代にあって、これにナショナリズムを対置することでは、<近代>を超える文明論を新たに創り出すことは不可能である」として、従来の近代化(西欧文明化)とナショナリズムという二元論的な視座を廃し、モダニズムとナショナリズム、そしてファウンダメンタリズムという3軸の視点を設定する。そして、従来の二元論的な捉え方で近代史を考察する竹内好、丸山真男、吉本隆明、小中陽太郎などを批判している。
 「明らかに近代のイデオロギーであるナショナリズムを、復古主義とか、土着主義とか、ファナティックな神秘主義とかいった色あいに染めるのは、ナショナリズム内部の要素によるものではない。それは、いわば外からの、つまり原理主義とのリンク(連結)によるのではないか」・・・。著者の分析は広範かつ多彩におよび、西郷隆盛や岡倉天心にはじまり、保田與重郎、ドストエフスキーの登場人物、北一輝、蓑田胸喜、大本教の出口なお、米国俳優のロバート・テイラー、三島由紀夫、清水幾太郎、果ては千石イエスや谷村新司にまで向けられる。そこには、「♪ご和算で願いましては~」と近代史のすべてを捉え直そうとする、著者のなみなみならぬ強烈な意気ごみが感じられる。
 わたしが、そういえば『朝ジャ』(当時は筑紫哲也編集長)に面白そうな連載があったな・・・と思い出し、改めて本書を探して手にしたのは、連載からはや数年を経過したころ。屋台骨がガタガタになったソ連に、ゴルバチョフが登場する直前のことだった。著者の新たな視座は、その後、1992年の『原理主義』として結実する。

■写真:本書の初版。『原理主義』の出版とともに絶版となるが、しばらくして筑摩文庫に収められているのを見かけた。現在では文庫版も絶版となっているようだ。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2011年02月26日 10:47
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
    2014年06月09日 16:18

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Tracked: 2011-02-25 00:03