1991年7月10日、とあるコンサートがパリのグランド・ホールで開催された。半月ほどあとに、そのコンサートの模様を知ったわたしは、演奏者の顔ぶれに思わず目をうたがった。いや、信じられないような豪華な顔ぶれだったからだけではない。過去の音楽を決して振り返らないはずの、過ぎ去ったサウンドを二度とトレースしないはずのマイルス・デイビスが、なにを思ったのか「昔のサイドマン」たちを集めて同窓会コンサート? まるで、泳ぐことをやめると窒息してしまうサメのように、前進ばかりつづけてきたマイルスが、いったいどのような風の吹きまわしで回顧趣味のコンサートなんぞ開いたのだ?…という、不可解な想いでいっぱいになったのだ。
高校時代から、わたしは間違いなくマイルス・フリークだった。受験を控えていたため、“引退”直前のいまや伝説となってしまった、大阪の『アガルタ』つづいて『パンゲア』のコンサートに行けなかった悔しさは、いまだに尾を引いている。ニューオリンズJAZZから、スウィング、ビバップ、ウェストコースト、クール、ハードバップ、モード、フリー、クロスオーバー(フュージョン)、ロフト、果てはつまらないバップリバイバルまで…と、およそJAZZと名のつく音楽は聴いてきたが、生きているJAZZマンの中で、この人だけは別格の存在だった。もはや彼の音楽を、JAZZという狭いカテゴリーで呼んではいけないんじゃないか、「20世紀音楽」でいいじゃないか…などと、もっともらしく考えたりもした。
だから、1981年に新宿の淀橋浄水場跡地(現・東京都庁)で復活コンサートが開かれたとき、なにもかも放り出して駆けつけた。そのときは、コンディションが最悪のコンサートだったけれど(わたしも、スポンサーだったメーカーの栄養ドリンクの飲みすぎで身体が冷えて最悪だったが)、その後、マイルスのサウンドは年々復調をつづけて、85~86年ぐらいのバンドが何度めかのピークを迎える。特に、85年に世界各地をまわったコンサートは、あらゆる面において充実した演奏を聴かせてくれる。80年代末に流行りはじめたラップを取りこんだアルバムを発表し、さて、次はどんな音楽を聴かせてくれるのかな?…と思っていた矢先、パリで同窓会コンサート?
おそらく、死期を悟っていたのだろう。生涯でたった一度だけ開いた、うしろ向きのコンサート(正確には、このコンサートの直前に開かれたクインシー・ジョーンズによるギル・エバンス・メモリアルもそうなのだが…)、まるで自分の一生をなぞるようなコンサートが、ラストコンサートとなってしまった。このコンサートからわずか2ヵ月と少し、1991年9月28日にマイルス・デイビスは急死する。このラストコンサートの映像を観ると、マイルスは実に楽しそうだ。「大昔の音楽の話なんかするな!」…と言っていた彼が、ニヤニヤしながら「大昔」の曲を演って遊んでいる。「シット! これで、肩の荷がおりたな」…と、かすれた絞り出すような声がどこからか聞こえてきそうだ。
マイルス・デイビス(tp)
スティーブ・グロスマン、ウェイン・ショーター、ビル・エバンス(ts,ss)
ジャッキー・マクリーン、ケリー・ギャレット(as)
チック・コリア、ハービー・ハンコック、ジョー・ザビヌル、デロン・ジョンソン(key)
ジョン・マクラフリン、ジョン・スコフィールド、フォーリー・マクレイ(g)
デイブ・ホランド、ダリル・ジョーンズ、リチャード・ピーターソン(b)
アル・フォスター、リッキー・ウェルマン(ds) 他
■Class Reunion 1991/Miles Davis (Live at Grande Hall,in Paris)
この記事へのコメント
fuRu
興味があります。
メンバーの中では、ジャッキ・マクリーンだけが、??。
iGa
ジャッキ・マクリーンはマイルスと一緒にDIGを録音、これがプロとしての最初の仕事だったそうです。
ジャッキ・マクリーンの証言:「”おまえがガキの頃に書いたあの曲、あれなんと言った?”とたずねるんだ。それで”ディグ”のことですか?と聞くと”そうだ。あれはどんな曲だ?”と言われ、吹いてみせたところ、彼は”それでいくぞ”と言ったんだ。マイルスはひとりひとり全員にさよならを言っていたんだよ。」
ChinchikoPapa
このコンサートDVDは、残念ながら発売されてなくて、ブートレグなんです。JAZZとクラシックの分野では、貴重な音源としてのブートレグ文化というのが、LPの昔から許容されている側面がありますので、あえて紹介させていただきました。最後の■の部分に書きましたタイトルをキーワードにして、検索エンジンを探されると・・・。(^^;
ChinchikoPapa
マイルスが死んだときは呆然としてしまいまして、高田馬場にある「マイルストーン」で1日、マイルス漬けになっていた憶えがあります。JAZZ喫茶の中には、1969年以前のアルバムしか置いてない店があり、また逆にそれ以降の作品をメインに揃えている店があったりと、マイルスの作品の揃え方を確かめるだけで、店のオーナーのJAZZ観がある程度予測できてしまう・・・という楽しみもありました。知らず知らず、マイルスをメルクマールとしてたりして・・・。
数年前から、米国で『オン・ザ・コーナー』がいまさらベストセラーになっているのを聞きますと、感慨ひとしおだったりします。
fuRu
名古屋にお店がある。不思議なものがいっぱいある。
ブートレグ、ブートレグと思っていると、いつのまにか正規盤で発売されているということもある世界ですから、ブートレグはあなどれません。あなどれないけれども、最低の音!っていうブートレグを何回買ったことか・・・。
ちなみに、このDVDはどうですか?画質とかいろいろ。
それと1969年というとBitches Brewですね。そうですか、やはりそこが境目なんですかね。
ChinchikoPapa
「ビッチェズ・ブリュー」の少し前、「マイルス・イン・ザ・スカイ」て゛線引きされてるお店もありましたね。
NO NAME
完全にコンボジャズと決別したと云う意味で、私は「In A Silent Way」が大きな節目のように思えます、なにしろキーボード奏者が三人もいますからね。
因みに、私も史上最低の新宿西口・淀橋浄水場跡地のコンサートに行きました。Milesのキラリと光る鼻水がとても眩しかったです。(^_^;)
74年と75年の厚生年金会館、それに87年のよみうりランドでもMilesを聴いています。
iGa
ChinchikoPapa
当時、渋谷にあったプロモーターがマイルスを招聘していて、そこのスタッフと知り合いだったものですから、怖かったけれど楽屋へ忍びこませてもらったこともあります。怖かったですが・・・。(^^;
fuRu
>「Nefertiti」や「Sorcerer」は助走。
というには・・・・。
おっと、脱線しそうですので、近いうちに自分のところに書きまーす。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa