鋳成と荒神と目白。

 神田川の流域は、湧水地も含めてそこかしこで稲荷と庚申塔(塚)を目にすることができる。下落合の谷間にも、稲荷や庚申塔の数が多い。これらは、江戸の町辻に数多く存在した、たとえば町役人や裏店(うらだな/長屋)の大家や差配が勧請した稲荷などとは性質が異なり、そのいわれや歴史がたどれないほど古くから存在している。江戸期の稲荷ブームや庚申講のブームとは無縁の、鎌倉期以前からとされる遺物が多い。
 民俗学でも古くから指摘されていることだが、稲荷神は鋳成神が転化したもの、庚申は荒神が転化したものという説に、わたしも同意したい。地域によってはさまざまな違いがあるが、おおよそ大鍛冶(タタラ)の仕事が行なわれた地域には鋳成神(稲荷神)が、小鍛冶(道具鍛冶)の仕事が行なわれた場所には荒神(庚申)が奉られた可能性が高い。稲荷の敷地から鉧(けら)や銑(ずく)のクズが、庚申塚の下から火床(ほと)跡が発見されることも多い。のちに、産鉄地が放棄されて神を奉った聖域だけが残り、土俗信仰やその土地の国津神、あるいは仏教思想と結びついて鋳成が稲荷化し、荒神が庚申化したのではないかと思う。ただし、荒神は三宝荒神として、現在でも鍛冶の火床(ほと)や台所の竈(へっつい)の神として奉られつづけている。
 古くから製鉄(タタラ)および鍛鉄が行われていた北関東や東北では、稲荷や庚申のほかに、アラハバキ神という独特な神が存在している。この神は、片目が見えず片足が萎えてしまっており、うまく歩行することができない。すなわち、タタラを踏みながら歩く産鉄の神だ。溶鉱の窯を利き目で見つづけ、利き足で大きなフイゴの踏み板をこぎながら羽口へ風を送る…。古代、いわゆる大鍛冶の卸し鉄を生業としていた人々は、歳を取ると片目片足が不自由になった。だから、アラハバキ神は大鍛冶の仕事を象徴する守り神ということになる。
 下落合を見廻してみると、古い川の流れに沿った地点に、稲荷や庚申塔が点在していることがわかる。川から神奈(かんな)流しと呼ばれる方法で川砂鉄を集め、それを溶かして鉧(けら)にし、さらに銑(ずく)をこしらえたのかもしれない。川の段丘にある古墳群から、鉄製の直刀や装飾品の痕跡が発見されているのも象徴的だ。そして、この銑から精錬した鋼は、古くから「めじろ」と呼ばれている。東京の地名である目黒と目白は、江戸期以前から存在している。この地名にひっかけて、天海は五色不動を発想したようだが、陰陽五行における色の方位がめちゃくちゃだ。目黒は「馬」の古語であり、古代から関東地方の古代遺跡に特徴的で発掘例も数多い「馬牧場」の意味も含んでいる。そして目白は、タタラで得た銑から精錬した「鋼」の意味ではなかったか?
 そういう視野から下落合を見直すClick!と、高田には素戔嗚尊<スサノウノミコト>を奉る氷川男体社があり、下落合には櫛稲田姫命<クシナダヒメノミコト>を奉る氷川女体社がある。そして、氷川女体社のすぐ脇にある七曲坂には、古来から「大蛇(おろち)」伝説が口承されている。これは、出雲は砂鉄の一大タタラ流域として有名な、斐(氷)川に伝わるヤマタノオロチ伝説そのままの姿じゃないか。下落合から出土した古墳刀は、いったいどのような世界を映していたのだろう。

■写真:氷川明神女体社の脇にある、鎌倉古道に面した庚申塔。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2010年07月12日 23:47

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