ハケの下落合。

 ハゲの下落合ではありません、「ハケ」です。武蔵小金井から国分寺にかけて、ハケと呼ばれる土地がある。野川の河岸段丘の南斜面なのだが、そこかしこから泉が湧き、東京都の代表的な湧水群地帯を形成している。『武蔵野夫人』(大岡昇平)の出だしに、「土地の人は何故そこが“はけ”と呼ばれるかを知らない。…」という有名な一節がある。ハケとは、武蔵野台地の斜面から湧いた泉水が川へと流れ込む「水はけ地」がちぢめられて、いつの間にか「ハケ」と呼ばれるようになったようだ。国分寺「真姿の池」の湧水は、環境庁の日本名水100選に選ばれるほどに清廉で美味しい。
 小金井や国分寺の湧水が注ぐのは野川だが、下落合から湧き出た泉水は神田川(旧江戸川)と妙正寺川へ注ぐ。この土地も、武蔵野台地東端のハケのひとつにほかならない。江戸時代の切絵図を見ると、下落合崖線のあちこちから水が湧き出て、両河川へと流れこんでいる様子が見てとれる。切絵図に描きこまれたのは比較的大きな流れだが、土地の伝承や痕跡をたどっていくと、小さな流れはおそらく無数に存在していたようだ。大きな流れとしては、いまは学習院の血洗池になっているあたりの豊富な水源、徳川将軍の鷹狩り場だった御留山(丸山)にいまだに残る水源、不動谷に入りこんだ聖母病院の斜向かいに戦前まであった湧水プールで有名な水源、山手通りの下になってしまった箱根土地本社の水源…と、きりがない。目白台には、いまでも水量が豊富な新江戸川公園の水源、早稲田の甘泉園の水源、目白山(椿山)に残る椿山荘の水源…と、往時の目白崖線の姿Click!をかいま見せる。
 これらの流れの途中には、大昔から「稲荷」や「庚申塚」が置かれることが多い。このちょっと面白いテーマについては、また後日、改めてここに書いてみたい。

■写真:学習院大学の構内にある「血洗池」湧水地。

この記事へのコメント

  • かあちゃん

    「平川」の語源を拝見して、札幌の中心部を流れる「豊平川」の語源と
    共通するものがあるような気がしてこちらのサイトで調べてみました。
    「北海道のアイヌ語地名」
    http://www.asahi-net.or.jp/~hi5k-stu/aynu/

    東京の川なのにアイヌ語が語源だったのですね。これは何か由来があるのでしょうか?
    2004年12月09日 21:04
  • ChinchikoPapa

    神田川(旧江戸川)は、急峻な崖沿いに流れてますので、そのままアイヌ語というか古朝鮮語が入る前の原日本語では、「崖」の川と呼ばれていたんだと思います。東京は、実は原日本語地名だらけなんですね。古代からつづく地名音の「江戸」=エト゜からして「岬」の意味ですし、「千代田」=チェオタも「渚の食事場」…等々、挙げだしたらキリがありません。「ピラ」は崖や渓谷の意味ですが、「オ」が付くと「ピロオ」=広尾で、「崖っぷち」「崖場」の意味になったりします。そういえば、尾道のある「瀬戸内」=セト゜ナイも、そのまま原日本語で「内海」の意味ですね。(^^
    2004年12月10日 10:32
  • かあちゃん

    はい、先生っ(^▽^/
    「古朝鮮語」と「原日本語」って??(((^^;;

    > 東京は、実は原日本語地名だらけ
    へぇ~×120%!!
    Papaさんには金の脳を差し上げます!!
    2004年12月11日 22:56
  • ChinchikoPapa

    わたしたちが話している母語※としての「日本語」は、いろいろな言語が入り混じって成立しているんです。主に3つの言語がその主体となっているのですが、おそらく縄文期から弥生期にかけて話されていたと考えられている、ベーシックな日本語が原日本語。本来の姿は、いまではアイヌ語に色濃く継承されています。次に入ってきたのが、古代の朝鮮語(古朝鮮語)。主に近畿地方のナラ(古朝鮮語でも現代朝鮮語でも国の意味)を中心に、北九州から山陽地方など西日本に展開しています。おそらく伽耶王朝ないしは百済系の王朝の分派が渡来して、最終的にナラへ棲みついたあたりが、本格的な展開のはじまりです。それから、いつ入ってきたのか不明な、かなり古い系統のポリネシア系言語。主に沖縄や九州、四国あたりの地名や方言に残滓を探すことができますね。それらがゴッチャになって、いまの「日本語」と呼ばれる言語が成立しているんですね。
    この分類に倣って周囲の地名を考証してみますと、東日本の東京は原日本語圏ですから、いまのアイヌ語に通じる数多くの言葉を発見することができます。ちなみに、言語ではなく民俗学的な口承伝承レベルでみますと、学生時代に調べてみたのですが、アイヌ民族の膨大な神話と同等の英雄譚であるオキクルミやポイヤウンペは、長野県~岐阜県までいまだ伝わっているのがわかってビックリしたことがありました。
    北陸や山陰にも、数多くの原日本語(アイヌ語)地名が確認されていて、たとえばエト゜は「鼻」や「岬」の意味ですが、ノト゜は「顎」または「半島」の意味です。アイヌ語を手がかりに、古朝鮮語の影響を受けていない古代日本の姿を探すと、いままで見えなかった日本が見えてきます。(^^

    ※「母国語」とよく一般に言われますが、言語学的に厳密にいいますと「母語」になります。
    2004年12月12日 18:48
  • いのうえ

    Chinchiko Papaさん こんにちは。 先日 Kai-wai散策で知った古書ほうろうへ行ってきました。
    http://mods.mods.jp/blog/archives/000300.html
    3冊ばかり購入した本の中に信州のアイヌコタンと言う本がありました。
    図版や写真も多くて比較的読みやすい本です。 一方 手ごわい本としては、小熊英ニ著の「<日本人>の境界」と 小笠原信之さんという方が書かれた
    「アイヌ共有財産裁判」-小石一つ自由にならずー を紀伊国屋書店で購入してきました。 年末年始にまとめて何とか読みたいと思っています。
    2004年12月12日 19:36
  • ChinchikoPapa

    「共有財産裁判」は、松前藩(+大坂商人)つづいて明治政府にだまされて取り上げられた土地の返還運動の一環ですね。ずいぶん前から北海道各地で行われていますが、カナダやニュージーランド、オーストラリアなどで先住民族に土地を返還しだしたころから、再び盛り上がりを見せています。
    平取(ビラトリ)は沙流(サル)のダムをめぐる、ダム建設反対と土地の返還運動も
    記憶に新しいところです。ダムを造れば、サケが遡上しなくなるのは明らかですので、先祖から受けつがれたカムイノミ(神事)ができなくなってしまう…ということで、地元の人々がずいぶん闘いました。
    わたしも学生時代に、アイヌ民族関連の本へかなり接しましたが、江戸時代に書かれた松浦武四郎のルポルタージュに感銘を受けた憶えがあります。松前藩や豪商たちによって、あまりにひどい収奪や弾圧を受けていたアイヌ民族について、最初は彼らが赤蝦夷(ヲロシア)になびいていまう…という危機感の視点から幕府に報告し始めるのですが、北海道各地を取材するうちに、本格的な救済対策と「和人(シャモ※)」の非道を江戸へ告訴する内容に変っていきます。
    ついに、松浦武四郎は幕府にも煙たがられる存在になってしまうのですが、江戸時代におけるほとんど唯一といっていい、当時の「蝦夷地」の詳細な記録として、いまに伝わっていますね。

    ※シャモ:和人に対するアイヌ民族側からの蔑称。本来はシサム(隣人)と呼ばれていたのが、江戸期よりその非道ぶりから蔑称が生まれました。
    2004年12月13日 15:24
  • かあちゃん

    詳しい解説ありがとうございます(^^)
    全く知らないことばかりなので、じっくり読ませて頂きますm(__)m
    「無料」通信教育を受けているみたいでうれしいです(>_*)☆\コラッ!
    2004年12月13日 23:29
  • いのうえ

    11月20日に銀座にあこがれの写真家吉田ルイ子さんに会いに行きました。
    集まりのあった銀座の教会の後ろの席に一聴衆としてひっそりと座る小柄なルイ子さんを見つける事ができましたが、思いもよらずそれは「アイヌ民族共有財産裁判」をかたる集会だったのです。 OKIさんというミュージシャンのトンコリ(弦楽器)と歌を楽しんだ後、原告団(アイヌの方達)の切々とした訴えを直接聴くことができました。 そして現在進行形で進んでいる事柄を理解するため、書物にあたろうと決めたのです。
    2004年12月14日 00:52
  • ChinchikoPapa

    かあちゃんさん、こんばんは。わたしが、アイヌ民族に興味を持ったのはまったくの偶然でして、以前におのさんのBBSにも書きましたが『アイヌの民具』刊行委員会で萱野茂さんを知ったのと、たまたま東北の歴史に目を向けていたら、ウクハウ、アザマロ、アテルイやモレなどと大和朝廷軍との壮絶な戦いを調べていくうちに、「北にしょっぱい大河流れるツカル(津軽)」まで行き着いてしまった…ということなんです。それから、津軽海峡を渡りたくなるのはすぐでした。(^^
    2004年12月14日 00:53
  • ChinchikoPapa

    いのうえさん、こんばんは。吉田ルイ子さんの写真はけっこう好きでして、若いころはよく見に出かけました。…ということは、いまはアイヌ民族を撮られているんでしょうか? トンコリは、北海道よりもカラプト(大陸尻)で広く普及していた楽器ですね。かあちゃんさんと、いつかおのさんのBBSでお話しましたがCDを持ってたりします。(^^
    2004年12月14日 01:00
  • いのうえ

    小熊英ニ著の「<日本人>の境界」の一部と、小笠原信之著「アイヌ共有財産裁判」を読了しました。 「<日本人>の境界」は索引も入れると778ページの労作なのですが、実に面白いですね。 
    http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4788506483/250-2317957-6394647
    小熊さんは慶應のSFCの先生だそうです。
    2005年01月04日 00:46
  • ChinchikoPapa

    いのうえさん、情報をありがとうございます。さっそくAmazonの「買い物カゴ」へ、ストックさせていただきました。それにしても、約800ページというのは大著ですね。まとまったお休みに読むとなると、来年の正月になりそうな・・・。(^^;
    2005年01月04日 01:18
  • sig

    こんにちは。
    何かの拍子で今頃たどり着きました。
    コメント欄を興味深く読ませていただきました。
    というのは、自分はアイヌ(アイノ)のの末裔だと思っているからです。W
    大変面白かったです。
    2009年04月30日 12:00
  • ChinchikoPapa

    sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    わたしも、根っからの「坂東夷」の末裔だと思いますので、原日本の血は色濃いのではないかと思います。関東地方は、古モンゴロイドのポリネシア系St遺伝子やHAL型白血球の因子、南方系特有のウィルス保有、骨格形質の違い、文化や生活の諸々習慣・・・などなど、明らかに南方系民族の諸傾向が色濃く残っていますので(東北・北陸・中部・中国・四国・九州も同様ですが)、ポリネシア系海洋民族の血や言語、神話、文化などを受け継ぐアイヌ民族(ウィルタ民族や琉球民族も)とも、繋がりが非常に濃いと感じます。
    下落合の「大王」記事でも触れましたけれど、だからというべきでしょうか、非常に一面的かつ局所的な「日本史」=関西史=1700年ほど前に朝鮮半島から侵入してきたと思われる新モンゴロイド系民族の政治や文化のみに限定した史観に、強い違和感をおぼえるのかもしれません。これは、遺伝子レベルの「違和感」なのかもしれませんね。^^;
    2009年04月30日 13:09
  • Marigreen

    このページは本体の記事よりコメントの部分が為になりますね。再読して頭に入れます。
    2012年10月31日 17:59
  • ChinchikoPapa

    Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
    記事のみならず、コメントまで読まれているんですね。^^;
    2012年10月31日 18:03
  • ChinchikoPapa

    以前の記事にまで、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2014年08月10日 22:27
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
    2014年08月10日 22:28
  • ChinchikoPapa

    重ねて、こちらにも「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>さらまわしさん
    2015年06月10日 20:40

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