
人には、耳について離れない言葉、あるいは本などを読んでいてことさら目につき、強く印象に残る語彙というのがあるようだ。そして、そのような言葉は気がきいてスマートに感じるものか、なにかの折に機会さえあれば、つかってみたいと思うらしい。
そういうわたしも、いまから25年ほど前には「フェーズ」という言葉が耳につき、なにかにつけてはよく書いたり話したりしていたのを思いだす。日本では、よくシステム開発で用いられる言葉だが、システムの要求定義から企画、構築、テスト(検証)、保守という一連の流れの各段階を、「第1フェーズ」「第2フェーズ」あるいは「企画フェーズ」「構築フェーズ」というような表現でつかわれていた。日本語に訳せば「段階」でいいのだが、そこは横文字が氾濫するICTの世界では、そのまま「フェーズ」と呼ばれている。
ほぼ同じ時期に、やはりICT分野の絡みで「ライフサイクル」という言葉も、よく口ぐせのようにつかっていたのを憶えている。製品のライフサイクル、システムのライフサイクル、データのライフサイクル……、もう世の中は「ライフサイクル」だらけなので便利な言葉だったのだ。そのうち、「ライフサイクルをまわす」という表現も生まれ、システムの企画から構築、検証・保守までの「フェーズ」をサイクル化し、より完成度の高いシステム化をめざして改善を継続しつづけるというような概念だ。しばらくすると、ライフサイクルが「PDCAサイクル」に置き換わり、「PDCAをまわす」などという表現に変わっていった。
PDCAサイクルは、従来の課題やインシデントになりそうな問題点など、それらを改善し新たな機能を付加することで、システムを螺旋形に進化させるという概念を含んでいるので、当時は螺旋形のビジュアルも流行っていた。課題や問題点が量的に増え、既存のシステム(の一部)を否定し改善を加えて、システム品質を進化(高度化=質的変化)させることから、ヘーゲルの「弁証法」的な発展形をイメージしたビジュアルだったのだろう。PDCAサイクルも、世の中にはそのような開発や動きにあふれているので、「フェーズ」と同様にとても便利な言葉だ。しまいには、軍事用語の「OODAループ」なんて言葉まで流行りだした。
最近では、「量子アニーリング+AI」の組みあわせという、わけのわからない便利な言葉を使いがちだ。AIは、まだ初期段階とはいえ普及しつつあるが、それを支える従来のノイマン型コンピュータ(スパコン含む)の集積度や能力にはすでに限界が見えている。そこで、非ノイマン型の量子コンピューティングが注目されているわけだけれど、すでに実用化されてはいるものの膨大なコストがかかるので、現状では一般に普及させるのはむずかしい。
なぜ、「量子アニーリング+AI」という言葉をつかいたくなるのかといえば、「量子アニーリング(焼きなまし法)」は日本生まれの、いまや世界に誇れる数少ないICT系の最先端技術だからだ。このテクノロジーには、刀剣の火造りのあとの「焼きなまし」、そして土置きから焼き入れへと進む、目白(鋼)の質的な変化にヒントを得て考案されたという伝説が付随している。だから、刀剣好きなわたしとしては、ついつい50年後の未来の話(バックキャスティングなど)では、なにかというと「量子アニーリング+AI」の最適解……などといいたくなる。
耳についた言葉というか、わたしが高校生のころの口ぐせに「おまんま」というのがあった。「どうやっておまんまを食うか(どのような仕事をして生活するか)」とか、「絵なんか描いてると、おまんまの食いあげ(生活できない)」とか、「おまんまにありつける(生活できる/生きていける)」というようなつかい方だが、さっそく親から「下品な言葉づかいはおよしなさい!」と叱られた。「おまんま」が、どことなく大人びた言葉に聞こえたので、当時のわたしはさっそくつかってみたくなったのだろう。子どものころは、こうして気になった、あるいは気に入った言葉を実際に(試しに)つかってみることで、多種多様な語彙を増やしていくのかもしれない。
そういうわたしも、いまから25年ほど前には「フェーズ」という言葉が耳につき、なにかにつけてはよく書いたり話したりしていたのを思いだす。日本では、よくシステム開発で用いられる言葉だが、システムの要求定義から企画、構築、テスト(検証)、保守という一連の流れの各段階を、「第1フェーズ」「第2フェーズ」あるいは「企画フェーズ」「構築フェーズ」というような表現でつかわれていた。日本語に訳せば「段階」でいいのだが、そこは横文字が氾濫するICTの世界では、そのまま「フェーズ」と呼ばれている。
ほぼ同じ時期に、やはりICT分野の絡みで「ライフサイクル」という言葉も、よく口ぐせのようにつかっていたのを憶えている。製品のライフサイクル、システムのライフサイクル、データのライフサイクル……、もう世の中は「ライフサイクル」だらけなので便利な言葉だったのだ。そのうち、「ライフサイクルをまわす」という表現も生まれ、システムの企画から構築、検証・保守までの「フェーズ」をサイクル化し、より完成度の高いシステム化をめざして改善を継続しつづけるというような概念だ。しばらくすると、ライフサイクルが「PDCAサイクル」に置き換わり、「PDCAをまわす」などという表現に変わっていった。
PDCAサイクルは、従来の課題やインシデントになりそうな問題点など、それらを改善し新たな機能を付加することで、システムを螺旋形に進化させるという概念を含んでいるので、当時は螺旋形のビジュアルも流行っていた。課題や問題点が量的に増え、既存のシステム(の一部)を否定し改善を加えて、システム品質を進化(高度化=質的変化)させることから、ヘーゲルの「弁証法」的な発展形をイメージしたビジュアルだったのだろう。PDCAサイクルも、世の中にはそのような開発や動きにあふれているので、「フェーズ」と同様にとても便利な言葉だ。しまいには、軍事用語の「OODAループ」なんて言葉まで流行りだした。
最近では、「量子アニーリング+AI」の組みあわせという、わけのわからない便利な言葉を使いがちだ。AIは、まだ初期段階とはいえ普及しつつあるが、それを支える従来のノイマン型コンピュータ(スパコン含む)の集積度や能力にはすでに限界が見えている。そこで、非ノイマン型の量子コンピューティングが注目されているわけだけれど、すでに実用化されてはいるものの膨大なコストがかかるので、現状では一般に普及させるのはむずかしい。
なぜ、「量子アニーリング+AI」という言葉をつかいたくなるのかといえば、「量子アニーリング(焼きなまし法)」は日本生まれの、いまや世界に誇れる数少ないICT系の最先端技術だからだ。このテクノロジーには、刀剣の火造りのあとの「焼きなまし」、そして土置きから焼き入れへと進む、目白(鋼)の質的な変化にヒントを得て考案されたという伝説が付随している。だから、刀剣好きなわたしとしては、ついつい50年後の未来の話(バックキャスティングなど)では、なにかというと「量子アニーリング+AI」の最適解……などといいたくなる。
耳についた言葉というか、わたしが高校生のころの口ぐせに「おまんま」というのがあった。「どうやっておまんまを食うか(どのような仕事をして生活するか)」とか、「絵なんか描いてると、おまんまの食いあげ(生活できない)」とか、「おまんまにありつける(生活できる/生きていける)」というようなつかい方だが、さっそく親から「下品な言葉づかいはおよしなさい!」と叱られた。「おまんま」が、どことなく大人びた言葉に聞こえたので、当時のわたしはさっそくつかってみたくなったのだろう。子どものころは、こうして気になった、あるいは気に入った言葉を実際に(試しに)つかってみることで、多種多様な語彙を増やしていくのかもしれない。



中学時代の国語の教師に、「かくして」という言葉をつかいたがる先生がいた。「かくして」は「隠して」ではなく、「こうして」「このようにして」「このような経緯で」という意味だ。なにかを黒板などで説明したあと、しばらく間をおいて「かくして……」と次の説明をつづける。高校時代の倫理社会だか世界史の教師にも、確か「かくして……」といいたがる先生がいたと思うのだが、「かくして」は当時の流行り言葉だったのだろうか? いまではあまり聞かれなくなった言葉だが、かくして生活言語は時代とともに変化・推移していく。
仕事をはじめてから、とある外資系ICT企業のオリエンテーションに出向いたとき、取締役が出席して盛んに「コンセプト」という言葉をつかって説明しだした。確かRDBMS製品だったと思うが、「コンセプト」を米語風に「カンセプト」と発音して、盛んに開発意図と仕組みを説明していたように思う。ひとつの機能説明で、「カンセプト」が2回も3回も出てくるような話し方で、こちらはキツネにつままれたような顔で聞いていたと思うのだが、この重役さんは「カンセプト」という言葉が気に入って、なにかの折につかいたくてしょうがなかったのだろう。説明をひととおり終えたあと、製品の担当者だった部下の若い女性に、「〇〇君、わかったかね?」と訊ねたのだが、「ぜんぜんわかりません」と容赦なく返されて暗い顔をしていた。
もうひとつ、最近読んだ文章で「闊歩」という言葉が気に入ったのか、盛んに文中でつかいたがる方がいた。浴衣姿の美しい女性たちが、夜見世をのぞきながら「闊歩していた」などと書かれていると、浴衣を着て闊歩していたなら裾が乱れ、ひょっとすると太腿まで露わになっていたかもしれない、見たかったなぁ……などと思ってしまう。w 浴衣を着ていた女性たちは、「そぞろ歩き」をしていたのだろう。墓地のなかを、おっかなびっくり「闊歩していた」。それほど怖いなら身をちぢめて、まかりまちがっても「闊歩」などできなかったのではないだろうか。
仕事をはじめてから、とある外資系ICT企業のオリエンテーションに出向いたとき、取締役が出席して盛んに「コンセプト」という言葉をつかって説明しだした。確かRDBMS製品だったと思うが、「コンセプト」を米語風に「カンセプト」と発音して、盛んに開発意図と仕組みを説明していたように思う。ひとつの機能説明で、「カンセプト」が2回も3回も出てくるような話し方で、こちらはキツネにつままれたような顔で聞いていたと思うのだが、この重役さんは「カンセプト」という言葉が気に入って、なにかの折につかいたくてしょうがなかったのだろう。説明をひととおり終えたあと、製品の担当者だった部下の若い女性に、「〇〇君、わかったかね?」と訊ねたのだが、「ぜんぜんわかりません」と容赦なく返されて暗い顔をしていた。
もうひとつ、最近読んだ文章で「闊歩」という言葉が気に入ったのか、盛んに文中でつかいたがる方がいた。浴衣姿の美しい女性たちが、夜見世をのぞきながら「闊歩していた」などと書かれていると、浴衣を着て闊歩していたなら裾が乱れ、ひょっとすると太腿まで露わになっていたかもしれない、見たかったなぁ……などと思ってしまう。w 浴衣を着ていた女性たちは、「そぞろ歩き」をしていたのだろう。墓地のなかを、おっかなびっくり「闊歩していた」。それほど怖いなら身をちぢめて、まかりまちがっても「闊歩」などできなかったのではないだろうか。




下落合に住んだ近衛文麿は、「良きにはからえ」というのが口ぐせだったらしい。子どものころ、父親の近衛篤麿が公家の言葉づかいをしているのを聞いて育ち、その表現にはまってしまったのだろう。父親の言葉をまねて「良きにはからえ」といえば、なんとなく周囲で物事がうまくまわったり、しかるべきところへ収まったりするものだから、ついつい便利な口ぐせになって大人になるまでつかいつづいていたのではないか。自身の責任を曖昧化させる「良きにはからえ」の多用で、陸軍に振りまわされ戦争を拡大されてはたまったものではない。
下落合の佐伯祐三は、若いころから「なんぼでもデッサン」(どこまでいってもデッサン)が口ぐせだった。中学時代に通った、赤松麟作の画塾で師匠からイヤというほど叩きこまれた言葉なのだろう。3Dの世界を2Dで表現する絵を描くなら、どこまでいってもデッサンが基本中の基本だと、師匠は佐伯少年に教えこんだにちがいない。デッサンが甘ければ、洋画はまったく成立しえないと規定されていた時代だ。師匠の教えに忠実だったものか、佐伯は晩年まで「なんぼでもデッサン」と友人たちへ繰り返し語り、ヒマを見つけては素描練習を繰り返していた。
同じく下落合に住んでいた会津八一は、傲岸不遜な性格からか若いころから「天下」という言葉にとり憑かれていたようで、「天下の会津だ!」が口ぐせだったという。自分の思いどおりにならないときや、友人から気に喰わないことをいわれたとき、法隆寺の夢殿にいる救世観音の石膏型を取りたいなどとw、とんでもない無理筋を通そうとするときなど、すかさず「天下の会津だ!」と怒鳴ったのだろう。文化村秋艸堂にいた家政婦を「女!」と呼びつけるぐらいだから、恋しい亀高文子(渡辺ふみ)には「なぜ求婚を承諾せん! おれは天下の会津だ!」とでも怒鳴りかねなかったろう。自分の前から早く消えてほしい男なので、『会津八一像』はサッサと短時間で仕上げた薄塗り画面の、とても彼女の作品とは思えないハンパ仕事だ。
最近、若い子が口にする「ヤバい」という言葉が耳につく。「ヤバい」は、江戸東京の博徒や地廻りが出入り(喧嘩)や手入れのときなどにつかったヤクザ言葉なので、わたしがうっかりつかったりすれば、親たちから「汚いヤクザ言葉なんかつかうんじゃない!」と、すかさず叱責が飛んできただろう。大地震が起きても、美味いものを食べても、幽霊を見ても、初日の出を見ても、遅刻しそうになっても、かわいい女子が歩いていても、トイレがふさがっていても、気持ちのいいときでも、気持ちが悪いときでも、なんでもかんでも「ヤバい」という語彙しかつかわない子を見ると、言語獲得能力が衰弱しているのではないかと心配になる。人間は母語(ふだん話している地域言語)でモノを考えるわけだが、語彙が豊富なほど論理的な思考回路が広く深く発達するのは、脳科学者の言葉を待つまでもなく自明のことだ。「戦争、ヤバくね?」では、戦争は止揚できない。
下落合の佐伯祐三は、若いころから「なんぼでもデッサン」(どこまでいってもデッサン)が口ぐせだった。中学時代に通った、赤松麟作の画塾で師匠からイヤというほど叩きこまれた言葉なのだろう。3Dの世界を2Dで表現する絵を描くなら、どこまでいってもデッサンが基本中の基本だと、師匠は佐伯少年に教えこんだにちがいない。デッサンが甘ければ、洋画はまったく成立しえないと規定されていた時代だ。師匠の教えに忠実だったものか、佐伯は晩年まで「なんぼでもデッサン」と友人たちへ繰り返し語り、ヒマを見つけては素描練習を繰り返していた。
同じく下落合に住んでいた会津八一は、傲岸不遜な性格からか若いころから「天下」という言葉にとり憑かれていたようで、「天下の会津だ!」が口ぐせだったという。自分の思いどおりにならないときや、友人から気に喰わないことをいわれたとき、法隆寺の夢殿にいる救世観音の石膏型を取りたいなどとw、とんでもない無理筋を通そうとするときなど、すかさず「天下の会津だ!」と怒鳴ったのだろう。文化村秋艸堂にいた家政婦を「女!」と呼びつけるぐらいだから、恋しい亀高文子(渡辺ふみ)には「なぜ求婚を承諾せん! おれは天下の会津だ!」とでも怒鳴りかねなかったろう。自分の前から早く消えてほしい男なので、『会津八一像』はサッサと短時間で仕上げた薄塗り画面の、とても彼女の作品とは思えないハンパ仕事だ。
最近、若い子が口にする「ヤバい」という言葉が耳につく。「ヤバい」は、江戸東京の博徒や地廻りが出入り(喧嘩)や手入れのときなどにつかったヤクザ言葉なので、わたしがうっかりつかったりすれば、親たちから「汚いヤクザ言葉なんかつかうんじゃない!」と、すかさず叱責が飛んできただろう。大地震が起きても、美味いものを食べても、幽霊を見ても、初日の出を見ても、遅刻しそうになっても、かわいい女子が歩いていても、トイレがふさがっていても、気持ちのいいときでも、気持ちが悪いときでも、なんでもかんでも「ヤバい」という語彙しかつかわない子を見ると、言語獲得能力が衰弱しているのではないかと心配になる。人間は母語(ふだん話している地域言語)でモノを考えるわけだが、語彙が豊富なほど論理的な思考回路が広く深く発達するのは、脳科学者の言葉を待つまでもなく自明のことだ。「戦争、ヤバくね?」では、戦争は止揚できない。



近衛文麿の「良きにはからえ」は、「量子アニーリング+AI」にどこか似ている。どのような無理難題でも、量子アニーリング+AIが良きにはからってくれる時代が、遠くない将来にやってくるだろう。すると、責任主体は人間ではなく、いったい誰にあるのか。かくして天下の量子コンピューティングのカンセプトが、人間におまんまを食わせるフェーズにまでなると、マジヤバくね?
◆写真上:「闊歩」はできないと思う、夜見世をそぞろ歩く浴衣姿の女子たち。
◆写真中上:上は、「PDCAサイクル」の典型的な図版。中は、いかにコストを低減するかで開発が進む量子コンピュータ。下は、工房で火造りからゆっくり冷ます焼きなまし(アニーリング)をへて、湯船への焼き入れ前に粘土で土置きをし刃文を形成する刀鍛冶。
◆写真中下:上は、1940年(昭和15)9月に日独伊三国同盟を記者会見で発表する首相・近衛文麿。中上は、1928年(昭和3)2月にパリから40kmほどのモラン村で股メガネをしてご機嫌の佐伯祐三。中下は、ひとりで酒を飲む会津八一。下は、アトリエで制作中の亀高文子。
◆写真下:上は、浴衣姿で古い町並みを散策する女子たち。中は、とてもヤバい状況を迎えた1970年(昭和45)制作の『昭和残侠伝/死んで貰います』(東映)のワンシーン。下は、かなりヤバい成りいきになりそうな1978年(昭和53)に制作された『ダイナマイトどんどん』(大映)のワンシーン。
◆写真中上:上は、「PDCAサイクル」の典型的な図版。中は、いかにコストを低減するかで開発が進む量子コンピュータ。下は、工房で火造りからゆっくり冷ます焼きなまし(アニーリング)をへて、湯船への焼き入れ前に粘土で土置きをし刃文を形成する刀鍛冶。
◆写真中下:上は、1940年(昭和15)9月に日独伊三国同盟を記者会見で発表する首相・近衛文麿。中上は、1928年(昭和3)2月にパリから40kmほどのモラン村で股メガネをしてご機嫌の佐伯祐三。中下は、ひとりで酒を飲む会津八一。下は、アトリエで制作中の亀高文子。
◆写真下:上は、浴衣姿で古い町並みを散策する女子たち。中は、とてもヤバい状況を迎えた1970年(昭和45)制作の『昭和残侠伝/死んで貰います』(東映)のワンシーン。下は、かなりヤバい成りいきになりそうな1978年(昭和53)に制作された『ダイナマイトどんどん』(大映)のワンシーン。