大正末の展覧会で売られた絵画の値段。

萬鉄五郎「羅布をかつぐ人」1925春陽会.jpg
 下落合では、1922年(大正11)から近衛町目白文化村アビラ村(芸術村)などの開発・販売がはじまり、あちこちで洋館建築が竣工している。また、翌年に起きた関東大震災により、東京郊外の市街地化が急速に進んだ。
 これらの洋館は、日本間ではなく洋間が間取りの多くを占め、その住空間を飾るのに日本の軸画や屏風などはまったく似あわず、必然的に額縁に収められた洋画が求められるようになった。大正末になると、ほとんどの洋館の居間や書斎、応接間、寝室などの壁には洋画が架けられ、あたかも家具調度の一部のように普及していく。
 それらの作品は、各地の美術館や百貨店(デパート)、新聞社などで開かれた美術展覧会で販売されたり、あるいは各地の画廊をまわって気に入った作品を購入したり、さらには好きな贔屓の画家ができると、その作品を確実に入手できる頒布会の会員になって購入したりしていた。また、画家が所属する団体や会派などでも、その人脈を活用して作品の“売りこみ”を行っていたようで、仲介人からの絵の購入も少なくなかったらしい。洋間の普及で絵画の需要が高まった大正期、早くもブローカーのような職業も生まれていただろうか。
 佐伯祐三は、自身のアトリエがある地元で描いた「下落合風景」シリーズを1930年協会の展覧会のほか、東京の画廊や知り合いのツテを利用して販売していたようだが、大阪中津の光徳寺にいた兄・佐伯祐正が起ち上げた「佐伯祐三作品頒布会」を通じて、関西方面に数多くの作品が販売されている。同地域では、まったく馴染みのない東京は落合地域の風景画なので、それとは気づかれずサインのない佐伯祐三の作品が、西日本にいまだ多く眠っている可能性が高そうなのは、これまで何度か記事で繰り返し触れてきたとおりだ。
 佐伯祐三の作品頒布会では、会費が100円と200円のふた通りあったといい、また20号が200円だったという証言も残っているので、100円の会員は10~15号の作品を入手できたのではないだろうか。大正末の大卒初任給は50~60円ほどだったので、20号の「下落合風景」作品を購入するには、3~4ヶ月分の給与を丸ごと貯めなければならなかったことになる。今日の貨幣価値に換算(給与指数)すると、1926年(大正15)の1円は約2,400円に相当するので、佐伯の20号は約48万円ほどで売買されていたことになる。
 ちなみに、当時の大卒初任給を今日の貨幣価値に換算すると、約12万円~14万4,000円ほどということになるが、食料品などの生活必需品や家賃、借地代が今日とは比べものにならないほど安かったので、13万円前後の給与でも余裕でやっていけたのだろう。給与指数換算のみで考えると、大卒初任給が13万前後といえば1980年代前半のような感覚だろうか。大正末から昭和初期、佐伯の「下落合風景」の20号作品が50万円ほどで入手できたわけで、同作20号が軽く100倍以上はする現状から見れば、わたしにも買える「うらやましい」時代だったことになる。
 1925年(大正14)3月に、上野台で開催された春陽会第3回展では、合計248点の作品が展示されている。それぞれの作品には値段がつけられ、その記録が『近代日本アート・カタログ・コレクション』(東京文化財研究所/1932年)に残されている。同展で、もっとも高い価格を設定しているのは萬鉄五郎だが、彼は2年後に茅ヶ崎で死去することになる。同展の出品作について、萬鉄五郎が書いた文章を1925年(大正14)に刊行された『みづゑ』4月号(春陽会号)から引用してみよう。
  
 勿論立体を取扱つたものであるが、立体派としては稍初歩のものである。立体派の如きは今日では最早や世界的の常識となつてゐるのであるから別に新しい画風とは思つてゐない。(中略) その『三人の裸女』のうち一人をとつて小さく後で製作して見たのが今度の『宙腰の人』である。(中略) 『羅布被ぐ人』は昨年夏に構想が出来たもので十一月から着手したが主として今年になつてから製作したものである。これは色彩を目的としたみのでない事は一見してわかるが、従来色が暗くなる傾向があつて困つて居たのでこれにはなるべく明るい色を適合させたのである。
  
萬鉄五郎「宙腰の人」1924.jpg
岸田劉生「少年肖像」1925.jpg
梅原龍三郎「榛名湖」1925.jpg
 文中に書かれている『羅布被ぐ人』には、3,000円の価格がつけられている。『宙腰の人』は200円だが、同時出品の『男』は5,000円と、同展では最高値がつけられていた。先の価値換算でいえば、5,000円は1,200万円ほどに相当する。
 この値段が破格な設定なのは、同展に出品していた岸田劉生の『静物』が2,000円だったのを見ても、その倍以上になるので萬鉄五郎が同作品にこめた自負・自信、ないしは特別な思い入れをうかがい知ることができる。萬鉄五郎は、ほかに『窓外風景』(100円)、『水衣の人』(500円)、『雪』(300円)と合計6点を出品している。
 名前が出たついでに、草土社から春陽会へと合流した岸田劉生は、同展に5点の作品を展示しており、上記の『静物』のほか『少年肖像』(500円)、『童女像』(500円)、『冬瓜葡萄図』(600円)、『冬日小菜』(350円)と自信家のわりには、思いのほか抑えた値づけをしているように思える。関東大震災の避難先、京都での骨董趣味や遊興による借金返済のために、あえてリーズナブル(売れそうな)な価格設定にしたものだろうか。
 ほかに高額な画家としては、作品4点を展示している梅原龍三郎の『榛名湖』(1,500円)がある。だが、販売されているのはこの1点だけで、残り3点は非売品となっており、すでに販売先が決まっていたものだろう。同じく長谷川昇も、『支那裸女』(1,000円)と高額設定をしている。長谷川は同展に4点出品しているが、『髪あむ少女』(300円)、『安息』(不明)、『裸女』(450円)と桁がちがうのは『支那裸女』のみだ。
 旧・草土社のメンバーの作品を見ると、木村荘八は同展に6点の作品を展示しており、それぞれ『連獅子(一)』(150円)、『連獅子(二)』(150円)、『引窓』(150円)、『千代萩』(150円)、『同床下』(150円)、『太十』(80円)と、すべて人形浄瑠璃をモチーフにした作品ばかりだ。価格設定も、サラリーマンが少し無理してお小遣いを貯めれば買えそうで、油彩画にもかかわらず洋館ではなく和館や日本料理屋・料亭などにも似合いそうな画面であることにも留意したい。
 下落合の椿貞雄が、同展に14点もの作品を展示していることは以前の記事に書いたが、『美中橋(一)』(120円)と『美中橋(二)』(250円)のほか、高額設定の作品としては『晴れたる冬の道』(500円)と『江戸川上流の景』(500円)の2点がある。いずれも落合地域を描いた作品とみられるが、山形県米沢での風景作品は、『置賜駅前風景』(120円)に『山里』(60円)と比較的リーズナブルだ。
長谷川昇「安息」1925.jpg
木村荘八「引窓」1925春陽会展.jpg
椿貞雄「美中橋(2)」1925春陽会展.jpg
 河野通勢は8点の作品を展示しており、そのうち『観音堂』『酉の市』『六地蔵尊』『仲の町』の4点が非売品となっている。いずれも、浅草や新吉原あたりの風景画だが、すでに料亭・料理屋か待合茶屋などへの販路が決まっていたものだろうか。ほかに『長崎女郎屋格子先の図』(250円)、『お茶の水土堤大潰壊』(70円)、『モーゼ発見』(50円)、『巴焼』(50円)という価格になっているが、「長崎女郎屋」は河野通勢が住む東京の長崎ではなく、九州の長崎市丸山町のことだろう。また、廉価な『モーゼ発見』と『巴焼』はリトグラフだと思われる。
 鎌倉で、岸田劉生や椿貞雄の相撲仲間だった横堀角次郎は、同展に4作品を展示しているが『鵠沼の道』(150円)、『静物(其一)』(80円)、『静物(其二)』(80円)、『風景』(80円)と小金があればすぐに買えそうな値づけをしている。同じく、当時は草土社風の表現をしていた三岸好太郎は、5点の作品を展示しており『少女の像』が非売品のほか、『冬の崖』(150円)、『少年』(100円)、『美しき少女』(150円)、『裸体』(150円)だった。三岸と同郷で親しい俣野第四郎は、『我孫子の風景』(100円)と『ハルビンの郊外』(100円)の2点を出品している。
 会員だった斎藤與里は、『諏訪湖畔の宿にて』『部屋の一隅』『雑魚すくい』『雪の日の天王寺公園』の4点を出品しているが、価格は高めな750円均一だった。また、中川一政は椿貞雄に次ぐ11点もの作品を展示しており、そのうちの『静物小品(其一)』『静物小品(其二)』『野娘』『肖像(其一)』『中禅寺』の5点が、すでに販路が決まっていたものか非売品となっている。残りは『静物(其一)』(250円)、『静物(其三)』(150円)、『静物(其四)』(150円)、『静物(其五)』(200円)、『肖像(其二)』(400円)、『湯ヶ原』(200円)という値づけだった。
 ちょっと気になるところでは、吉田節子(三岸節子)が4点の作品を出しており、非売品となっている『肖像』1点を除き『机上二果』(100円)、『風景』(60円)、『山茶花』(80円)という値づけだった。また、フランスに留学中だった清水多嘉示は、『風景』と『赤衣婦人』の2点を出品しているが、価格の記載がなく展示のみで非売品としていたようだ。
河野通勢「観音堂」1925春陽会展.jpg
斎藤與里「雪の日の天王寺公園」1925.jpg
三岸好太郎「冬の崖」1925.jpg
 同展でいちばん気がかりなのは、落合地域にアトリエがあったらしい上杉勝輝の『落合のある風景』だ。上杉勝輝は、名前からもわかるように越後を故地とする米沢藩上杉家の姻戚筋で、椿貞雄や高瀬捷三と同郷人であり、岸田劉生や河野通勢らを顧問とする「七渉会」のメンバーのひとりだった。ちなみに、『落合のある風景』は30円だが、どこかに画像が残ってやしないだろうか。

◆写真上:春陽会第3回展では、高額だった萬鉄五郎『羅布をかつぐ人』(3,000円)。
◆写真中上は、同展に出品された萬鉄五郎『宙腰の人』(200円)。は、同じく岸田劉生『少年肖像』(500円)。は、同展の梅原龍三郎『榛名湖』(1,500円)。
◆写真中下は、同展に出品された長谷川昇『安息』(価格不明)。は、同じく木村荘八『引窓』(150円)。は、すでにご紹介済みの椿貞雄『美中橋(二)』(250円)。
◆写真下は、同展に出品された河野通勢『観音堂』(非売品)。は、同じく斎藤與里『雪の日の天王寺公園』(750円)。は、三岸好太郎『冬の崖』(150円)で「我孫子風景」の1作だろう。