明日ありと思う心の徒桜(あだざくら)。

サクラ1.JPG
 拙ブログでいえば、下落合753番地に住んだ九条武子が信仰していた(と思われる) 親鸞の歌と伝えられている作に、「明日ありと思う心の徒桜(あだざくら)、夜半に嵐の吹かぬものかは」というのがある。最初から余談で恐縮だが、最近、「徒」桜を「仇」桜と「かたき」という字をあてている方が多いのは、いったいどうしたことだろう。桜へ「徒」=「はかない」の意をかぶせた用語だと思うのだが、桜は「かたき」ではないでしょう? 同じように気になるあて字に、「袖振り合うも多少の縁」。確かに多少は縁ができるかもしれないけど、「他生」の縁とは比べものにならないほど、はかなくて薄い「徒縁」にはちがいない。
 歌はみなさんも知るとおり、サクラが満開なので明日にでも花見をしようと思っていたのに、夜半の嵐であらかた散ってしまい「きのう見ときゃよかった!」と後悔してもはじまらないよというような意味あいだろう。転じて、きょうできることはきょうじゅうにやっておけ、明日になったら間にあわないことだってあるんだよ……という、教訓めいた至言にも利用されている。似たような格言には、井伏鱒二が于武陵の漢詩から訳した、「花ニ嵐ノタトヘモアルゾ サヨナラダケガ人生ダ」(1935年)が思い浮かぶ。拙ブログでは、以前に下落合を散歩していた緒形拳のセリフとしてご紹介しているが、こちらは転じて、酒を飲みながら「あなたとすごしている、いまの時間がかけがえのないものなので大切にしよう」というような感覚だろうか。
 20年ほど前、身体を壊している友人から、夏の終わりに繰り返しメールをもらい、いろいろ励ましたり元気づけたりしていた。近いうちに見舞いにいこうと思っていたのだけれど、仕事がバタバタと忙しく休日になるとグッタリ昼近くまで寝ていたので、なかなかその機会がなく延びのびになっていた。別に入院しているわけではなく、通院しながら自宅で静養しているということだったので、周囲には家族もいるし大丈夫だろうと、見舞いを先延ばしにしていたのだ。だが、年末に自宅で倒れ、そのまま意識がもどらず友人は年明けに急死してしまった。なぜ、すぐに見舞いにいかなかったのかと、あとで後悔することしきりだった。
 「明日ありと思う心の徒桜」を思い知らされたような出来事で、このとき以来、いまできることはすぐに実行しようと肝に銘じて生きているつもりなわけだが、そこは根が怠惰な性格なので、延びのびになっている案件や約束は、いまでは片手の指の数よりも多くなっている。きっと、危機感や切迫感が徐々に薄れていき、大地震はいつか必ずくるというのに、東京へ高層マンションを建てつづけているゼネコンにも似て、きょうは大丈夫だろう、いましばらくはこのまま平穏無事がつづくだろうという、根拠のない刹那的な楽観論がムクムクと頭をもたげてくるのだ。明日になって、「しまった!」と思ってもあとの祭りで、サクラの花弁が散るぐらいならまだしも、多くの人命が散ってしまってはとり返しがつかない。
 「明日ありと思う心の徒桜」は、どこか茶道の「一期一会」にも通じる思いや情緒もそこはか感じられる。でも、明日の生命(いのち)をも知れない、いつ戦乱で生命を落とすかもしれない室町末期の武士がたしなんだ茶道と、現代の茶道とではまったく意味や意義が異なるだろう。いまの茶道は、「一期一会」どころか形式や作法・しきたり、あるいは道具の価値や景色にこだわりすぎて、「来週はお月謝を忘れずに」としっかり「明日」以降の日常や再会を予定しているしw、「この織部は元和偃武のころですのよ、二つほどしましたの、オ~ホホホ」などという点前あとの道具自慢にいたっては、「あなた、茶道に向いてないかも」と、つい口もとまで出かかってしまう。
茶道.jpg
織部茶碗.jpg
志野茶碗.jpg
 ここでまた少し余談だが、どうせいつもテーマから外れた文章ばかり書いているので、しばしお許しいただきたい。いつか、わたしは抹茶よりも煎茶が好きだが、たまに喉が渇いたので煎茶のペットボトルを街中で買うと、煎茶の中に「抹茶入り」というおかしな製品を見かけるようになった。なぜ煎茶の中に、あえて抹茶を混入するのか? そのほうが、地域によっては「高級」に感じるのかもしれないが、せっかく煎茶のサッパリと澄んだ風味が、抹茶の粉っぽくて重たい、クドく濁った風味で台なしじゃないか、やめてもらいたい……と記事に書いたことがある。そのとき、煎茶は煎茶、抹茶は抹茶で文化がちがうとも書いた。
 煎茶は、基本的にどこでも好きなときに好きなかたちで楽しめる、手軽で形式ばらない喫茶文化だけれど、抹茶はやはり肩肘が張りよそよそしく少々事情が異なるだろう。家に入った大工さんに、「お茶がはいりましたのでど~ぞ」と抹茶と茶請けをだしたら、「あざ~す」と片手で茶碗をもってすするというようなシチュエーションは考えにくい。鮨屋に入り、「あがりちょうだい」といって抹茶が出たら、「なんのマネだ?」となるだろう。つき合い酒で遅く帰宅し、「茶漬けでいいですよ」といって冷や飯佃煮に抹茶が出たら、「なに考えてんだよ」となるにちがいない。「オレ、なんか悪いこといったかな」と、夫婦関係が心配になるかもしれない。
 こんな思い出もある。学生時代に、藩主の松平不昧で有名な茶室「明々庵」を訪れ、抹茶をふるまわれたときに、茶道の心得がないので「どうやっていただけばいいんですか?」と訊いたら、「もう、ご自由にどんなかたちでお飲みになっても、まったくかまいませんよ」といわれたので、さっそく胡坐をかいて茶請けとともに味わった。ついでに、庭を向いて松江城を眺めながら残りをいただいたろうか。そのとき撮影した写真を、以前の小泉八雲の落合散歩記事に掲載している。つまり煎茶のように、気軽に周囲の景色や風情を楽しみながら飲んだわけだが、作法やしきたりに縛られず、儀式ばらずにいただいた抹茶の味はすなおに美味しかった。
 これもいつだったか、母方の大叔母が北鎌倉に住んでいて、母家つづきの鄙びた数寄屋(茶室)をしつらえており、訪ねるたびに親たちはそこで茶の接待を受けたのではないかと思う。煎茶好きな親父は、「まいったな~」と思ったのかもしれないが、そこで供された抹茶や茶請けの味は美味しかったのだろうか? おそらく、作法や形式にこだわり儀式ばって“型”にはまった茶を出され、窮屈に飲んだ抹茶の風味は、あまり美味しくはなかったのではないか。それよりは、早く腰を浮かして北鎌倉の寺社をめぐり、山々のハイキングコースを歩きたかったのではないかと思う。
明々庵.jpg
明々庵茶碗.jpg
九谷湯呑.jpg
 親父は煎茶を飲むとき、かなり使いこんだ高級そうな九谷の湯呑を使っていたが、わたしは子どもが学校の工作時間につくった湯呑を愛用している。少し歪んでいるけれど、轆轤の跡も生々しく味わいがあって楽しい出来だ。高級九谷で飲んでも、子どもの工作茶碗で飲んでも、手ざわりや口あたりこそちがえ煎茶の風味は変わらない。同様に、わたしが明々庵の土産に買った1,500円の茶碗(いまでは販売していないらしく、ネットオークションではけっこうな値段がついている)で飲んでも、300万円の志野の茶碗で飲んでも、手ざわりや口あたりこそちがえ抹茶の風味は変わらない。「この織部は元和偃武のころですのよ、二つほどしましたの」の奥様は、楽しんで茶を飲んでいるのではなく、型や道具立てで茶に「飲まれている」のだ。
 さて、なんでしたっけ? あ、「明日ありと思う心の徒桜」だった。もうひとつ、子ども時代の思い出といえば、学校帰りに文具店のショウウィンドウで見かけたプラモデルがあった。日ごろから艦船ばかり組み立てていたので、たまには飛行機を……と目をつけていたプラモが、双発のスマートな機体が気に入った旧・海軍の爆撃機「銀河」だった。正月のお年玉がたまったら、絶対に手に入れようと思っていたのだけれど、正月の休み明けの下校時にさっそくショウウィンドウをのぞくと「銀河」がなく、かわりに「サンダーバード2号」のプラモに変わっていた。店の人に訊くと、年末に売れてしまったのだという。明日ありと思う心の徒桜。
 中学校に上がり2年生のとき、うしろの席のきれいな女子に、なんとなく会話の延長で告白されたようなのだが、冗談だと思ってそのままにしていたところ、どうしても気になり、あとあと思いきって手紙を差し上げたら、ナシのつぶてでそのままになってしまった。明日ありと思う心の徒桜……と、考えてみたら今日までこんな経験ばかりしてきたような気がする。やはり、きょうできることはきょうじゅうに、鉄は熱いうちに打て、思い立ったが吉日、旨い物は宵に食え、好機逸すべからず、善は急げ、機をみるに敏、先手必勝……と、いろいろな格言が思い浮かぶが、幼いころから中学時代まで海辺で育ったせいか、「待てば海路の日和あり」のほうがしっくりくるわたしの性格は、およそ死ぬまで治りそうもない。
銀河.jpg
中学女子.jpg
サクラ2.JPG
 井上光晴の小説に、『明日』(集英社/1982年)というのがある。さまざまな想いを抱えた人たちが、明日の約束をしたり予定を立てたりしていく筋立てだ。明日が出産日という妊婦も登場する。1945年(昭和20)8月8日の、長崎の1日をめぐる物語だ。けれども、彼らに「明日」はこなかった。人の生死が絡むと、「明日ありと思う心の徒桜」は「一期一会」と同様、とたんに緊張感をともなうシリアスな格言に豹変する。できるだけその感覚を忘れずに、日々をすごしたいものだ。

◆写真上:江戸川橋から高戸橋までつづく、江戸期の江戸川に起因する神田川の桜まつり。
◆写真中上は、抹茶を出されると気楽に飲めばいいものを周囲を見ながらかまえてしまうクセがある。は、織部の高そうな茶碗と志野茶碗(赤志野)。
◆写真中下は、茶室「明々庵」から撮影の松江城。は、明々庵の土産茶碗。は、親父の愛用品に似ている九谷湯呑だが実際は使いこんで渋い色あいだった。
◆写真下は、旧・海軍の爆撃機「銀河」のプラモイラスト。は、中学時代に「明日ありと思う心の徒桜」の格言を知っていればよかった。は、冒頭写真と同じく神田川の桜まつりの様子。